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12. 多摩(たま)戦国(せんごく)絵巻(えまき)

戦国 ( せんごく ) 時代 ( じだい ) 多摩 ( たま )

後北条氏の支城    足利尊氏 ( あしかがたかうじ ) のひらいた 室町 ( むろまち ) 幕府 ( ばくふ ) も、1467 ( ねん ) 応仁 ( おうにん ) ( らん ) (注釈) 以降 ( いこう ) おとろえた。
   ( ) ( なか ) ( みだ ) れ、 守護 ( しゅご ) 大名 ( だいみょう ) にかわり、 ( あたら ) しくおこってきた 戦国 ( せんごく ) 大名 ( だいみょう ) たちが 各地 ( かくち ) 領国 ( りょうごく ) をつくる。
   関東 ( かんとう ) 北条早雲 ( ほうじょうそううん ) 遠江 ( とおとうみ ) 駿河 ( するが ) 今川氏 ( いまがわし ) 山城 ( やましろ ) 油売 ( あぶらう ) りから ( ) をおこした 美濃 ( みの ) 斎藤 ( さいとう ) 道三 ( どうさん ) らはこの 下克上 ( げこくじょう ) 時代 ( じだい ) 代表 ( だいひょう ) 選手 ( せんしゅ ) だ。
   早雲 ( そううん ) 初代 ( しょだい ) として 伊豆 ( いず ) からおこり、 相模 ( さがみ ) 領主 ( りょうしゅ ) となった 後北条氏 ( ごほうじょうし ) が、 関東 ( かんとう ) 支配 ( しはい ) をめざし、 武蔵 ( むさし ) 進出 ( しんしゅつ ) したのは 二代目 ( にだいめ ) 氏綱 ( うじつな ) のとき。 氏綱 ( うじつな ) は1524 ( ねん ) 扇谷上杉氏 ( おうぎがやうえすぎし ) 江戸城 ( えどじょう ) ( ) めおとした。 城主 ( じょうしゅ ) 上杉朝興 ( うえすぎともおき ) 武蔵 ( むさし ) 河越城 ( かわごえじょう ) 埼玉県 ( さいたまけん ) 川越市 ( かわごえし ) )に 追放 ( ついほう ) 。1537 ( ねん ) には、その 河越城 ( かわごえじょう ) ( ) めおとしている。
   三代目 ( さんだいめ ) 氏康 ( うじやす ) のとき、 関東 ( かんとう ) 管領 ( かんれい ) 山内 ( やまのうち ) 上杉憲政 ( うえすぎのりまさ ) 扇谷上杉 ( おうぎがやつうえすぎ ) 朝定 ( ともさだ ) 朝興 ( ともおき ) ( ) )は、 後北条氏 ( ごほうじょうし ) ( たお ) そうと ( ) をむすんだ。1546 ( ねん ) 古河公方 ( こがくぼう ) 足利晴氏 ( あしかがはるうじ ) ( くわ ) わって、 河越城 ( かわごえじょう ) 攻撃 ( こうげき ) 。この ( たたか ) いで 朝定 ( ともさだ ) 戦死 ( せんし ) 扇谷上杉氏 ( おうぎがやつうえすぎし ) ( ほろ ) んだ。 後北条氏 ( ごほうじょうし ) にとって、ふるくから 関東 ( かんとう ) 勢力 ( せいりょく ) ( ) 上杉氏 ( うえすぎし ) は、いずれ ( たお ) すべき 相手 ( あいて ) だったのだ。
  ところで 多摩郡 ( たまぐん ) には、 大石氏 ( おおいしし ) 三田氏 ( みたし ) 二大 ( にだい ) 勢力 ( せいりょく ) があった。 両氏 ( りょうし ) とも 関東 ( かんとう ) 管領 ( かんれい ) 上杉氏 ( うえすぎし ) 重臣 ( じゅうしん ) で、 多摩 ( たま ) 名族 ( めいぞく ) だ。 氏康 ( うじやす ) 二男 ( じなん ) 氏照 ( うじてる ) 養子 ( ようし ) として 大石氏 ( おおいしし ) のもとに ( おく ) りこみ、 姻戚 ( いんせき ) 関係 ( かんけい ) 結婚 ( けっこん ) して ( しん ) せきになること。 氏照 ( うじてる ) 大石定久 ( おおいしさだひさ ) ( むすめ ) 結婚 ( けっこん ) した。)を ( むす ) んだ。1546 ( ねん ) のことだ。
   氏照 ( うじてる ) 多摩郡 ( たまぐん ) 南部 ( なんぶ ) 大石氏 ( おおいしし ) 領土 ( りょうど ) をうけついだ。 一方 ( いっぽう ) 多摩 ( たま ) 北部 ( ほくぶ ) から 高麗郡 ( こまぐん ) ( ちから ) ( ) 三田氏 ( みたし ) は、いぜんとして 後北条氏 ( ごほうじょうし ) には 障がい物 ( しょうがいぶつ ) だった。1563 ( ねん ) ごろ、この 三田氏 ( みたし ) ( ほろ ) ぼして 氏照 ( うじてる ) 八王子領 ( はちおうじりょう ) 支配 ( しはい ) も、 ( たし ) かなものとなったのだ。

(注釈) 応仁 ( おうにん ) ( らん ) 将軍家 ( しょうぐんけ ) 有力 ( ゆうりょく ) 守護 ( しゅご ) 大名 ( だいみょう ) ( ) 相続 ( そうぞく ) ( あらそ ) いから ( ) きた 戦乱 ( せんらん )

早雲 ( そううん ) のおこした 北条氏 ( ほうじょうし ) 後北条氏 ( ごほうじょうし ) とか、 小田原北条氏 ( おだわらほうじょうし ) とかよばれている。
これは、 鎌倉 ( かまくら ) 幕府 ( ばくふ ) 執権 ( しっけん ) だった 北条氏 ( ほうじょうし ) 区別 ( くべつ ) するためだ。

ちょっとひとこと!!

小川村 ( おがわむら ) 開拓 ( かいたく ) した 小川 ( おがわ ) 九郎兵衛 ( くろべえ ) 先祖 ( せんぞ ) 小川 ( おがわ ) 弥四郎 ( やしろう ) 義勝 ( よしかつ ) もこの 河越 ( かわごえ ) 合戦 ( かっせん ) ( とき ) に22 ( さい ) 戦死 ( せんし ) したと伝えられている。
小川 ( おがわ ) ( ) 先祖 ( せんぞ ) 武蔵 ( むさし ) 武士 ( ぶし ) として ( かつ ) やくしていたのだ!!

ふーん 戦国 ( せんごく ) 時代 ( じだい ) 大名 ( だいみょう ) ( なか ) よくなったり ( たたか ) ったり、また ( なか ) よくなったり、いそがしいのだ。
結婚 ( けっこん ) だの、 養子 ( ようし ) だのと 息子 ( むすこ ) ( むすめ ) もいそがしい。
一族 ( いちぞく ) 命運 ( めいうん ) ( ) けた ( いのち ) がけのおつき ( ) いだしね。

後北条氏家系図

後北条氏 ( ごほうじょうし ) 年表 ( ねんぴょう )

後北条氏年表
できごと
1476
文明 ( ぶんめい ) 8)年
  駿河 ( するが ) 守護 ( しゅご ) 今川 ( いまがわ ) ( ) 相続 ( そうぞく ) ( あらそ ) いを、 早雲 ( そううん ) 太田 ( おおた ) 道灌 ( どうかん ) とともに ( なか ) ( なお ) りさせる。
この ( とき ) 、ふたりは45 ( さい ) ( おな ) ( どし )
1491
延徳 ( えんとく ) 3)年
  この ( とし )    早雲 ( そううん ) 伊豆 ( いず ) 韮山 ( にらやま ) 堀越 ( ほりごえ ) 公方 ( くぼう ) 足利家 ( あしかがけ ) のうちわもめに ( じょう ) じて、 伊豆 ( いず ) ( ) ( ) る。
足利 ( あしかが ) 茶々丸 ( ちゃちゃまる ) ( ) たれる。
1495
明応 ( めいおう ) 4)年
9月 早雲 ( そううん ) 城主 ( じょうしゅ ) 大森藤頼 ( おおもりふじより ) をやぶり、 小田原城 ( おだわらじょう ) をとる。
« 関東 ( かんとう ) 進出 ( しんしゅつ ) 第一歩 ( だいいっぽ ) »
1516
永正 ( えいしょう ) 13)年
7月 早雲 ( そううん ) 相模国 ( さがみのくに ) 征服 ( せいふく ) する。
1519
永正 ( えいしょう ) 16)年
8月 早雲 ( そううん ) 伊豆国 ( いずのくに ) 韮山 ( にらやま ) ( じょう ) ( ぼっ ) する。
1524
大永 ( たいえい ) 4)年
1月 氏綱 ( うじつな ) 上杉朝興 ( うえすぎともおき ) をやぶり、 江戸城 ( えどじょう ) ( ) めとる。
朝興 ( ともおき ) 河越 ( かわごえ ) 埼玉県 ( さいたまけん ) 川越市 ( かわごえし ) )に ( ) げた。
« 武蔵国 ( むさしのくに ) 進出 ( しんしゅつ ) 第一歩 ( だいいっぽ ) »
1537
天文 ( てんぶん ) 6)年
  氏綱 ( うじつな ) 今川 ( いまがわ ) 義元 ( よしもと ) ( たたか ) う。 河越城 ( かわごえじょう ) ( ) めおとす。
« 武蔵国 ( むさしのくに ) ほぼ 征服 ( せいふく ) »
1540
天文 ( てんぶん ) 9)年
  氏照 ( うじてる )    ( ) まれる。( 生年 ( しょうねん ) 他説 ( たせつ ) あり。)
1541
天文 ( てんぶん ) 10)年
7月 氏綱 ( うじつな ) ( ぼっ ) する。
1546
天文 ( てんぶん ) 15)年
4月 氏康 ( うじやす ) 河越 ( かわごえ ) 扇谷上杉氏 ( おうぎがやつうえすぎし ) ( ほろ ) ぼす。« 河越 ( かわごえ ) 夜戦 ( やせん ) »
この ( とし ) 氏照 ( うじてる ) 大石氏 ( おおいしし ) 養子 ( ようし ) となる。
1552
天文 ( てんぶん ) 21)年
1月 関東 ( かんとう ) 管領 ( かんれい ) 上杉憲政 ( うえすぎのりまさ ) 氏康 ( うじやす ) ( ) われ、 上野国 ( こうずけのくに ) より 越後国 ( えちごのくに ) へ、 長尾 ( ながお ) 景虎 ( かげとら ) 上杉謙信 ( うえすぎけんしん ) )を ( たよ ) って ( ) く。
1561
永禄 ( えいろく ) 4)年
2月 氏照 ( うじてる ) 滝山城 ( たきやまじょう ) にはいる。
3月 氏康 ( うじやす ) 氏政 ( うじまさ ) 父子 ( ふし ) 長尾 ( ながお ) 景虎 ( かげとら ) 小田原城 ( おだわらじょう ) 攻撃 ( こうげき ) をしりぞける。
1563
永禄 ( えいろく ) 6)年
  この ( ころ ) 三田氏 ( みたし ) ( ほろ ) ぶ。
1569
永禄 ( えいろく ) 12)年
10月 武田信玄 ( たけだしんげん ) 小田原 ( おだわら ) にせまり、 滝山城 ( たきやまじょう ) 攻撃 ( こうげき ) をうける。
氏照 ( うじてる ) ( ぐん ) 廿里 ( とどり ) などで ( ) にものぐるいの ( たたか ) いをくりひろげ、 落城 ( らくじょう ) をまぬがれる。« 滝山 ( たきやま ) 合戦 ( かっせん ) »
1573
天正 ( てんしょう ) 元)年
4月 武田信玄 ( たけだしんげん ) ( ぼっ ) する。
7月 室町 ( むろまち ) 幕府 ( ばくふ ) ( ほろ ) びる。
1578
天正 ( てんしょう ) 6)年
3月 上杉謙信 ( うえすぎけんしん ) ( ぼっ ) する。
1580
天正 ( てんしょう ) 8)年
3月 氏照 ( うじてる ) ( ぐん ) 武田勝頼 ( たけだかつより ) 信玄 ( しんげん ) ( ) )と 武蔵国 ( むさしのくに ) 各地 ( かくち ) 対戦 ( たいせん ) する。
同月 氏照 ( うじてる ) 安土 ( あづち ) 使者 ( ししゃ ) ( ) し、 信長 ( のぶなが ) 近付 ( ちかづ ) きになろうとする。 武田勝頼 ( たけだかつより ) 上杉 ( うえすぎ ) 景勝 ( かげかつ ) らに 対抗 ( たいこう ) するためだ。
1582
天正 ( てんしょう ) 10)年
3月 信長 ( のぶなが ) ( ぐん ) 武田勝頼 ( たけだかつより ) ( ほろ ) ぼす。
6月 明智光秀 ( あけちみつひで ) 襲撃 ( しゅうげき ) をうけ、 信長 ( のぶなが ) 自殺 ( じさつ ) 。« 本能寺 ( ほんのうじ ) ( へん ) »
羽柴 ( はしば ) 秀吉 ( ひでよし ) 豊臣 ( とよとみ ) 秀吉 ( ひでよし ) )、 明智光秀 ( あけちみつひで ) をやぶる。
1585
天正 ( てんしょう ) 13)年
3月 後北条氏 ( ごほうじょうし ) 小田原城 ( おだわらじょう ) 韮山 ( にらやま ) ( じょう ) 普請 ( ふしん ) をする。
(普請=たてたり、 ( なお ) したりすること)
7月 秀吉 ( ひでよし ) 関白 ( かんぱく ) となる。
1586
天正 ( てんしょう ) 14)年
12月 秀吉 ( ひでよし ) 太政 ( だいじょう ) 大臣 ( だいじん ) となり、 豊臣 ( とよとみ ) ( せい ) をうける。
1587
天正 ( てんしょう ) 15)年
1月 後北条氏 ( ごほうじょうし ) 小田原城 ( おだわらじょう ) 普請 ( ふしん )
5月 秀吉 ( ひでよし ) 九州 ( きゅうしゅう ) 平定 ( へいてい )
9月 氏直 ( うじなお ) 鉄砲 ( てっぽう ) 鋳造 ( ちゅうぞう ) にとりかかる。
1588
天正 ( てんしょう ) 16)年
1月 氏照 ( うじてる ) 各地 ( かくち ) 八王子 ( はちおうじ ) 守備 ( しゅび ) 命令 ( めいれい ) ( ) す。
兵糧 ( ひょうろう ) 確保 ( かくほ ) 人質 ( ひとじち ) として 妻子 ( さいし ) 八王子城 ( はちおうじじょう ) ( ) れることなどを ( めい ) ず。« 戦争 ( せんそう ) 準備 ( じゅんび ) »
4月 秀吉 ( ひでよし ) 大名 ( だいみょう ) たちに 関白 ( かんぱく ) 秀吉 ( ひでよし ) )への 忠誠 ( ちゅうせい ) ( ちか ) わせる。 後北条氏 ( ごほうじょうし ) 出仕 ( しゅっし ) せず。
1589
天正 ( てんしょう ) 17)年
11月 秀吉 ( ひでよし ) ( しょ ) 大名 ( だいみょう ) 北条 ( ほうじょう ) 討伐 ( とうばつ ) 準備 ( じゅんび ) をさせる。
1590
天正 ( てんしょう ) 18)年
4月 4日   秀吉 ( ひでよし ) 小田原城 ( おだわらじょう ) をかこむ。
27日   江戸城 ( えどじょう ) 開城 ( かいじょう ) 。(開城= ( しろ ) をひらいて 降参 ( こうさん ) すること)
5月 20日   岩付 ( いわつき ) ( じょう ) 開城 ( かいじょう )
6月 14日   鉢形城 ( はちがたじょう ) 開城 ( かいじょう )
23日   八王子城 ( はちおうじじょう ) 攻撃 ( こうげき ) をうけ、その ( ) のうちに 落城 ( らくじょう )
7月 5日   氏直 ( うじなお ) 秀吉 ( ひでよし ) 降伏 ( こうふく )
6日   秀吉 ( ひでよし ) 小田原城 ( おだわらじょう ) ( ) ( ) れる。
11日   秀吉 ( ひでよし ) 氏政 ( うじまさ ) 氏照 ( うじてる ) 切腹 ( せっぷく ) させる。 氏直 ( うじなお ) 高野山 ( こうやさん ) ( なが ) される。
13日   秀吉 ( ひでよし ) 家康 ( いえやす ) 関八州 ( かんはっしゅう ) ( あた ) える。
8月 1日   家康 ( いえやす ) 江戸城 ( えどじょう ) にはいる。

戦国 ( せんごく ) 登場 ( とうじょう ) 人物 ( じんぶつ )

戦国 ( せんごく ) 大名 ( だいみょう ) ののぞみは…。 ( きょう ) にのぼって、 天下 ( てんか ) 統一 ( とういつ ) すること。
そのためには、 合戦 ( かっせん ) ( ) つばかりではなく、 ( ) をむすびあったり、はかりごとをしたり、 大変 ( たいへん ) なのだった。

北条 ( ほうじょう )    早雲 ( そううん ) (1432~1519年)

北条早雲    伊勢 ( いせ ) 新九郎 ( しんくろう ) 長氏 ( ながうじ ) 入道 ( にゅうどう ) してからは 早雲 ( そううん ) 庵宗瑞 ( あんそうずい ) ( ) のった。「 北条 ( ほうじょう ) 」を ( ) のるようになったのは、 二代目 ( にだいめ ) 氏綱 ( うじつな ) から。
   早雲 ( そううん ) 出身 ( しゅっしん ) ははっきりしていない。 ( いえ ) がらや ( ) すじを ( ) にする ( ひと ) ではなかったらしい。 ( いもうと ) 駿河 ( するが ) 守護 ( しゅご ) 今川 ( いまがわ ) 義忠 ( よしただ ) ( つま ) であった ( えん ) で、 今川氏 ( いまがわし ) ( ) をよせた。
   ( おな ) ( どし ) 太田 ( おおた ) 道灌 ( どうかん ) は55 ( さい ) ( はか ) ( ころ ) されてしまったが、 早雲 ( そううん ) 関東 ( かんとう ) 活躍 ( かつやく ) したのは、60 ( さい ) ( ) えてから。うーん、 大器 ( たいき ) 晩成 ( ばんせい )
   連歌師 ( れんがし ) 宗長 ( そうちょう ) は、 早雲 ( そううん ) を「 ( はり ) ほどのものも ( くら ) につむほどの ( たくわ ) ( かた ) をしながら、 合戦 ( かっせん ) 費用 ( ひよう ) には、 貴重 ( きちょう ) ( たま ) でさえ ( くだ ) いて 使 ( つか ) ( ひと ) 」だと ( ) っている。
   戦乱 ( せんらん ) ( ) を88 ( さい ) まで ( ) きぬいたのは、とにかくすごい。

古河公方と堀越公方

   足利 ( あしかが ) 成氏 ( しげうじ ) とその 子孫 ( しそん ) をいう。
   成氏 ( しげうじ ) は、1449 ( ねん ) 鎌倉 ( かまくら ) 公方 ( くぼう ) になったが、1454 ( ねん ) 関東 ( かんとう ) 管領 ( かんれい ) 上杉 ( うえすぎ ) 憲忠 ( のりただ ) ( ころ ) し、 室町 ( むろまち ) 幕府 ( ばくふ ) 対立 ( たいりつ )
  1455 ( ねん ) 下総 ( しもうさ ) 古河城 ( こがじょう ) ( うつ ) り、 足利 ( あしかが ) 政知 ( まさとも ) 堀越 ( ほりこし ) 公方 ( くぼう ) 対抗 ( たいこう ) して 古河公方 ( こがくぼう ) ( ) のった。
   反抗 ( はんこう ) して 古河 ( こが ) にいってしまった 成氏 ( しげうじ ) ( ) つため、 幕府 ( ばくふ ) は1457 ( ねん ) 足利 ( あしかが ) 政知 ( まさとも ) 義政 ( よしまさ ) ( おとうと ) )をむかわせた。が、 政知 ( まさとも ) には ( ちから ) がなくて、 鎌倉 ( かまくら ) にははいれず、 伊豆 ( いず ) 韮山 ( にらやま ) 堀越 ( ほりこし ) にとどまり、 堀越 ( ほりこし ) 公方 ( くぼう ) ( ) のって 古河公方 ( こがくぼう ) 対抗 ( たいこう )
  その 死後 ( しご ) は、子の 茶々丸 ( ちゃちゃまる ) がついだが、1491 ( ねん ) 早雲 ( そううん ) ( ほろ ) ぼされた。

古河公方 ( こがくぼう ) 堀越 ( ほりこし ) 公方 ( くぼう ) 対立 ( たいりつ ) する。 山内 ( やまのうち ) 扇谷上杉 ( おうぎがやつうえすぎ ) 対立 ( たいりつ ) する…。
で、 関東 ( かんとう ) 戦乱 ( せんらん ) のまっさかり!

上杉氏 ( うえすぎし )

   足利尊氏 ( あしかがたかうじ ) 直義 ( ただよし ) 兄弟 ( きょうだい ) ( はは ) 上杉氏 ( うえすぎし ) 出身 ( しゅっしん ) だったことから、 足利 ( あしかが ) ( ) ( おも ) ( もち ) いられた。 山内 ( やまのうち ) 宅間 ( たくま ) 犬懸 ( いぬがけ ) 扇谷 ( おうぎがやつ ) 越後 ( えちご ) 各家 ( かくけ ) ( ) かれたが、 ( なか ) でも 山内 ( やまのうち ) 上杉 ( うえすぎ ) 関東 ( かんとう ) 管領 ( かんれい ) ( しょく ) 鎌倉 ( かまくら ) 公方 ( くぼう ) 仕事 ( しごと ) ( たす ) ける ( やく ) )を 独占 ( どくせん ) 上野 ( こうずけ ) 伊豆 ( いず ) 武蔵 ( むさし ) 相模 ( さがみ ) など 関東 ( かんとう ) 勢力 ( せいりょく ) ( ) っていた。
  15 世紀 ( せいき ) 後半 ( こうはん ) に、 古河公方 ( こがくぼう ) 足利 ( あしかが ) 成氏 ( しげうじ ) との 対立 ( たいりつ ) や、 山内 ( やまのうち ) 扇谷 ( おうぎがやつ ) ( りょう ) 上杉 ( うえすぎ ) ( ) 対立 ( たいりつ ) ( ちから ) がおとろえた。
   山内 ( やまのうち ) 上杉憲政 ( うえすぎのりまさ ) は、1546 ( ねん ) 河越 ( かわごえ ) 夜戦 ( やせん ) 北条 ( ほうじょう ) 氏康 ( うじやす ) にやぶれ、 越後 ( えちご ) 長尾 ( ながお ) 景虎 ( かげとら ) (のちの 上杉謙信 ( うえすぎけんしん ) )に 上杉 ( うえすぎ ) ( せい ) 関東 ( かんとう ) 管領 ( かんれい ) ( しょく ) をゆずってしまった。

武田 ( たけだ )    信玄 ( しんげん ) (1521~1573年)

   領国 ( りょうごく ) 甲斐 ( かい ) をかためて、1555 ( ねん ) には、 信濃 ( しなの ) 長野 ( ながの ) )の 一帯 ( いったい ) ( ) めとった。そのため、 上杉謙信 ( うえすぎけんしん ) 対立 ( たいりつ ) することになった。
   ( なか ) でも1561 ( ねん ) 川中島 ( かわなかじま ) ( たたか ) いは 有名 ( ゆうめい )
  1570 ( ねん ) には 駿河 ( するが ) ( ) わせ、 中部 ( ちゅうぶ ) 地方 ( ちほう ) 広大 ( こうだい ) 領国 ( りょうごく ) をつくり、 織田 ( おだ ) 信長 ( のぶなが ) とも 対立 ( たいりつ ) 。1572 ( ねん ) には 遠江 ( とおとうみ ) 静岡県 ( しずおかけん ) 三方ヶ原 ( みかたがはら ) 信長 ( のぶなが ) 家康 ( いえやす ) 連合 ( れんごう ) ( ぐん ) をうち ( やぶ ) り、 ( いきお ) いにのった。が、 ( きょう ) へのぼる ( ゆめ ) をはたさぬうちに 病死 ( びょうし ) 。その ( ) 10 ( ねん ) たらずのうちに、 息子 ( むすこ ) 勝頼 ( かつより ) 信長 ( のぶなが ) 家康 ( いえやす ) 連合 ( れんごう ) ( ぐん ) にやぶれ、 武田 ( たけだ ) ( ) ( ほろ ) んだ。

武田信玄 信玄 ( しんげん ) ( はた ) じるしは「風林火山(ふうりんかざん)」
“はやきこと ( かぜ ) のごとく、しずなかること林のごとし、 侵掠 ( しんりゃく ) すること ( ) のごとく、動かざること ( やま ) のごとし”
これが信玄の戦い方だった。

上杉 ( うえすぎ )    謙信 ( けんしん ) (1530~78年)

はじめ 長尾 ( ながお ) 景虎 ( かげとら ) 、のち 政虎 ( まさとら ) 輝虎 ( てるとら ) ( ) まえをかえた。 入道 ( にゅうどう ) して 謙信 ( けんしん ) ( ) のった。
   越後 ( えちご ) 勢力 ( せいりょく ) ( ) ち、 北条 ( ほうじょう ) 氏康 ( うじやす ) ( ) われた 上杉憲政 ( うえすぎのりまさ ) 武田信玄 ( たけだしんげん ) ( ) められた 村上 ( むらかみ ) ( ) 高梨 ( たかなし ) ( ) らに ( たよ ) りにされた。
   謙信 ( けんしん ) 氏康 ( うじやす ) 信玄 ( しんげん ) 対抗 ( たいこう ) し、 信濃 ( しなの ) 関東 ( かんとう ) によく ( へい ) ( ) している。上杉謙信

毘沙門天 ( びしゃもんてん ) のねっしんな 信者 ( しんじゃ ) だった 謙信 ( けんしん ) ( はた ) じるしは「 ( ) 」の ( ) をそめぬいたもの。
謙信は 生涯 ( しょうがい ) 結婚 ( けっこん ) せず、 質素 ( しっそ ) なくらしをしたとか。

織田 ( おだ )    信長 ( のぶなが ) (1534~1582年)

   尾張 ( おわり ) 愛知県 ( あいちけん ) )の ( ) まれ。
  1560 ( ねん ) ( きょう ) へのぼろうとした 駿河 ( するが ) 今川 ( いまがわ ) 義元 ( よしもと ) 桶狭間 ( おけはざま ) にやぶり、 実力 ( じつりょく ) ( みと ) められはじめる。
  1562 ( ねん ) 三河 ( みかわ ) 徳川 ( とくがわ ) 家康 ( いえやす ) 同盟 ( どうめい ) 尾張国 ( おわりのくに ) 統一 ( とういつ )
  1571 ( ねん ) 将軍 ( しょうぐん ) 足利 ( あしかが ) 義昭 ( よしあき ) 追放 ( ついほう ) して、 室町 ( むろまち ) 幕府 ( ばくふ ) をほろぼす。
  1580 ( ねん ) 畿内 ( きない ) 近国 ( きんこく ) ( きょう ) 近郊 ( きんこう ) )の 支配 ( しはい ) ( けん ) をにぎる。
武田 ( たけだ ) ( ) もほろぼし、 全国 ( ぜんこく ) 統一 ( とういつ ) に「あと 一歩 ( いっぽ ) 」のところで、 家臣 ( かしん ) 明智光秀 ( あけちみつひで ) 反逆 ( はんぎゃく ) にあい、1582 ( ねん ) 本能寺 ( ほんのうじ ) 自殺 ( じさつ ) 織田信長

人間 ( にんげん ) 五十 ( ねん ) 下天 ( げてん ) のうちをくらぶれば ( ゆめ ) まぼろしのごとくなり。ひとたび ( せい ) をえて ( ほろび ) せぬ者のあるべきか」
桶狭間への出陣前に信長が舞ったという「 敦盛 ( あつもり ) 」だ。

豊臣 ( とよとみ )    秀吉 ( ひでよし ) (1536~1598年)

豊臣秀吉   尾張 ( おわり ) ( ) まれ。はじめ 木下 ( きのした ) 藤吉郎 ( とうきちろう ) 信長 ( のぶなが ) 家臣 ( かしん ) となって、 羽柴 ( はしば ) ( せい ) ( ) のる。
   本能寺 ( ほんのうじ ) ( へん ) でたおれた 信長 ( のぶなが ) のあとをついで
  1585 ( ねん ) には 四国 ( しこく ) 長宗我部 ( ちょうそかべ ) ( )
  1587 ( ねん ) には 九州 ( きゅうしゅう ) 島津 ( しまづ ) ( )
  1590 ( ねん ) には 関東 ( かんとう ) 後北条氏 ( ごほうじょうし )
   各地 ( かくち ) 実力者 ( じつりょくしゃ ) たちを 次々 ( つぎつぎ ) とたいらげ、 天下 ( てんか ) をとった。
   豊臣 ( とよとみ ) ( せい ) は、1585 ( ねん ) 関白 ( かんぱく ) となった ( とき ) 朝廷 ( ちょうてい ) より ( ゆる ) されたもの。

機転 ( きてん ) のきく 秀吉 ( ひでよし ) は、 短気 ( たんき ) 信長 ( のぶなが ) にも ( ) ( ) られた。

徳川 ( とくがわ )    家康 ( いえやす ) (1542~1616年)

   三河 ( みかわ ) 岡崎 ( おかざき ) 城主 ( じょうしゅ ) 松平 ( まつだいら ) ( ) 長男 ( ちょうなん ) として ( ) まれる。 松平 ( まつだいら ) ( ) 実力者 ( じつりょくしゃ ) 今川氏 ( いまがわし ) 織田 ( おだ ) ( ) 両側 ( りょうがわ ) からはさまれた ( よわ ) 大名 ( だいみょう ) だった。
   家康 ( いえやす ) は、6 ( さい ) から 織田 ( おだ ) 信秀 ( のぶひで ) 信長 ( のぶなが ) ( ちち ) )、 ( つぎ ) 今川 ( いまがわ ) 義元 ( よしもと ) 人質 ( ひとじち ) としてすごした。
  ひとり ( ) ちができたのは、1560 ( ねん ) 桶狭間 ( おけはざま ) ( たたか ) いで 義元 ( よしもと ) 戦死 ( せんし ) してからだ。
  1562 ( ねん ) 信長 ( のぶなが ) ( ) をむすび、 三河 ( みかわ ) 平定 ( へいてい )
  1590 ( ねん ) 秀吉 ( ひでよし ) ( したが ) って 後北条氏 ( ごほうじょうし ) ( ) め、 関八州 ( かんはっしゅう ) (武蔵・相模・安房・上総・下総・常陸・上野・下野)を ( あた ) えられ、 江戸 ( えど ) 居城 ( きょじょう ) にした。
  のち、ここで 徳川 ( とくがわ ) 幕府 ( ばくふ ) をひらく。 徳川家康

大名 ( だいみょう ) らの ( たから ) じまんで、「 ( たから ) 自分 ( じぶん ) のために 水火 ( すいか ) をとわぬ五百 ( にん ) 三河 ( みかわ ) 武士 ( ぶし ) 」といったとか。 苦労人 ( くろうにん ) らしいね。

戦国 ( せんごく ) ( しろ )

多摩の城

  1. 二宮城 ( にのみやじょう ) (あきる 野市 ( のし ) 二宮 ( にのみや ) 小川 ( おがわ ) ?)← ( べつ ) 場所 ( ばしょ ) にあった、という ( せつ ) も…
    信濃国 ( しなののくに ) 佐久郡 ( さくぐん ) 大石郷 ( おおいしごう ) より 武蔵 ( むさし ) ( ) 大石氏 ( おおいしし ) 居城 ( きょじょう ) 大石氏 ( おおいしし ) 木曽 ( きそ ) 義仲 ( よしなか ) 子孫 ( しそん ) ( ) のっていた。
    この ( しろ ) 貞和 ( じょうわ ) 年間 ( ねんかん ) (1345 ( ねん ) ころ) 大石 ( おおいし ) 信重 ( のぶしげ ) ( きず ) いたといわれる。
  2. 案下城 ( あんげじょう ) 八王子市 ( はちおうじし ) 下恩方 ( しもおんがた )
    元中 ( げんちゅう ) 年間 ( ねんかん ) (1384 ( ねん ) ころ)、 大石 ( おおいし ) 信重 ( のぶしげ ) は、 二宮城 ( にのみやじょう ) からここへ ( うつ ) った。
    ( てら ) ( ) から、 浄福寺城 ( じょうふくじじょう ) 山号 ( さんごう ) から 千手山城 ( せんじゅさんじょう ) 地名 ( ちめい ) から 案下城 ( あんげじょう ) といろいろな ( ) ( ) ( ) っている。
  3. 高月城 ( たかつきじょう ) 八王子市 ( はちおうじし ) 丹木町 ( たんぎまち )
    大石 ( おおいし ) 顕重 ( あきしげ ) ( きず ) き、1458 ( ねん ) 長禄 ( ちょうろく ) 2) 案下城 ( あんげじょう ) より ( うつ ) った。
    その ( ) 定重 ( さだしげ ) 大永 ( たいえい ) 年間 ( ねんかん ) (1521~28ころ) 滝山城 ( たきやまじょう ) ( うつ ) った。
  4. 滝山城 ( たきやまじょう ) 八王子市 ( はちおうじし ) 丹木町 ( たんぎまち )
    もとは 大石氏 ( おおいしし ) ( しろ ) だが、 定重 ( さだしげ ) ( ) 定久 ( さだひさ ) のときに 養子 ( ようし ) にむかえた 氏照 ( うじてる ) ( しろ ) になる。
    1552 ( ねん ) 天文 ( てんぶん ) 12)、 上杉謙信 ( うえすぎけんしん ) 攻撃 ( こうげき ) をうけ、1569 ( ねん ) 永禄 ( えいろく ) 12)には、 氏照 ( うじてる ) ( ぐん ) 武田信玄 ( たけだしんげん ) 勝頼 ( かつより ) ( ぐん ) との 死闘 ( しとう ) 舞台 ( ぶたい ) になった ( しろ ) だ。 滝山城 ( たきやまじょう ) 落城 ( らくじょう ) 寸前 ( すんぜん ) までいったがからくも ( たす ) かった。
  5. 勝沼城 ( かつぬまじょう ) 青梅市 ( おうめし ) 師岡 ( もろおか )
    平将門 ( たいらのまさかど ) 子孫 ( しそん ) ( ) のる 三田氏 ( みたし ) ( しろ ) だった。 三田氏 ( みたし ) は「 ( そま ) ( ) 」と ( ) ばれた 多摩 ( たま ) ( がわ ) 上流 ( じょうりゅう ) 一帯 ( いったい ) 領土 ( りょうど ) にしていた。「 ( そま ) ( ) 」とは 山方 ( やまがた ) という 意味 ( いみ ) 。16 世紀 ( せいき ) 前半 ( ぜんはん ) 三田 ( みた ) 弾正 ( だんじょう ) 氏宗 ( うじむね ) 、その ( ) 政定 ( まささだ ) ( ころ ) ( もっと ) ( さか ) んだった。
    1563 ( ねん ) 後北条氏 ( ごほうじょうし ) にそむいた 三田氏 ( みたし ) ( ほろ ) ぼされた。
    この ( しろ ) は、 後北条氏 ( ごほうじょうし ) 家臣 ( かしん ) 師岡 ( もろおか ) 山城守 ( やましろのかみ ) 将景 ( まさかげ ) ( ) み、 甲斐 ( かい ) 武田 ( たけだ ) ( ) への ( そな ) えとなった。
  6. 辛垣城 ( からかいじょう ) 青梅市 ( おうめし ) 二俣尾 ( ふたまたお )
    後北条氏 ( ごほうじょうし ) 対立 ( たいりつ ) して 圧力 ( あつりょく ) ( ) けた 三田氏 ( みたし ) は、 勝沼城 ( かつぬまじょう ) から、ここ 辛垣城 ( からかいじょう ) ( うつ ) って ( ) た。 ( ほろ ) んだのは 城主 ( じょうしゅ ) 三田 ( みた ) 綱秀 ( つなひで ) ( とき )
    綱秀 ( つなひで ) 埼玉県 ( さいたまけん ) 岩槻 ( いわつき ) におちのびて 自殺 ( じさつ ) した。250 年間 ( ねんかん ) ( そま ) ( ) 支配 ( しはい ) してきたのだけれど。
  7. 楯沢城 ( たてのさわじょう ) 青梅市 ( おうめし ) 日向 ( ひなた ) 和田 ( わだ ) 楯沢 ( たてのさわ )
    三田氏 ( みたし ) 勝沼城 ( かつぬまじょう ) にいた 時代 ( じだい ) からの 出城 ( でじろ ) だった。 辛垣城 ( からかいじょう ) 攻撃 ( こうげき ) ( とき ) 一緒 ( いっしょ ) ( ほろ ) んだ。
  8. 軍畑 ( いくさばた ) 青梅市 ( おうめし ) 沢井 ( さわい )
    ここは 三田氏 ( みたし ) 後北条氏 ( ごほうじょうし ) 合戦 ( かっせん ) ( じょう ) となったところ。このあたりの 多摩 ( たま ) ( がわ ) ( たに ) ( あさ ) く、 ( かわ ) ( わた ) って ( ) ( ) りやすかったそうな。
    滝山城 ( たきやまじょう ) から ( すす ) んだ 氏照 ( うじてる ) ( ぐん ) と、ここを ( まも ) らねばと 主力 ( しゅりょく ) ( あつ ) めた 三田氏 ( みたし ) ( あいだ ) 大激戦 ( だいげきせん ) となった。
  9. 檜原城 ( ひのはらじょう ) 檜原村 ( ひのはらむら ) 本宿 ( もとじゅく )
    平山 ( ひらやま ) ( ) ( きず ) き、のち、 後北条氏 ( ごほうじょうし ) 支配 ( しはい ) する ( しろ ) になる。 八王子 ( はちおうじ ) 滝山城 ( たきやまじょう ) 五日市 ( いつかいち ) 戸倉城 ( とくらじょう ) などとともに、 甲斐 ( かい ) 武田 ( たけだ ) ( ) への ( そな ) えの ( しろ )
    武田 ( たけだ ) ( ぐん ) ( ) めて ( ) ( とき ) 狼煙 ( のろし ) をあげ、 戸倉 ( とくら ) 網代 ( あじろ ) 戸吹 ( とぶき ) 高月 ( たかつき ) 滝山 ( たきやま ) へと 連絡 ( れんらく ) ができる。(お ( しろ ) 位置 ( いち ) ( ゆび ) でたどってごらん。)
  10. 網代城あじろじょう ) (あきる野市 ( のし )
  11. 戸倉城とくろじょう ) (あきる野市 ( のし )
  12. ( とどり ) 合戦 ( かっせん ) ( じょう ) 八王子市 ( はちおうじし ) 廿里 ( とどり ) ( まち )
    1569 ( ねん ) 永禄 ( えいろく ) 12)、 滝山城 ( たきやまじょう ) 進軍 ( しんぐん ) した 武田 ( たけだ ) ( ぐん ) と、むかえる 氏照 ( うじてる ) ( ぐん ) 激突 ( げきとつ ) した 古戦場 ( こせんじょう )
    ここで 小仏峠 ( こぼとけとうげ ) をこえて ( ) 武田 ( たけだ ) 部将 ( ぶしょう ) 小山田 ( おやまだ ) 信茂 ( のぶしげ ) 氏照 ( うじてる ) 重臣 ( じゅうしん ) 横地 ( よこち ) 監物 ( けんもつ ) 中山 ( なかやま ) 勘解由 ( かげゆ ) らが ( たたか ) った。
  1. 小仏 ( こぼとけ ) 関所 ( せきしょ ) 八王子市 ( はちおうじし ) 裏高尾 ( うらたかお )
    元亀3年ごろの勢力図 甲斐 ( かい ) 相模 ( さがみ ) との ( さかい ) にある 小仏峠 ( こぼとけとうげ ) のあたりは 後北条氏 ( ごほうじょうし ) にとって 重要 ( じゅうよう ) ( まも ) りの 場所 ( ばしょ ) だった。
    甲斐から 武田 ( たけだ ) ( ) がはいりこめば、ここから 八王子城 ( はちおうじじょう ) 狼煙 ( のろし ) ですぐ 連絡 ( れんらく ) できた。
    はじめは 小仏峠 ( こぼとけとうげ ) 頂上 ( ちょうじょう ) にあったのを、 氏照 ( うじてる ) が1580 ( ねん ) 駒木野 ( こまぎの ) にうつし、さらに ( いま ) 関所跡 ( せきしょあと ) のところにうつった。
     
  2. 八王子城 ( はちおうじじょう ) 八王子市 ( はちおうじし ) 元八王子町 ( もとはちおうじまち )

体験 ( たいけん ) !   八王子城 ( はちおうじじょう )

八王子城 ( はちおうじじょう ) 深沢山 ( ふかざわやま ) 標高 ( ひょうこう ) 540メートルの 自然 ( しぜん ) 地形 ( ちけい ) ( ) ( くわ ) え、いざという ( とき ) はここにこもって ( たたか ) えるようにつくられた 広大 ( こうだい ) ( しろ ) だ。
曲輪 ( くるわ ) 」とは、 ( ) るい、 ( せき ) るい、 ( ほり ) などで 区切 ( くぎ ) られた 場所 ( ばしょ ) 陣地 ( じんち ) 屋敷 ( やしき ) ( ) くための ( ひら ) たい 場所 ( ばしょ ) になっている。また、「 勢隠 ( せがく ) し」という 軍隊 ( ぐんたい ) をかくしておく 場所 ( ばしょ ) もつくられているし、「 ( ほり ) ( ) り」といって、 ( てき ) がまっすぐ ( すす ) めないよう 尾根 ( おね ) ( ) ( はな ) 工夫 ( くふう ) もしている。

上空から見た八王子城

滝山城 ( たきやまじょう ) から 八王子城 ( はちおうじじょう )

   後北条氏 ( ごほうじょうし ) 勢力 ( せいりょく ) におされた 大石定久 ( おおいしさだひさ ) 氏康 ( うじやす ) 二男 ( じなん ) 氏照 ( うじてる ) 滝山城 ( たきやまじょう ) にむかえ、あとつぎにした。1546 ( ねん ) のことだ。 氏照 ( うじてる ) はさらに 滝山城 ( たきやまじょう ) から、 八王子城 ( はちおうじじょう ) ( ) ( ) すが、その 時期 ( じき ) ははっきりしていない。
  1. 元亀 ( げんき ) から 天正 ( てんしょう ) ( はじ ) めごろ(1570~73)
  2. 天正 ( てんしょう ) 6 ( ねん ) (1578) 前後 ( ぜんご )
  3. 天正 ( てんしょう ) 10 ( ねん ) (1582)よりあと。 落城 ( らくじょう ) (1590) ( ちか ) くなど、いろいろな ( せつ ) がある。

   ( ) ( ) した 理由 ( りゆう ) も、 永禄 ( えいろく ) 12 ( ねん ) (1569) 甲斐 ( かい ) 武田 ( たけだ ) ( ) ( ) められて、 落城 ( らくじょう ) 寸前 ( すんぜん ) になった 滝山城 ( たきやまじょう ) 欠点 ( けってん ) がわかったためとか ( ) われる。しかし、 ( たし ) かなところはわからない。
   八王子 ( はちおうじ ) はそのころから ( さか ) えていたし、 交通 ( こうつう ) ( かなめ ) でもあった。 軍事的 ( ぐんじてき ) 重要 ( じゅうよう ) 場所 ( ばしょ ) だったから、 氏照 ( うじてる ) ( はや ) くから、 ( しろ ) 八王子 ( はちおうじ ) ( うつ ) そうと ( おも ) っていたのではないか、という ( せつ ) もある。

小田原 ( おだわら ) 戦争 ( せんそう ) 前夜 ( ぜんや )

   織田 ( おだ ) 信長 ( のぶなが ) 意志 ( いし ) をついだ 豊臣 ( とよとみ ) 秀吉 ( ひでよし ) は、 西日本 ( にしにっぽん ) 征服 ( せいふく ) した。さぁ、 ( つぎ ) 東日本 ( ひがしにっぽん ) ( ばん ) だ!  ところが、 関東 ( かんとう ) には 後北条氏 ( ごほうじょうし ) 東北 ( とうほく ) には 伊達 ( だて ) ( ) 二大 ( にだい ) 勢力 ( せいりょく ) がたちふさがっている。
   天正 ( てんしょう ) 15 ( ねん ) (1587)、 秀吉 ( ひでよし ) は、 後北条氏 ( ごほうじょうし ) ( たお ) すことを 決意 ( けつい ) した。 天下 ( てんか ) 統一 ( とういつ ) のために。
   天正 ( てんしょう ) 17 ( ねん ) (1589)11 ( がつ ) 24 ( ) 秀吉 ( ひでよし ) はとうとう ( はな ) ( ) いをうちきる 手紙 ( てがみ ) 後北条氏 ( ごほうじょうし ) ( ) している。いよいよ 本格的 ( ほんかくてき ) 戦闘 ( せんとう ) 準備 ( じゅんび ) だ。
   秀吉 ( ひでよし ) 動員 ( どういん ) 能力 ( せんりょく ) ( へい ) ( うご ) かせる ( ちから ) )は58 ( しゅう ) 、1,650 万石 ( まんごく ) で41 ( まん ) 2,000 ( にん )
後北条氏 ( ごほうじょうし ) 関八州 ( かんはっしゅう ) その ( ) 285 万石 ( まんごく ) で7 ( まん ) 1,000 ( にん ) 秀吉 ( ひでよし ) はそのうち ( やく ) 15 ( まん ) ( にん ) 小田原城 ( おだわらじょう ) につぎこんだ。 八王子城 ( はちおうじじょう ) には1 ( まん ) 5,000 ( にん ) あまりの 軍勢 ( ぐんぜい ) ( ) めこんだが、 ( まも ) ( しろ ) ( がわ ) はこれに ( たい ) してわずか3,000 ( にん )

八王子城 ( はちおうじじょう )    落城 ( らくじょう )

   天正 ( てんしょう ) 18 ( ねん ) (1590)4 ( がつ ) より、 秀吉 ( ひでよし ) ( ぐん ) 関東 ( かんとう ) にある 後北条氏 ( ごほうじょうし ) ( しろ ) をつぎつぎとつぶしていった。 秀吉 ( ひでよし ) 上杉 ( うえすぎ ) 景勝 ( かげかつ ) 前田 ( まえだ ) 利家 ( としいえ ) 部隊 ( ぶたい ) 八王子城 ( はちおうじじょう ) ( そう ) 攻撃 ( こうげき ) ( めい ) じる。
   八王子城 ( はちおうじじょう ) は、 横地 ( よこち ) 監物 ( けんもつ ) 中山 ( なかやま ) 勘解由 ( かげゆ ) 狩野 ( かのう ) 一庵 ( いちあん ) 近藤助実 ( こんどうすけざね ) 金子家重 ( かねこいえしげ ) 重臣 ( じゅうしん ) が、 小田原 ( おだわら ) 本城 ( ほんじょう ) につめた 城主 ( じょうしゅ ) 氏照 ( うじてる ) 留守 ( るす ) をまもっていた。 氏照 ( うじてる ) 領内 ( りょうない ) には 天正 ( てんしょう ) 16 ( ねん ) (1588) 正月 ( しょうがつ ) には、すでに 出動 ( しゅつどう ) の「お ( ) れ」がとんでいる。“15 ( さい ) 以上 ( いじょう ) 70 ( さい ) までの「 ( おとこ ) たるほどの ( もの ) 」はまかりいでよ。( 家臣 ( かしん ) の) 妻子 ( さいし ) 人質 ( ひとじち ) として 八王子城 ( はちおうじじょう ) にはいれ”という 内容 ( ないよう ) だった。 ( さむらい ) だけでなく、 農民 ( のうみん ) 職人 ( しょくにん ) 山伏 ( やまぶし ) らもだ。
   天正 ( てんしょう ) 18(1590) ( ねん ) 、6 ( がつ ) 21 ( にち ) 八王子城 ( はちおうじじょう ) ( だい ) 横地 ( よこち ) 監物 ( けんもつ ) あてに 降伏 ( こうふく ) をすすめる 手紙 ( てがみ ) ( おく ) られてきたが、 監物 ( けんもつ ) らは「この ( しろ ) ( あずか ) 以上 ( いじょう ) は、 ( しろ ) をたてに ( ) ( ) にする 覚悟 ( かくご ) だ」と ( もう ) ( ) をけった。
  かくして6 ( がつ ) 23 ( にち ) 午前 ( ごぜん ) 2 ( ) ( ごろ ) より 八王子城 ( はちおうじじょう ) ( そう ) 攻撃 ( こうげき ) 開始 ( かいし ) 。その ( ) 午後 ( ごご ) 4 ( ) ( ごろ ) まで、やく14 時間 ( じかん ) 戦闘 ( せんとう ) で、 八王子城 ( はちおうじじょう ) ( ) とされた。 重臣 ( じゅうしん ) たちは 次々 ( つぎつぎ ) ( ) ( ) に。 ( しろ ) ( ) につつまれ、 ( おんな ) ( ひと ) ( ) どもたちは 自分 ( じぶん ) から ( いのち ) ( ) っていった。
   ( ) める ( ほう ) も、 ( まも ) ( ほう ) も、 ( おお ) きな 犠牲 ( ぎせい ) をはらった ( たたか ) いだった。
   八王子城 ( はちおうじじょう ) 落城 ( らくじょう ) のしらせに、7 ( がつ ) 5 ( ) 小田原城 ( おだわらじょう ) もついに 無条件 ( むじょうけん ) 降伏 ( こうふく ) 。7 ( がつ ) 11 ( にち ) には、 氏照 ( うじてる ) も、 ( あに ) 氏政 ( うじまさ ) とともに 切腹 ( せっぷく ) 家康 ( いえやす ) ( むすめ ) 結婚 ( けっこん ) していた 氏直 ( うじなお ) 氏政 ( うじまさ ) ( ) )は ( いのち ) ( たす ) けられ、 高野山 ( こうやさん ) 追放 ( ついほう ) されたが 早死 ( はやじに ) だった。 秀吉 ( ひでよし ) から 関八州 ( かんはっしゅう ) ( あた ) えられた 家康 ( いえやす ) は8 ( がつ ) 1日 ( ついたち ) 江戸 ( えど ) ( ) り。のち、この ( ) 徳川 ( とくがわ ) 幕府 ( ばくふ ) をひらく。

八王子城 ( はちおうじじょう ) 出土品 ( しゅつどひん )

おはじき( ( あそ ) 道具 ( どうぐ ) か?)、 中国製 ( ちゅうごくせい ) 陶磁器 ( とうじき ) ( こめ ) ( むぎ ) ( あわ ) など 食品 ( しょくひん ) ( ) かれ ( すみ ) のようになったもの。すずり、 ( ちゃ ) うすなどお ( ちゃ ) 道具 ( どうぐ )
山頂 ( さんちょう ) 本丸 ( ほんまる ) ( ちか ) くでは、まだ 使 ( つか ) っていない 鉄砲 ( てっぽう ) のたま、 ( ) けた ( くし ) ( おんな ) ( ひと ) がここまで ( ) げのびて ( ) たのだろう。)なども ( ) つかった。 ( ほか ) にも ( やり ) ( かたな ) ・かんざし・ ( かがみ ) などなど。
あれ、なに?
( たたか ) いの 道具 ( どうぐ ) ( おんな ) ( ひと ) たちがふだんの 生活 ( せいかつ ) 使 ( つか ) っていたものがまざって ( ) てくるのがよけい ( かな ) しい ( ) がする。

御主殿 ( ごしゅでん ) ( たき ) のはなし

   近藤助実 ( こんどうすけざね ) 金子家重 ( かねこいえしげ ) らが ( ) ちとられ、つづいて 狩野 ( かのう ) 一庵 ( いちあん ) ( ) ( ) に。 御主殿 ( ごしゅでん ) にいた ( おお ) くの ( おんな ) ( ひと ) ( ) どもたちは ( ) いつめられ、 御主殿 ( ごしゅでん ) ( たき ) ( ) をなげた。 ( ふち ) はその ( ) ( あか ) ( ) まったという。
いつの 時代 ( じだい ) 戦争 ( せんそう ) というのはむごい…。

八王子城に行ってみよう!
戦国 ( せんごく ) ( しろ ) に、 舗装 ( ほそう ) されたはば ( ひろ ) ( みち ) などない!
( てき ) がはいりこみにくいように 見渡 ( みわた ) しが ( わる ) いように 工夫 ( くふう ) してある。
また、せまい ( みち ) を、わざとのぼったり、くだったりさせているんだ。

中の曲輪あたりから見る風景は最高

え~と、みんな、感想は・・

参考 ( さんこう ) にした ( ほん )

八王子城 ( はちおうじじょう ) -みる・きく・あるく-」
八王子市 ( はちおうじし ) ( )
八王子城 ( はちおうじじょう ) 」(八王子市教育委員会)
「わが ( まち ) 歴史 ( れきし )    八王子 ( はちおうじ )
多摩 ( たま ) 古城址 ( こじょうし )
多摩 ( たま ) 丘陵 ( きゅうりょう ) 古城址 ( こじょうし )
後北条氏 ( ごほうじょうし )
戦国 ( せんごく ) ( ) わりを ( ) げた ( しろ )
武蔵野 ( むさしの ) 城館址 ( じょうかんし )
多摩 ( たま ) のあゆみ」 ( だい ) 40 ( ごう )
角川 ( かどかわ ) 日本史 ( にっぽんし ) 小辞典 ( しょうじてん ) 」… 以上 ( いじょう ) 2 ( かい ) 参考室 ( さんこうしつ ) 郷土 ( きょうど ) 資料室 ( しりょうしつ )
学研 ( がっけん ) ( ) かん   日本 ( にっぽん ) 歴史 ( れきし ) 3」…1 ( かい ) 児童 ( じどう ) 参考 ( さんこう ) 図書 ( としょ ) コーナー
中公文庫 ( ちゅうこうぶんこ ) 日本 ( にっぽん ) 歴史 ( れきし ) 11. 戦国 ( せんごく ) 大名 ( だいみょう )
後北条氏 ( ごほうじょうし ) 研究 ( けんきゅう ) 」…1 ( かい ) 大人 ( おとな ) ( ほん ) のコーナー
その他いろいろ…

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掲載日 令和7年8月1日