小平のくらし・年中行事
小平 のくらし
水田のほとんどない小平では、陸稲(畑地で作るイネ)を作りだすまで、あまり米を食べなかった。主食は、あわ・ひえ・大麦・小麦。明治の初めごろ、主食はあわ3割、大麦のひきわり7割のあわ飯。明治のおわりには米と麦をまぜたものが主食になった。
10時と3時のお茶にはふかしたさつまいもやさといもを食べた。
小平は小麦がとれたから、人が集まる時にはごちそうの一つとして、よくうどんを作った。それに、お茶菓子として「麦こがし」なども作った。これは麦をいって粉にしたものだ。
古くから狭山茶の栽培もしていた。また、養蚕も盛んだった。江戸時代、文政10年(1827)には、すでに小平で養蚕をしていた記録がある。さかんになったのは明治20年ごろで、7~9割の農家がおこなっていた。昭和30年代には養蚕も姿を消したが、古い農家には今でも蚕室(蚕を飼うための部屋や小屋)が残っていたりする。
養蚕は蚕を飼って生糸をとる仕事。桑をいっぱいたべる蚕の世話は忙しい。
年中 行事
祭りとか祝いとか村々や家で毎年くり返される行事は、こういう日々のくらしと切り離すことのできない意味のあるものだった。
こういう行事を年中行事といい、その日はふだんとちがうくらし方をする。
農業(とくに米作り)を中心とした日本では、作物が育ってゆく季節のふし目ふし目に神さまや先祖の霊を迎え、豊作を願ったり、わざわいから守ってもらったり、収穫を感謝したりしてきた。
そこにさまざまな信仰や、中国などから伝わった行事などもとりこまれ、年中行事のかたちができあがっていったらしい。
「節供」って何?
今は「節句」と書くことが多いけれど、もともとは「節供」。
これは節の日(折り目、ふし目になる日のこと)の供えもののことだった。それが、その日や、その日の行事をさす言葉になったんだ。
お正月の「おせち料理」も節の日の食べ物のことだよ。
小平でも古くからいろいろな行事をおこなってきた。時代の流れとともに忘れられてしまったものもあるかもしれない。けれど今も親から子、子から孫へと伝えられている行事もある。
これが中国から伝わった五節供だ!!
1月7日 人日の節供
3月3日 上巳の節供
5月5日 端午の節供
7月7日 七夕の節供
9月9日 重陽の節供
こうしてみると節供ってほとんど月と日と同じ数の日だ。これは「重日」というそうな。
こどもの誕生と成長の祝い
誕生
小平では生まれた赤ちゃんは、お産婆さん(お産の手助けをする人)が抱いて、便所や井戸へ連れて行く風習があった。はっきりしたいわれはわからない。けれど、
関東地方の農村には「セッチン参り」という儀式がよく見られる。「セッチン」ってお便所のことだよ。つまり、お便所の神さまにお参りするのだ。
女の人がお参りすれば、お産が無事にすむという。赤ちゃんは生まれて7日目(お七夜)に額に墨で「犬」と書き、お産婆さんにつれられておまいりする。
お便所の神さまは、赤ちゃんを産むお母さんの不安を防ぎ、赤ちゃんの命を守ってくれる産神なんだ。
宮参り
男の子は31日目、女の子は33日目に宮参り(オビアゲ)をする。お父さんの方のおばあちゃんが赤ちゃんを抱いて、氏神さまに見てもらうんだよ。
はじめての正月
赤ちゃんが生まれて初めて迎える正月。
男の子だと破魔弓、女の子だと羽子板を飾って祝う。
七五三
「七五三」というと、11月15日に5歳の男の子と3歳・7歳の女の子が宮参りすること。
これは関東を中心に近世の末ごろからはやり出した。
でも、もっとむかしから、子どもの成長の祝いは人々の間でおこなわれていた。
3歳の祝いは「ヒモオトシ」「オビムスビ」などといい、これまでつけていた紐を落として初めて帯をしめる。そっていた髪をのばしはじめるので「カミオキ」(髪置)ともいう。
むかしは男の子も女の子もした祝いで日にちも11月15日とは限らなかった。
3歳の「カミオキ」(髪置)、5歳の「ハカマギ」(袴着)男の子だけ、7歳の「オビトキ」(帯解き)という区別がでてくるのは近世(つまり江戸時代)なかばくらいからだ。
ななつまでは神のうち
日本では7歳というのは大切なふし目だった。
「ななつまでは神のうち」といわれ、この年ごろまでは、社会の一員として数えない。人間の子ではなくて、神さまの子なんだ。7歳になれば氏神さまにみとめられ、氏子になって、村の子ども組にくわわり、年中行事などでもちゃんと役割をもつようになる。
いまもけっこうつづいてると思う…
「成長の祝い予定表」
お七夜
誕生7日目。親せきなどがあつまって祝う。赤ちゃんに名まえがつけられる。
宮参り
誕生から男の子32日目、女の子33日目という地域が多い。氏神さまにおまいり。
お食い初め
誕生100日目。
ごはんつぶを食べさせてお祝いする。
初誕生の祝い
誕生1年目。
もちをついてヨチヨチ歩きの赤ちゃんに背負わせる風習も。
七五三
上を見てね。
小平の正月の風景

小平の正月の風景
お正月。こどもは凧あげ、コマまわし、お手玉、まりつきなどで遊ぶ。
物売りが来た。せきぞろ、三河まんざい、ごぜもまわって来てにぎやか。
ごぜ
三味線をひきながら歌や物語をきかせる盲目の女芸人。
せきぞろ

「節季候」と書いて「せきぞろ」。
三味線や拍子木などでにぎやかにはやしながら、門口をたずね歩く芸人。
「せきぞろ せきぞろ、めでたい めでたい」とか「せきぞろ せきぞろ、ほう ほう」とかいろいろセリフがあるらしいんだ。
三河まんざい
これも門付芸(家々の門口でひろうする芸)のひとつ。
正月に門口や座敷でめでたいことを言ってまわる。
「尾張まんざい」「加賀まんざい」などまんざいにもたくさん種類があるが「三河まんざい」は徳川家康が三河出身であることから、保護され、江戸の近辺で活やくした。
第2次世界大戦までは盛んだったというけれど、今は正月番組で見られるかどうか…ってところだねえ。
凧
「たこ」という呼び名は江戸時代に江戸の町からはじまった。英語では「カイト」というし、ドイツ語にも、スペイン語にも、ヒンズー語にもこの楽しいおもちゃを意味する言葉がある。
日本国内だって呼び名はさまざま。関西では「いか」、九州では「はた」という方言もあるらしい。
凧はアジアやヨーロッパで古くから作られていた。中国が発生の地ともいうがはっきりとはわからない。正月に凧をあげるのは江戸の風習なんだって。
双六
「バックギャモン」ともいう双六は紀元前3000年などという大むかしからあるのだ! そのころは「盤すごろく」というもので、古代エジプトから古代ギリシャ、ローマ帝国に伝わり、シルクロードを通ってアジア、インド、中国へ。フランスのルイ14世もこのゲームの大ファンだった。
日本でも、持統3年(689)、双六についての命令がでているから、この頃にはもう伝わっていたんだね。
江戸時代にはよめ入り道具やひな祭りの飾りにもなった。「絵すごろく」は江戸時代前からはじまったらしい。ヨーロッパでも16世紀以降のイタリア、17世紀以降のイギリスで「絵すごろく」が流行。世界はひとつだねぇ。
知っててトクする!かどうかは知らないけど…
暦のはなし
暦とは、「日を数え、知る」という意味なんだ。むかしむかしは自然の変化で季節のうつりかわりを知るしかなかったらしい。
でも、農作物を育ててくらしてゆくには、やっぱりちゃんとした暦が必要だった。
554年、欽明天皇のころ、百済(朝鮮半島にあった国)から日本に暦法(日を数える方法)が伝わったと記録がある。そして、推古天皇のころ、604年の正月からは、たしかに暦が使われているそうだ。
その後、やく1000年間は、中国の太陰太陽暦を輸入して使っていた。やがて、日本も暦を科学的に研究するようになり、1685年には「貞享暦」というのを作っている。ほかにもいろいろな暦が作られたが1873年、明治政府は太陽暦(今つかわれている暦。新暦という)を使うことに決めた。明治5年12月3日が新暦明治6年1月1日になったんだって。
でも、人々は、長く、もとの暦(旧暦という)の方を使い、正式に旧暦がとりやめられたのは1909年だ。
二十四節気表
二十四節気表
| 四季 |
節気(季節のかわりめ)のなまえと意味 |
今の暦のだいたいの月日 |
| 春 |
立春(りっしゅん) |
冬から春へ。 |
正月節 |
2月4日 |
| 雨水(うすい) |
雪が雨にかわる。 |
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2月19日 |
| 啓蟄(けいちつ) |
冬眠の虫が出てくる。 |
2月節 |
3月6日 |
| 春分(しゅんぶん) |
昼と夜が同じ時間。 |
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3月21日 |
| 清明(せいめい) |
清くあかるい春のふんいき。 |
3月節 |
4月5日 |
| 穀雨(こくう) |
作物がよく成長するころ。 |
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4月20日 |
| 夏 |
立夏(りっか) |
夏のはじまり。 |
4月節 |
5月6日 |
| 小満(しょうまん) |
自然の中の実が育ちはじめる。 |
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5月21日 |
| 芒種(ぼうしゅ) |
種まき・田植えのころ。 |
5月節 |
6月6日 |
| 夏至(げし) |
昼がいちばん長い日。 |
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6月21日 |
| 小暑(しょうしょ) |
梅雨のあけるころ。 |
6月節 |
7月7日 |
| 大暑(たいしょ) |
暑さまっさかり! |
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7月23日 |
| 秋 |
立秋(りっしゅう) |
秋の気配になる。 |
7月節 |
8月8日 |
| 処暑(しょしょ) |
暑さがおさまる。 |
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8月23日 |
| 白露(はくろ) |
空気が冷たくなり、白い露ができる。 |
8月節 |
9月8日 |
| 秋分(しゅうぶん) |
昼と夜が同じ時間。 |
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9月23日 |
| 寒露(かんろ) |
露がこおる寸前。 |
9月節 |
10月8日 |
| 霜降(そうこう) |
霜がおりるころ。 |
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10月23日 |
| 冬 |
立冬(りっとう) |
冬のはじまり。 |
10月節 |
11月7日 |
| 小雪(しょうせつ) |
寒さほどほど。雪まばら。 |
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11月22日 |
| 大雪(たいせつ) |
雪が多くなる。 |
11月節 |
12月7日 |
| 冬至(とうじ) |
夜がいちばん長い日。 |
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12月22日 |
| 小寒(しょうかん) |
寒さ、ふかまる。 |
12月節 |
1月5日 |
| 大寒(だいかん) |
寒さまっさかり! 負けるな! |
|
1月20日 |

十二支
むかしの人は年だけじゃなく、月も日も、十二支を使ってあらわしたんだ。たとえば月はこういうぐあい。
正月=寅 2月=卯 3月=辰 4月=巳 5月=午 6月=未
7月=申 8月=酉 9月=戌 10月=亥 11月=子 12月=丑
「時は流れる…季節はめぐる…。」
1日の長さは日の出や日の入りなどではかれる。地球が自分で1回転する時間のこと。
1年は、ふたたび季節がめぐってくるのでわかる。これは、地球が太陽のまわりを1周する時間。
さて、では、1ヵ月は…。むかしの人はひと月の長さを「月」を見てはかった。新月から満月、また新月になるまではっきり、目でわかるもの。太陽に対して、月のことは「太陰」というんだよ。
小平の一年(1~6月)
(いちおう新暦にあわせてありますが、ひと月おくれや旧暦でおこなわれるものもあります。)
1月

元旦
男の人が先に起きて、若水をくみ、身をきよめ、おぞう煮をつくり、神さまをおがむ。
おぞう煮は切りもちにさと芋や大根をいれたおすまし仕立て。
7日 七草がゆ
小平の七草は、なずな、大根、にんじん、ごぼう、さと芋、ねぎ、ほうれん草の7種類。これをまな板の上で「七草なずな、唐土の鳥と 日本の鳥と 渡らぬさきに…」と唱えながら包丁できざむ。
この日は「あぼひぼ」をおそなえする日でもある。
「あぼひぼ」40センチメートルくらいの竹の先を細くさき、そこに15センチメートルくらいに切った、にわとこの木をぶらさげる。実った「あわの穂 ひえの穂」にみたてて、畑の豊作を祈った。
14日 まゆ玉祭り
お米の粉でまゆの形のだんごを作り、木にさして神棚へ。
よいまゆ玉がたくさんとれますようにと願う。
15日 蚕びまち(おしら講)
村の人たちが集まって、手打ちうどんを食べ、お酒を飲んでさわぐ。「おしら様」は蚕の神さま。
また、この日は、まゆ玉のだんごを入れたあずきがゆを作る。
16日 お賽日
この日は「やぶいり」といって奉公人が休みをもらって家へ帰れる日。お嫁さんも実家へ帰る。夜、仏さまに赤飯を供える。
20日 えびす講
えびす様に赤飯やお神酒をあげ、ますの中に財布を入れて供える。
2月
1日 次郎正月
この日は1日、仕事休み。
上旬節分

「福は内、鬼は外」と豆まきをする。豆がらにさして焼いたイワシの頭を柊の枝といっしょに戸口にさしておく。
おもしろいのは小川の小山家の「鬼の宿」。
この夜、みんなに追われる鬼のため、戸をあけ、ごちそうでもてなしをする。
夜中の12時すぎ、鬼を辻まで送ってゆき、帰りは振り返ってはいけないそうだ。
最初の午の日
この日は5色ののぼりを立て、おそなえをしてお稲荷さんを祭る。お稲荷さんは田畑の神さま。今年の家内安全と豊作を祈る。
3月

3日 桃の節供
ひしもちを作って、おひな様にあげる。
中~下旬 春のお彼岸
春分の日を中心に前後3日の1週間。お墓参りをし、「中日ぼたもち、あけだんご」といって、ぼたもちとだんごを作る。
4月
上旬 春祈祷
この1年の豊作と無事を祈って、神社で湯神楽(湯立神楽。湯をわかしておこなうきよめはらいの儀式)をする。明治40年ごろまで、小川新田(仲町)の熊野宮では「一本えのきのすもう」といってすもう大会もおこなわれていた。
上~中旬お花見
玉川上水の小金井堤では桜満開。遠くからも花見客がおしかける。みやげもの屋、芸人もでて、堀ばたは大にぎわいだった。
この時期の仕事
下旬になると蚕室の準備をしたり、さつまいもの植え場所に肥料をさしこんだり。
5月
5日 端午の節供
この日は庭の柏の木から葉をとって来てかしわもちを作る。(小平ではひと月おくれにしたという話も。6月だと柏の葉がちょうどよい具合になるとか。)
大国魂神社のくらやみ祭りもある。
大国魂の神さまは武蔵国の土地神だ。
むかしはサーカスや芝居もかかったそうだ。今だって、この日のお祭りは大にぎわい。
この時期の仕事

養蚕のはきたてにとりかかる。蚕のあい間にさつまいもを植え、陸穂をまく。茶つみをはじめるのもこの頃。
(小平では明治のなかばから大正にかけて、お茶の栽培がさかんだった。)
6月
この時期の仕事
養蚕は6月10日ごろにあがる。
梅雨にかかって、今度は麦かりがはじまる。
小平の一年(7~12月)
7月
7日 七夕
5~6メートルもある竹を切って、たんざくを飾り庭先に立てる。
15日 天王さまの祭り(野中新田)
この日は仕事休み。
まんじゅう、うどんを食べる。
16日 お賽日
1月の16日と同じ。
20日 大国魂神社のすもも祭り

11世紀中ごろ、源頼義・義家親子の奥州征伐で勝ったお礼にはじまったという祭り。
すももは邪気を払うといい、みんな買って食べた。
「からすうちわ」も売っていて、これであおぐと夏の疫病をまぬがれるという。
28日 総合あがり
農作業が一段落した仕事休みの日。まんじゅう、うどんを食べる。
お盆
7月13日~15日が中心だが、地域によって日が違う。8月初めのところもあるし、ひと月遅れのところもある。農作業の都合もあったろう。
お盆には盆棚を組んで位牌をかざり、畑でとれたものを供える。
子どもたちは縄をつけた麦わらの束に火をともし、縄を持ってぐるぐる振りまわす。この火の輪でご先祖をお迎えするのだ。「ぼんさま ぼんさま おいでなされ」と言って。
8月
このころ雨ごい
このあたりは「逃げ水の里」。ひでりがつづくと玉川上水の水も減る。そういう時は村中で雨ごいをする。
御岳山から竹筒に水をもらって来て神棚にあげる。途中で休むとその場所に雨が降ってしまうというから、休まず帰る。それからみんな、はだかで川(玉川上水からの分水のこと)にはいり、地面に水をかけ合う。
この時期の仕事
この月なかばから、夏野菜のとりいれ。かぼちゃ、きゅうり、なす、とまと、まくわうりなど…

十五夜(旧暦8月15日、新暦だと9月下旬)別名「いも名月」
十三夜(旧暦9月13日、新暦だと10月下旬)別名「くり名月」
この夜、すすきを飾り、だんご・柿・栗・芋などを供えてお月見。子どもたちには「十五夜さげろ」と言いながら、家々を回って、供えものをもらう楽しみがある。
9月 あちこちの鎮守の祭り
15日
大沼田新田の稲荷神社の祭り
17日
小川の神明宮の祭り
19日
小川新田(仲町)の熊野宮、回田新田の氷川神社の祭り(今は氷川神社は9月16日にかわった。)
中~下旬秋のお彼岸
秋分の日を中心に、前後3日の1週間。春の彼岸と同じにお墓参りなどをする。
22日
上鈴木・下鈴木・堀野中(上水南町)の稲荷神社の祭り。
鈴木ばやし
弘化4年(1847)、深谷定右衛門がつくり、伝えたおはやし。昭和45年、小平市の無形文化財になった。
10月
3日
野中新田(花小金井)の武蔵野神社の祭り。
30日 おかま様
かまどの神、荒神さまを祭る日。だんごを供える。
この時期の仕事
さつま芋堀り、陸稲刈り、秋蚕の仕事、秋野菜の収穫・麦まきなど。
11月
9日 亥の子
「亥の子のぼたもちゃ、中まで米だ」といって米のとれたお祝いに、新米でぼたもちを作って、大黒さまに供える。また、この日、ぼたもちを大根畑に供えるとりっぱな大根がとれるといわれた。
20日 えびす講
1月のえびす講と同じ。えびす様を祭る。
下旬 あちこちの神社で新嘗祭。(今年の収穫を祝い、来年の豊作をいのる祭り。)
12月
下旬 冬至
このころまでに1年の仕事はだいたい終わる。
この日は星まつり。星をうらない、家内安全のため、やく払いの祈祷をする。
夜、ゆず湯であたたまり、あわがゆにかぼちゃを入れたものを食べる。
おかまじめ
冬至がすぎるとすす払い。神社から配る御幣をお稲荷さんとかまどにあげ、この1年の感謝と火の災難よけを祈る。
歳の市
正月のための買い物は、小金井・国分寺・田無の市へ。神さまのもの、着物、ごちそうの材料を買いこむ。
31日 みそかはらい
大みそかにはお払いをうけた小さな御幣を門口にさし、新年を迎える。
付ろく!日本の年中行事
これを参考に「小平の1年」を見てね!!
元旦
1年の始まり。年神さまを迎え、去年の無事を感謝し、今年の豊作を願う。
若水(元旦の朝、最初にくむ水)むかえから、神さまへの供えなど、家の主人が自分でおこなう。この日は家の中の神さまや土地の神さまに初もうでしてあいさつ。
人間同士のあいさつまわりは、2日から3日にする。
七草がゆ
正月7日は人日の節供。今年1年の邪気(病気をおこす悪い気)を払い、七草がゆを食べる。
6日の夜、「七草たたき」といって、まな板の上に7種類の道具火ばし・すりこぎ・おろしがね・杓子・薪わり・菜ばし・火吹き竹を並べてまな板を叩き、七草を包丁できざみながら、7回歌を唱える。「七草なずな 唐土の鳥が 日本の鳥と かちおうて バタバタ」など文句は土地によって少しずつちがうみたい。
小正月
1月15日は元旦の大正月に対して、小正月という。この日は、1年が豊作でありますようにと願いをこめ、作物の実った姿を真似て飾りを作り、神さまに見てもらう。
養蚕のさかんな土地では、よく「まゆ玉」が作られる
お賽日
やぶいりに閻魔さまにお参りする日。この日は地獄のフタがあき、獄卒(地獄の鬼)さえ、お休みをするという。先祖の霊も戻って来る。正月と7月の16日がその日にあたる。
また、商家の奉公人や嫁入りした娘が実家に帰る休みの日でもある。
「やぶいり」というのは「宿下がり」がなまった言葉だとか、都会の人は田舎「やぶ(の深いところ)」といい、そこに帰るので「やぶいり」という、とかいろいろな説がある。
とにかく正月と7月の16日は田舎に帰って、家族はもちろんご先祖さまにも会える時だったんだね。
節分
節分とは季節と季節の分かれ目のこと。今は立春の前の日をいうけれど。
この日の行事は「追儺」または「鬼やらい」と呼ばれる中国の儀式がもとになっている。紀元前から中国でおこなわれ、日本では文武天皇の慶雲3年(706)におこなった記録がある。病気や災害を追い払う儀式なんだ。
豆まきは室町時代から始まった。焼いたイワシの頭と柊などの小枝を戸口にさしておくのは「ヤイカガシ」といって、悪い霊を家に入れないためのおまじないだ。
初午
2月最初の午の日はお稲荷さんのお祭りだ。お稲荷さんは農業の神さま。そろそろ田畑の仕事にとりかかる春の初めに山から里へおりて来るという。
稲荷のほこらにのぼりを立てて、油あげや赤飯を供え、みんなも食べたり、飲んだりする。
ひなまつり
桃の節供。上巳の節供ともいう。「上巳」とは初めの巳の日という意味。中国で3月最初の巳の日におこなう「踏青」という行事がもとだ。この日、川辺で青い草を踏み、川の流れで身をきよめ、お酒を飲み、けがれを払う。
さらに、これが、水の流れに盃を浮かべ、自分の前を過ぎぬ間に詩歌をよむ「曲水の宴」という行事にかわっていく。
日本では顕宗天皇の元年(485)、はじめてこれをおこなっている。
この行事で、ひな人形は、はじめ紙などで作られ、人間のからだをなで、けがれを移して、川へ流すためのものだった。今のように布製、段飾りになったのは、江戸時代半ば、都会から流行していった。
端午の節供
「端午」とは月の初めの午の日という意味。
この日、中国では、野原で薬草をつみ、遊ぶ。また、ヨモギで作った人形や虎を戸口にかけ、菖蒲をひたしたお酒を飲み、蘭を入れたお風呂にはいる。これはすべて、身のけがれを払うため。香りが高い菖蒲には、悪い霊を払う力があるという。
日本でも、この日は邪気を払う行事の日だった。が、鎌倉時代、「菖蒲」が「尚武」(武士のおこないを重んじること)に通じるので、武士の間で盛んになり、男の子中心の行事になった。
そして、室町時代には「兜人形」が、江戸時代には「鯉のぼり」が飾られるようになった。
中国の古い言い伝えでは、鯉は竜門という急流をさかのぼり、竜になれるゆいいつの魚。めでたい魚なんだぞ。
くらやみ祭り
真夜中のまっくらやみの中で、明りをともさずにするお祭り。
まっくらやみの中をおみこしが渡る。その間、人々は物音をたてず、静かにしていなければならない。
だいたい、神さまは夜、おとずれるものらしい。だから、あちこちのお祭りでも前の晩は「宵宮」といって大切な時間とされている。
府中の大国魂神社のくらやみ祭りは、全国的に有名だよ。
七夕
7月7日、中国ではけん牛、織女の伝説とともに女の子が裁縫がうまくなるよう祈ったりする乞巧奠の行事がある。
この中国の星祭りは、日本にも伝えられ、貴族の間でおこなわれ、江戸幕府が年中行事にとりあげて、みんなに広まった。土地によっては1月遅れの8月7日にする。
もともと、日本にも棚機津女の信仰があった。棚機津女とは、棚をつくり、そこで機を織る乙女が神さまを待ち、お祭りする。そして、みんなのけがれを払ってもらうというもの。これに中国の行事が合わさっていったらしい。「七夕」と書いて「たなばた」というのは「棚機」の読みをあてたのだとか。
笹の飾りを川に流すのは、けがれを託すならわしのひとつ。また、畑に立てて、虫よけのまじないにするとよい、ともいう。
お盆
さっきも言ったけど、正月と、このお盆の時期は、先祖の霊がたずねてくる大切な時期だ。
お盆には先祖を迎え、祭るため、盆棚という祭壇を作り、位牌とたくさんの供えものを並べる。そうめん、うどん、なす、きゅうり、すいか、ごはん…。
迎え火・送り火は先祖の霊の通る道を明るくするためにたく。
また、お寺の境内や広場で踊る盆踊りは、先祖の霊をなぐさめるためのもの、という。
秋まつり
9月から11月ごろ、おこなわれる収穫を感謝するお祭り。この日は神社で神さまに初ものなどたくさんの食べ物を供え、みんなも食べたり飲んだりする。
かまど神
火を使う「かまど」は、むかしむかしから家の中心だ。
そこを守るのがかまど神。西日本では「荒神」、東日本では「おかま様」とよばれることが多い。
おかま様には子どもが36人いる。これは、おかま様が生産力が強く、実り豊かな神さまだからだ。
亥の子と十日夜
秋の収穫を祝う行事のひとつ。群馬・埼玉・山梨・長野など東日本の一部では「十日夜」といい、旧暦10月10日におこなう。西日本では多く10月亥の日におこない、「亥の子」という。
子どもたちがワラで作った棒で地面を叩いたり、丸い石にひもをつけて、みんなで地面をついたり、土地によって、する事は少しずつちがう。
ぼたもちや五目ご飯、赤飯で、田の神さまである亥の子の神を祭るのは同じ。
関東から東北にかけて、この日を「大根の年取り」ともよび、この日まで大根を畑に置くとよく実るという。
えびす(恵比須)講
えびす神を祭る行事。家々でえびす様の左膳に魚、ますにはお金を入れて供える。
えびすさまは七福神の中で大黒さまとならぶ福の神。商売の神さまでもあるし、豊作をもたらす田の神でもある。
「えびす」は漢字で「夷」「戎」とも書く。これは自分たちとはちがう、海のかなたや島に住む者たちをさす言葉でもある。むかしの人たちは、はるか遠い地に福をもたらす大きな力を思ったのかな。
冬至
この日は太陽が1年中でいちばん南にある。だから北半球では太陽の高度がもっとも低く、昼は短い。
農作物に太陽のめぐみは欠かせない。冬至のころは「これから再び盛りかえす太陽」「新しい太陽」のための祭りをする。
冬至にかぼちゃを食べると中風にかからない、とか、ゆず湯にはいると風邪をひかないという言い伝えは今でもきくね。
歳の市
年末に立つ市。年神祭りの用具や正月のお飾り、海産物、着物、雑貨を売る。
歳の市にはいろいろ不思議なことが起こるようだ。親に似た人に出会うとか、山姥があらわれるとかあちこちにおもしろい言い伝えがある。
大晦日
大晦日の晩は「年の夜」。
一晩中起きて、年神さまを待ち、神社などにこもるならわしがあった。
この年、神社では年越しのおはらいがあり、寺では、除夜の鐘が108回鳴らされる。
108つとは、人間の「悩みのもと」の数。
鐘の音がそのひとつひとつを追い払ってくれる。除夜の鐘をつくのは、中国の宋の時代(960~1279年)に始まった。
