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江戸(えど)時代(じだい)東京(とうきょう)
文化(ぶんか)文政(ぶんせい)(1800年代(ねんだい)(はじ)め)の特別区(とくべつく)(へん)

38. ここも、あそこも(むら)だった!
江戸(えど)時代(じだい)東京(とうきょう)
文化(ぶんか)文政(ぶんせい)(1800年代(ねんだい)(はじ)め)の特別区(とくべつく)(へん)

江戸(えど)時代(じだい)東京(とうきょう)特別区(とくべつく)

天正(てんしょう)18(ねん)(1590)の、家康(いえやす)関東(かんとう)入国(にゅうこく)以来(いらい)江戸城(えどじょう)千代田区(ちよだく)(いま)皇居(こうきょ))を中心(ちゅうしん)都市(とし)建設(けんせつ)(はじ)まった。(まち)はどんどん(ひろ)がって、はじめは、江戸城(えどじょう)とそのまわりくらいだった市域(しいき)が、文政(ぶんせい)(がん)(ねん)(1818)、江戸(えど)範囲(はんい)をはっきりさせるために(つく)られた「朱引(しゅび)()」という資料(しりょう)()ると、だいたい(いま)山手線(やまのてせん)のところまでになっている。江戸(えど)(だい)都市(とし)だった。立派(りっぱ)大名(だいみょう)屋敷(やしき)()(なら)び、町人(ちょうにん)がひしめき()って、たくさんの(ひと)()んでいた。
タイム・マシンがあればおさんぽしてみたいです それでも西(にし)(そら)をあおげば富士山(ふじさん)がすっきりとそびえたち、江戸城(えどじょう)(まえ)(うみ)(かわ)では(さかな)がとれて、「江戸前(えどまえ)」とよばれ、みんなからおいしい!と(よろこ)ばれた。そして、山手線(やまのてせん)外側(そとがわ)は、のどかな農村(のうそん)漁村(ぎょそん)だったりするわけだ。高速(こうそく)道路(どうろ)(はし)り、高層(こうそう)ビルがたち(なら)ぶ23()もほんのちょっと(まえ)までは、こんな風景(ふうけい)だったんだね。

江戸の風景

江戸(えど)時代(じだい)のあの(まち)この(むら)その1

新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう) 』のころの23区
地名(ちめい)のいわれ、などなど…。

文化文政のころの23区まちむらマップ

(いま)の)板橋区(いたばしく)

1.板橋(いたばし)

石神井川(しゃくじいがわ)にかかっていた(はし)にちなむ地名(ちめい)だとか。『源平(げんぺい)盛衰記(せいすいき)』(1247~49ごろ成立(せいりつ))に登場(とうじょう)するほど歴史(れきし)がある。江戸(えど)時代(じだい)には品川(しながわ)新宿(しんじゅく)千住(せんじゅ)とともに「江戸(えど)四宿(よんじゅく)」といわれ、中山道(なかせんどう)出発点(しゅっぱつてん)だった。

北区(きたく)

2.赤羽根(あかばね)

いまは「赤羽あかばね」とくけれど、江戸えど時代じだいは「赤羽根あかばね」。むかしからこのあたり、赤土あかつちおおかったので「赤埴(あかはに)」(赤色あかいろつちのこと)とよばれていて、それが「あかばね」になったとか。ほかにもいろいろせつがある。

3.十条(じゅうじょう)

条里じょうり制度せいどによる区画くかく地名ちめいとしてのこったのだという。条里制じょうりせいというのは孝徳こうとく天皇てんのう大化たいかがんねん(645)におこなわれた碁盤ごばんのようにきっちり整理せいりされた土地とち区画くかく方式ほうしき

4.豊島(としま)

むかし、うみがここまではいりこんでいて、沿岸えんがんがいりくんだしまになっていたので、この地名ちめいがついたのではないか、と言われる。平安時代の末に秩父ちちぶ平氏へいし一族いちぞくがここにうつみ、「豊島氏としまし」を名乗なのるようになった。一族いちぞく鎌倉かまくら幕府ばくふ有力ゆうりょく御家人ごけにんとしてさかえた。文明ぶんめい10ねん(1478)、太田おおた道灌どうかんほろぼされるまでおよそ400年間ねんかん豊島としま一帯いったい支配しはいした。

5.王子(おうじ)

地名ちめいは、豊島氏としまし紀州きしゅう熊野くまの若一わかいち王子おうじ王子おうじ神社じんじゃ)を勧請かんじょうかみさまのれいをわけてまつること)したことによるという。江戸えど時代じだい、8だい将軍しょうぐん吉宗よしむね政策せいさく江戸えど近郊きんこうまちのまわりの田園でんえん地帯ちたいってことね)の行楽地こうらくちとしてにぎわうようになった。

練馬区(ねりまく)

6.石神井(しゃくじい)

むかし、このあたりの村人むらびと地名って伝説にまつわるものがけっこうあるね

井戸いどったときのこと。つちなかからあおいしぼうがでてきたのだと。この不思議ふしぎいし人々ひとびとは、ちいさなほこらて、「石神様いしがみさま」としてまつった。これが「石神井しゃくじい」の地名ちめいのおこりだという。

 

7.練馬(ねりま)

続日本記しょくにほんぎ』(797ねん成立せいりつ歴史れきしほん)に『武蔵国むさしのくにえき乗潴のりぬま』とかれていて、「のりぬま」がなまって「ねりま」になった、とか、赤土あかつちのねりだったから、とか、水田すいでんおくぬまがあるだったので「ぬま」なんだ、とか。ほんと地名ちめいっていっぱいせつがあるんだよね。もうひとつ、おまけに伝説でんせつでは、このうまどろぼうがぬすんだうま訓練くんれんして市場いちばしたのでこのがついたという。うまをならすことを「ネル」とったんだって。「うまをネル」で「ねりま」。

豊島区(としまく)

8.雑司ヶ谷(ぞうしがや)

レジャーも奥が深い 元弘(げんこう)建武(けんむ)のころ(1331~1337)、宮廷(きゅうてい)雑色(ぞうしき)下級(かきゅう)役人(やくにん))の柳下(やなした/やなぎした)若狹守(わかさのかみ)長島(ながしま)内匠(たくみ)戸張(とばり)平左衛門(へいざえもん)が、南朝(なんちょう)(おとろ)えをなげいて、(しょく)をしりぞき、武蔵国(むさしのくに)(くだ)って、ここに(うつ)()んだ。以来(いらい)、「雑色谷(ぞうしきがや)」とよばれ、いつのまにやら「雑司ヶ谷(ぞうしがや)」に。江戸(えど)元禄(げんろく)時代(じだい)(1688~1704)ころから、レジャーとしてのお(てら)神社(じんじゃ)まいりが(さか)んになった。ここの鬼子(きし)母神(もじん)も、とってもにぎわったという。

杉並区(すぎなみく)

9.荻窪(おぎくぼ)

荻はススキににています 和銅(わどう)(がん)(ねん)(708)のこと。(とおと)仏様(ほとけさま)(ぞう)背負(せお)った行者(ぎょうじゃ)が、このあたりの(はら)()ると(きゅう)背中(せなか)(おも)くなり、(ある)けなくなった。これは仏様(ほとけさま)(ゆかり)のある()だろうと、野原(のはら)(おぎ)をあつめてお(どう)()てた。それが地名(ちめい)のはじまり、とか。

中野区(なかのく)

10.鷺宮(さぎのみや)

新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』(1828(ねん)成立(せいりつ))には(むら)神社(じんじゃ)に「たくさんの(さぎ)生息(せいそく)しているので“鷺森(さぎのもり)”とか“鷺宮(さぎのみや)”とか()っていて、いつのまにか(むら)()になった」とある。昭和(しょうわ)(はじ)めころまで、白鷲(しらさぎ)姿(すがた)()られたそうな。

新宿区(しんじゅくく)

11.新宿(しんじゅく)

慶長(けいちょう)9(ねん)(1604)、徳川(とくがわ)幕府(ばくふ)()街道(かいどう)(さだ)めた。そのひとつ、甲州(こうしゅう)街道(かいどう)出発点(しゅっぱつてん)(はじ)めは高井戸宿(たかいどじゅく)(いま)杉並区(すぎなみく))だった。でも、もう(すこ)江戸(えど)(ちか)(ほう)便利(べんり)だと、元禄(げんろく)10(ねん)(1697)に内藤(ないとう)新宿(しんじゅく)がつくられた。高井戸宿(たかいどじゅく)(たい)して(あたら)しく(つく)ったので「新宿(しんじゅく)」なんだよ。
ここには内藤(ないとう)()屋敷(やしき)があった。家康(いえやす)関東(かんとう)入国(にゅうこく)のさい(1590(ねん))、警備(けいび)のために内藤(ないとう)清成(きよなり)(はじ)めて(おとず)れた(とき)、この()原野(げんや)だった。
 

12.牛込(うしごめ)

うしがいたり、うまがいたり
むかし、このあたりは(うし)()牧場(まきば)だったのでは…という。上野国(こうずけのくに)(いま)群馬県(ぐんまけん))の豪族(ごうぞく)大胡(おおご)重春(しげはる)重行(しげゆき)(うつ)()開拓(かいたく)した。重行(しげゆき)()勝行(かつゆき)弘治(こうじ)(がん)(ねん)(1555)より「牛込(うしごめ)()」を名乗(なの)るようになったという。
 

13.角筈(つのはず)

地名ちめい由来ゆらい名主なぬしいえつたわるはなし。この開拓者かいたくしゃ与兵衛よへえ優婆塞うばそく正式せいしきそうとならず、山林さんりんなどで修行しゅぎょうするひと)だった。「角筈つのはず」というのは伊勢いせ神宮じんぐう忌詞いみことば優婆塞うばそくのこと。
昭和40年代半ばまでは角筈という地名は生きていた

渋谷区(しぶやく)

14.渋谷(しぶや)

むかし、このあたりは入江いりえになった浜辺はまべで「塩谷しおやさと」とったとか。それが「しぶや」になったというせつや、治承じじょうのころ(1177~1180)に相模国さがみのくにいま神奈川県かながわけん)の豪族ごうぞく渋谷しぶや庄司重国しょうじしげくに領地りょうちだったから、というせつがある。

15.千駄ケ谷(せんだがや)

1駄は135キログラムくらい 太田おおた道灌どうかん領地りょうちまわったとき、このあたりの谷間たにま栽培さいばいされているいね千駄せんだもあるので「千駄ケ谷せんだがや」と名付なづけたという。
また、ここら一面(いちめん)萱野原(かやのはら)で「一日(いちにち)千駄(せんだ)(かや)()(ところ)」という意味(いみ)でついたともいう。江戸(えど)時代(じだい)には幕府(ばくふ)煙硝蔵(えんしょうぐら)火薬庫(かやくこ))があった。
 

16.穏田(おんでん)

昭和しょうわ45ねん(1970)に神宮前じんぐうまえというにかわった。「かく」だった、とか、小田原おだわら北条ほうじょう家臣かしん恩田おんだというひとんでいたから、とか地名ちめいのいわれはいろいろ。家康いえやす関東かんとう入国にゅうこくしたよくとし天正てんしょう19ねん(1591)に伊賀者いがものあたえられた土地とちだ。のち、足利藩あしかがはん鳥取藩とっとりはんなどの屋敷地やしきちになるけれど、伊賀者いがもの子孫しそんたちが明治めいじ維新いしんまでんでいたという。ニンニン

世田谷区(せががやく)

17.等々力(とどろき)

等々力渓谷多摩川(たまがわ)にそそぐ谷沢川(やざわがわ)がつくる(たに)一年中(いちねんじゅう)(たき)(きゅう)(なが)れが水音(すいおん)をとどろかせていたので、この地名(ちめい)()まれたという。江戸(えど)時代(じだい)郊外(こうがい)景勝地(けいしょうち)。(景色(けしき)のすぐれた(ところ)

 

 

目黒区(めぐろく)

18.目黒(めぐろ)

そのむかし、牧場まきば管理かんりするひと畔道あぜみちとおってうま見守みまもったので「馬畔めぐろ」とがついた。(「畔」は“くろ”ともむんだ。)
また、関東(かんとう)でもっとも(ふる)いお不動(ふどう)さんである目黒(めぐろ)不動(ふどう)(ひら)かれたので、という(せつ)も。(ほか)に、「め」はくぼ()(たに)、「くろ」は(みね)のことで地形(ちけい)をあらわす()だ、とか、すぐれた黒馬(くろうま)がたくさん出たから、という(せつ)もある。
 

19.碑文谷(ひもんや)

新編しんぺん武蔵むさし風土記ふどき稿こう』に「むらなかとお鎌倉かまくら街道かいどうのわきに梵字ぼんじ(サンスクリット文字もじ古代こだいインドの文字もじ)をきざんだがたてられていたため、このがおこった」とある。もう一説いっせつには、忠玄ちゅうげんというそう大卒塔婆おおそとば碑文ひぶんいてここにめたから、ともいう。

20.(ふすま)

うま飼料しりょうの「ふすま」(小麦こむぎこなにひくときにできるかわのくず)の産地さんちなのでこのがついた。また「伏馬」で、うま埋葬まいそうしたところでは、というせつも。

 

品川区(しながわく)

21.大井(おおい)

延喜式(えんぎしき)』(900(ねん)ごろ成立(せいりつ))という資料(しりょう)にのっているくらい(ふる)地名(ちめい)延暦(えんりゃく)3(ねん)(784)、桓武(かんむ)天皇(てんのう)時代(じだい)にここの守護(しゅご)だった大井(おおい)()()地名(ちめい)になったという。(ほか)には、この地方(ちほう)()られた大井戸(おおいど)があったから、とも。また、(おお)きな()(いぐさ、のこと)がおい(しげ)っていたから大藺(おおい)になった、とも。
 

22.品川(しながわ)

目黒川めぐろがわふるである「品河しながわ」にちなむという。また、べつせつでは、このあたり出崎でさき入谷いりやがあって、しな地形ちけいだったので、おとなりの「高輪たかなわ」にたいして「品ヶ輪しながわ」と名付なづけたのがはじまりとも。東海道とうかいどう出発点しゅっぱつてん

大田区(おおたく)

23.蒲田(かまた)

さくらの花の絵 江戸(えど)時代(じだい)、このあたりの家々(いえいえ)(うめ)()()え、()収穫(しゅうかく)していた。2(がつ)には(うめ)(はな)(さか)りで、見物客(けんぶつきゃく)もたくさん()た。別名(べつめい)(うめ)(むら)」と()い、絵師(えし)安藤(あんどう)広重(ひろしげ)の『名所(めいしょ)江戸(えど)百景(ひゃっけい)』にはここの(うめ)屋敷(やしき)(えが)かれている。
「かまた」というのは「泥深(どろふか)()」の意味(いみ)、アイヌ()の「(どろ)(なか)(しま)」という意味(いみ)言葉(ことば)なんだって。

24.羽田(はねだ)

戦国せんごく時代じだい小田原おだわら北条ほうじょうは、ここを江戸えどわん重要じゅうよう地点ちてんとして、猟師りょうし漁師りょうし)で組織そしきした水軍すいぐんいた。江戸えど時代じだいには、幕府ばくふ新鮮しんせんさかなをおさめる「御菜おさい(おかずのことだ)はちうら」のひとつでもあり、海運かいうんさかんだった。

江戸(えど)時代(じだい)のあの(まち)この(むら)その2

文化文政のころの23区まちむらマップ

足立区(あだちく)

25.西(にし)新井(あらい)

天長てんちょう3ねん(826)、関東かんとうおしえをひろめあるいていた弘法こうぼう大師だいし(注釈)が、人々ひとびと疫病えきびょうからすくおうと観音かんのんぞうり、ここにめていおりて、いのった。たちまち疫病えきびょうはおさまり、弘法こうぼう大師だいしした村人むらびと観音かんのんぞうをほりし、あとのあな井戸いどとした。この井戸いどは、弘法こうぼう大師だいしひらいた五智山ごちざん遍照院へんしょういん総持寺そうじじ西にし位置いちしたので「西にし新井あらい」とよばれるようになった、とか。
(注釈)弘法(こうぼう)大師(だいし)とは、平安(へいあん)時代(じだい)(そう)真言宗(しんごんしゅう)(ひら)き、高野山(こうやさん)金剛(こんごう)峰寺(ぶじ)()てた。すごく()がうまい、ということでも有名(ゆうめい)(ひと)

26.千住(せんじゅ)

永禄えいろく2ねん(1559)、小田原おだわら北条ほうじょうのころに、「専住村せんじゅむら」として記録きろく登場とうじょうする。
寛永(かんえい)2(ねん)(1625)、3(だい)将軍(しょうぐん)家光(いえみつ)(とき)日光(にっこう)街道(かいどう)出発点(しゅっぱつてん)宿(しゅく)となって、発展(はってん)した。日光(にっこう)東照宮(とうしょうぐう)へおまいりする将軍(しょうぐん)()参勤(さんきん)交代(こうたい)大名(だいみょう)たちの行列(ぎょうれつ)(とお)ったんだ。

江東区(こうとうく)

27.深川(ふかがわ)

家康(いえやす)関東(かんとう)入国(にゅうこく)()もない慶長(けいちょう)(ころ)(1596~1614)このあたりを開拓(かいたく)したのは深川(ふかがわ)八郎(はちろう)右衛門(えもん)という摂津国(せっつのくに)(いま)大阪(おおさか)兵庫(ひょうご)のあたり)の(ひと)だった。()りに()家康(いえやす)地名(ちめい)をたずねたが、まだ()はなかった。家康(いえやす)の「深川(ふかがわ)」を(むら)()にせよ、という言葉(ことば)から()まれた地名(ちめい)だ。

28.越中島(えっちゅうじま)

ここはもともと「」(川口かこうにできた小島こじま)だった。これがいま東京とうきょうの「ゆめしま」みたいにだんだんめられていった。明暦めいれき万治まんじ(1655~1660)のころ、榊原さかきばら越中守えっちゅうのかみたまわり、別邸べっていにしたので、「越中島えっちゅうじま」とよばれた。正徳しょうとくがんねん(1713)には旗本はたもと御家人ごけにんたちにあたえられ、「越中島えっちゅうじまちょう」となった。

文京区(ぶんきょうく)

29.小石川(こいしかわ)

いまはもうわからないけれど、江戸えど時代じだい以前いぜんかわがあったんだって。小石こいしおおかわだったのでこのがついたそうだ。

港区(みなとく)

30.麻布(あざぶ)

むかし、(あさ)栽培(さいばい)して、(ぬの)をこしらえた土地(とち)だったので、この地名(ちめい)がついた。
江戸(えど)時代(じだい)(はじ)めごろは郊外(こうがい)だったけれど、なかばころから武家(ぶけ)屋敷(やしき)()つようになった。

31.竜土(りゅうど)

寛永かんえいのころ(1624~1643)、ここにてんからりゅうってた、という伝説でんせつからまれた地名ちめいだという。べつせつでは、2だい将軍しょうぐん秀忠ひでただときうみがすぐひがし愛宕山あたごやましたあたりまではいりこんでいた。海辺うみべ沿いの漁師りょうしむらがここにうつされ「漁人村りょうどむら」とよばれ、のち「竜土」のに改められたのだ、ともいう。

いつから「きみの」になったのさ

参考(さんこう)にした(ほん)

新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)
角川(かどかわ)地名(ちめい)大辞典(だいじてん)
武蔵国(むさしのくに)全図(ぜんず)
東京(とうきょう)府郡(ふぐん)全図(ぜんず)
江戸(えど)東京(とうきょう)地名(ちめい)事典(じてん)
東京(とうきょう)地名(ちめい)(こう)」そのほかいろいろ…

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掲載日 令和7年8月1日