文字サイズ

背景色を変える

図書館メニュー
  • 小平市に関すること
  • 多摩に関すること
  • 江戸・東京に関すること
  • 玉川上水・小金井桜に関すること
  • その他
  • 子どものページへ

ここから本文です。

40. (はな)江戸(えど)(じょう) Part1(パートワン)

(はな)江戸(えど)(じょう)

江戸城()(まる)巽櫓(たつみやぐら)多聞(たもん)東櫓(ひがしやぐら)

130年ってほんの?ほんの? (いま)皇居(こうきょ)のある場所(ばしょ)は、ほんの130(ねん)ぐらい(まえ)までは、江戸城(えどじょう)だった。
徳川(とくがわ)家康(いえやす)関東(かんとう)入国(にゅうこく)以来(いらい)(1590)、(あま)もりの修理(しゅうり)から(はじ)まって、全国(ぜんこく)大名(だいみょう)をかりだし、工事(こうじ)につぐ工事(こうじ)(かさ)ね、50(ねん)月日(つきひ)をかけて完成(かんせい)した江戸城(えどじょう)日本一(にっぽんいち)広大(こうだい)(しろ)だった。
そして、その()徳川(とくがわ)三百(ねん)(あいだ)にいくたびもの火事(かじ)などの災害(さいがい)出会(であ)いながら、再建(さいけん)をくり(かえ)した。(復旧(ふっきゅう)作業(さぎょう)はおよそ80(かい)とか)
大変(たいへん)だったんだねえ」と(おも)わず(かた)()きしめたくなるその歴史(れきし)を、みんなでいっしょにたどってみようね。

なりきって、はりきって、花の江戸城へ!

江戸城(えどじょう)年表(ねんぴょう)

工事、工事のくりかえしなんですね

江戸城年表
できごと
治承(じしょう)4(1180)(ねん) 10(がつ) 江戸(えど)太郎(たろう)重長(しげなが)一族(いちぞく)をひきいて、武蔵国(むさしのくに)入国(にゅうこく)した源頼朝(みなもとのよりとも)(ぐん)(くわ)わる。((はじ)秩父(ちちぶ)(せい)、のち江戸(えど)(せい)をなのる)
康正(こうしょう)2(1456)(ねん) 扇谷(おうぎがやつ)上杉家(うえすぎけ)執事(しつじ)太田(おおた)資清(すけきよ)資長(すけなが)道灌(どうかん)親子(おやこ)江戸城(えどじょう)建設(けんせつ)(はじ)める。
長禄(ちょうろく)(がん)(1457)(ねん) 4(がつ)8日(ようか) 江戸城(えどじょう)完成(かんせい)
文明(ぶんめい)18(1486)(ねん) 7(がつ)26(にち) 太田(おおた)道灌(どうかん)上杉(うえすぎ)定正(さだまさ)暗殺(あんさつ)される。
大永(たいえい)4(1524)(ねん) 1(がつ) 北条(ほうじょう)氏綱(うじつな)上杉(うえすぎ)朝興(ともおき)をやぶり、江戸城(えどじょう)(うば)う。これより、江戸城(えどじょう)は、小田原(おだわら)北条氏(ほうじょうし)一支城(いちしじょう)となる。
天正(てんしょう)17(1589)(ねん) 11(がつ)24() 豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)小田原(おだわら)北条氏(ほうじょうし)宣戦(せんせん)布告(ふこく)
天正(てんしょう)18(1590)(ねん) 4(がつ)3日(みっか) 徳川(とくがわ)家康(いえやす)浅野(あさの)長政(ながまさ)攻撃(こうげき)により江戸城(えどじょう)落城(らくじょう)
8(がつ)1日(ついたち) 家康(いえやす)江戸城(えどじょう)入城(にゅうじょう)
9(がつ)1日(ついたち) 江戸城(えどじょう)応急(おうきゅう)修理(しゅうり)(はじ)まる。
天正(てんしょう)19(1591)(ねん) 4(がつ) 家康(いえやす)配下(はいか)武将(ぶしょう)たちに、領地(りょうち)1万石(まんごく)につき、人夫(にんぷ)5(にん)()させて、江戸城(えどじょう)修築(しゅうちく)
文禄(ぶんろく)(がん)(1592)(ねん) 3(がつ)16(にち) 西(にし)(まる)(ひろ)げる工事(こうじ)(はじ)まる。
8(がつ) 大雨(おおあめ)土居(どい)(つち)(かき))がくずれ、(ほり)()まる。
9(がつ) それを修理(しゅうり)する。
文禄(ぶんろく)2(1593)(ねん) (しょう)(がつ) 修築(しゅうちく)開始(かいし)。6(がつ) またまた修築(しゅうちく)
8(がつ) 大風雨(だいふうう)で、(しろ)のところどころがこわれ、修理(しゅうり)
西(にし)(まる)完成(かんせい)()(まる)(さん)(まる)吹上(ふきあげ)のおおもとの工事(こうじ)(はじ)まる。
慶長(けいちょう)8(1603)(ねん) 2(がつ)12(にち) 家康(いえやす)征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となり、江戸(えど)幕府(ばくふ)(ひら)く。
3(がつ) 神田山(かんだやま)をくずし、洲崎(すざき)()()てを(はじ)める。
水路(すいろ)をつくる工事(こうじ)(はじ)める。
慶長(けいちょう)9(1604)(ねん) 6(がつ)1日(ついたち) 幕府(ばくふ)江戸城(えどじょう)(ひろ)げる工事(こうじ)命令(めいれい)をだす。
8(がつ) 西国(さいごく)大名(だいみょう)たち、石材(せきざい)などを江戸(えど)(はこ)ぶことを(めい)じられる。
慶長(けいちょう)10(1605)(ねん) 4(がつ)16(にち) 秀忠(ひでただ)()(だい)将軍(しょうぐん)となる。
慶長(けいちょう)11(1606)(ねん) (しょう)(がつ) 秀忠(ひでただ)(しょ)大名(だいみょう)江戸城(えどじょう)修築(しゅうちく)(めい)じる。
11(がつ) 江戸城(えどじょう)工事(こうじ)のため、武州(ぶしゅう)成木村(なりきむら)(いま)青梅市(おうめし))に石灰(せっかい)御用(ごよう)(めい)じる。
慶長(けいちょう)12(1607)(ねん) 9(がつ) 天守台(てんしゅだい)完成(かんせい)
9(がつ)(まつ) 5(そう)大天守(だいてんしゅ)完成(かんせい)屋根(やね)(がわら)(どう)()かれる。この(ころ)大手門(おおてもん)完成(かんせい)(ほん)(まる)()(まる)(さん)(まる)工事(こうじ)おわる。
慶長(けいちょう)15(1610)(ねん) 3(がつ) 西(にし)(まる)工事(こうじ)(はじ)まる。
慶長(けいちょう)16(1611)(ねん) 3(がつ) 西(にし)(まる)外堀(そとぼり)(ひろ)げる。
慶長(けいちょう)19(1614)(ねん) (しょう)(がつ) 西(にし)(まる)(した)大名(だいみょう)小路(こうじ)石垣(いしがき)工事(こうじ)(はじ)まる。
4(がつ) (ほん)(まる)()(まる)(さん)(まる)、および中郭(ちゅうかく)最大(さいだい)規模(きぼ)石垣(いしがき)修築(しゅうちく)工事(こうじ)(はじ)まる。
10(がつ) 大阪(おおさか)(ふゆ)(じん)のため、工事(こうじ)一時(いちじ)中止(ちゅうし)
元和(げんな)(がん)(1615)(ねん) 4(がつ) 大阪(おおさか)(なつ)(じん)
5(がつ) 豊臣家(とよとみけ)滅亡(めつぼう)
元和(げんな)2(1616)(ねん) 神田川(かんだがわ)外堀(そとぼり)にする工事(こうじ)(はじ)まる。
4(がつ) 家康(いえやす)()くなる。
元和(げんな)6(1620)(ねん) 秀忠(ひでただ)土居(どい)をすべて石垣(いしがき)になおす。
4(がつ) 竹橋門(たけばしもん)など、内郭(ないかく)内側(うちがわ)のかこい)の(もん)完成(かんせい)する。
元和(げんな)8(1622)(ねん) 2(がつ) 西(にし)(まる)、ふたたび修築(しゅうちく)。ここを(ぜん)将軍(しょうぐん)住居(じゅうきょ)とする。
(ほん)(まる)御殿(ごてん)天守(てんしゅ)(やぐら)修築(しゅうちく)天守台(てんしゅだい)石垣(いしがき)改修(かいしゅう)(はじ)まる。
元和(げんな)9(1623)(ねん) 7(がつ)27(にち) 家光(いえみつ)(さん)(だい)将軍(しょうぐん)となる。
この(とし) 天守(てんしゅ)(やぐら)天守台(てんしゅだい)修築(しゅうちく)、おわる。
寛永(かんえい)(がん)(1624)(ねん) この(とし)西(にし)(まる)御殿(ごてん)改修(かいしゅう)、おわる。
寛永(かんえい)3(1626)(ねん) (しょう)(がつ) 西(にし)(まる)、とくに石垣(いしがき)をふたたび修築(しゅうちく)
寛永(かんえい)4(1627)(ねん) この(とし)半蔵門(はんぞうもん)工事(こうじ)、おわる。
寛永(かんえい)5(1628)(ねん) この(とし)内郭(ないかく)石垣(いしがき)、だいたい完成(かんせい)する。
寛永(かんえい)6(1629)(ねん) (しょう)(がつ) 総構(そうがま)えを(ひろ)げる工事(こうじ)(はじ)まる。
寛永(かんえい)11(1634)(ねん) 7(がつ)23(にち) 西(にし)(まる)御殿(ごてん)()()せる。
寛永(かんえい)12(1635)(ねん) (しょう)(がつ) ()(まる)御殿(ごてん)増築(ぞうちく)などの工事(こうじ)(はじ)まる。
寛永(かんえい)13(1636)(ねん) (しょう)(がつ) 江戸城(えどじょう)工事(こうじ)総仕上(そうしあ)げのため、全国(ぜんこく)大名(だいみょう)総動員(そうどういん)する。この工事(こうじ)江戸城(えどじょう)総構(そうがま)えが完成(かんせい)
2(がつ) ()けた西(にし)(まる)御殿(ごてん)再建(さいけん)工事(こうじ)(はじ)まる。
7(がつ) 江戸城(えどじょう)主郭(しゅかく)内郭(ないかく)外郭(がいかく)完成(かんせい)する。
寛永(かんえい)14(1637)(ねん) (しょう)(がつ) 天守(てんしゅ)(ほん)(まる)御殿(ごてん)改築(かいちく)(はじ)まる。
寛永(かんえい)15(1638)(ねん) 8(がつ) 江戸城(えどじょう)(ない)からの火事(かじ)で、(ほん)(まる)()()せる。(「寛永(かんえい)日記(にっき)」では寛永(かんえい)16(ねん)(1639))
寛永(かんえい)16(1639)(ねん) 9(がつ) ()けた(ほん)(まる)御殿(ごてん)(やぐら)(もん)再建(さいけん)工事(こうじ)(はじ)まる。よく(ねん)、4(がつ)(ほん)(まる)完成(かんせい)
寛永(かんえい)20(1643)(ねん) ()(まる)(さん)(まる)石垣(いしがき)修理(しゅうり)
(さん)(まる)(さん)(まる)御殿(ごてん)()てる。
慶安(けいあん)(がん)(1648)(ねん) 9(がつ) 西(にし)(まる)、またまた修築(しゅうちく)(はじ)まる。
慶安(けいあん)4(1651)(ねん) 8(がつ)18(にち) 家綱(いえつな)(よん)(だい)将軍(しょうぐん)となる。
明暦(めいれき)3(1657)(ねん) (しょう)(がつ)18~19(にち) 江戸城(えどじょう)城下町(じょうかまち)振袖(ふりそで)火事(かじ)明暦(めいれき)大火(たいか))で大被害(だいひがい)西(にし)(まる)をのぞいて、天守(てんしゅ)(ほん)(まる)御殿(ごてん)、すべて()()せる。建てちゃ焼け建てちゃ焼けしてるわけだ
死者(ししゃ)10(まん)(にん)という。天守(てんしゅ)再建(さいけん)されないままとなる。
8(がつ) (ほん)(まる)御殿(ごてん)()(まる)(さん)(まる)(やぐら)(もん)再建(さいけん)する。
万治(まんじ)(がん)(1658)(ねん) 5(がつ)9日(ここのか)万治(まんじ)2(1659)(ねん)8(がつ)29(にち) 再建(さいけん)(だい)工事(こうじ)、おこなわれる。
延宝(えんぽう)8(1680)(ねん) 8(がつ)23(にち) 綱吉(つなよし)()(だい)将軍(しょうぐん)になる。
宝永(ほうえい)6(1709)(ねん) 5(がつ)1日(ついたち) 家宣(いえのぶ)(ろく)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
宝永(ほうえい)7(1710)(ねん) 吹上(ふきあげ)御成門(おなりもん)完成(かんせい)
正徳(しょうとく)3(1713)(ねん) 4(がつ)2日(ふつか) 家継(いえつぐ)(しち)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
享保(きょうほう)(がん)(1716)(ねん) 4(がつ)30(にち) 吉宗(よしむね)(はち)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
享保(きょうほう)6(1721)(ねん) 三角(さんかく)矢来(やらい)物見(ものみ)(やぐら)吹上(ふきあげ)(きず)く。
享保(きょうほう)9(1724)(ねん) (しょう)(がつ)30(にち) 江戸(えど)市中(しちゅう)大火(たいか)芝口門(しばぐちもん)()()せる。
これ以降(いこう)再建(さいけん)されず。
享保(きょうほう)16(1731)(ねん) 4(がつ) 江戸(えど)市中(しちゅう)大火(たいか)
8(がつ) 虎ノ門(とらのもん)()()せる。
延享(えんきょう)2(1745)(ねん) 11(がつ)2日(ふつか) 家重(いえしげ)(きゅう)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
宝暦(ほうれき)10(1760)(ねん) 9(がつ)2日(ふつか) 家治(いえはる)(じゅう)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
明和(めいわ)(がん)(1764)(ねん) 2(がつ) 江戸(えど)市中(しちゅう)大火(たいか)鍜治橋門(かじばしもん)()()せる。
明和(めいわ)5(1768)(ねん) 竹橋門(たけばしもん)(かみなり)がおっこちて、()えあがる。ただちに再建(さいけん)
安永(あんえい)(がん)(1772)(ねん) 2(がつ) 大火(たいか)日比谷門(ひびやもん)桜田門(さくらだもん)馬場(ばば)先門(さきもん)常磐橋(ときわばし)(もん)()く。
天明(てんめい)7(1787)(ねん) 3(がつ)6日(むいか) 家斉(いえなり)十一(じゅういち)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
文化(ぶんか)3(1806)(ねん) 3(がつ)4日(よっか) 大火(たいか)山下橋(やましたばし)数寄屋橋(すきやばし)鍛治橋(かじばし)門番所(もんばんしょ)呉服橋門(ごふくばしもん)常磐橋門(ときわばしもん)()()せる。
天保(てんぽう)8(1837)(ねん) 5(がつ)10日(とおか) 家慶(いえよし)十二(じゅうに)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
天保(てんぽう)9(1838)(ねん) 3(がつ) 西(にし)(まる)から火事(かじ)御殿(ごてん)(もん)長屋(ながや)()()せる。
天保(てんぽう)10(1839)(ねん) 12(がつ) 西(にし)(まる)御殿(ごてん)長屋(ながや)など再建(さいけん)される。
弘化(こうか)(がん)(1844)(ねん) 5(がつ)10日(とおか) 江戸城(えどじょう)(ほん)(まる)御殿(ごてん)から火事(かじ)大奥(おおおく)(おもて)御殿(ごてん)黒書院(くろしょいん)柳営(りゅうえい)御殿(ごてん)将軍(しょうぐん)御殿(ごてん))が()()せる。
弘化(こうか)2(1845)(ねん) 2(がつ) 去年(きょねん)全焼(ぜんしょう)した(ほん)(まる)柳営(りゅうえい)御殿(ごてん)再建(さいけん)
嘉永(かえい)5(1852)(ねん) 6(がつ) 江戸城(えどじょう)西(にし)(まる)御殿(ごてん)から火事(かじ)全焼(ぜんしょう)
嘉永(かえい)6(1853)(ねん) 7(がつ)22(にち) 家正(いえまさ)十三(じゅうさん)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
安政(あんせい)5(1858)(ねん) 10(がつ)25(にち) 家茂(いえしげ)十四(じゅうよん)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
安政(あんせい)6(1859)(ねん) 10(がつ) (ほん)(まる)御殿(ごてん)全焼(ぜんしょう)
万延(まんえん)(がん)(1860)(ねん) 11(がつ) (ほん)(まる)御殿(ごてん)再建(さいけん)される。
文久(ぶんきゅう)3(1863)(ねん) 6(がつ)3日(みっか) 西(にし)(まる)御殿(ごてん)から火事(かじ)伏見(ふしみ)(やぐら)下乗門(げじょうもん)をのぞく西(にし)(まる)全焼(ぜんしょう)
11(がつ)15(にち) (ほん)(まる)()(まる)()()せる。()(まる)、ただちに再建(さいけん)(ほん)(まる)再建(さいけん)されないままとなる。
慶応(けいおう)2(1866)(ねん) 12(がつ)5日(いつか) 慶喜(よしのぶ)十五(じゅうご)(だい)将軍(しょうぐん)になる。
慶応(けいおう)3(1867)(ねん) 10(がつ)15(にち) 大政(たいせい)奉還(ほうかん)江戸城(えどじょう)徳川家(とくがわけ)のものでなくなる。
12(がつ) ()(まる)御殿(ごてん)全焼(ぜんしょう)する。これ以降(いこう)再建(さいけん)されない。
明治(めいじ)(がん)(1868)(ねん) 4(がつ)11(にち) 江戸城(えどじょう)開城(かいじょう)
7(がつ)江戸(えど)」は「東京(とうきょう)」となる。
9(がつ) 明治(めいじ)天皇(てんのう)東京(とうきょう)行幸(ぎょうこう)江戸城(えどじょう)西(にし)(まる)にはいる。江戸城(えどじょう)東京城(とうきょうじょう)()をかえ、皇居(こうきょ)になる。
明治(めいじ)3(1870)(ねん) 11(がつ) 半蔵門(はんぞうもん)ほか5(もん)(わたり)(やぐら)をとりこわす。
明治(めいじ)5(1872)(ねん) 3(がつ) 西(にし)(まる)中心(ちゅうしん)(きゅう)内郭(ないかく)皇居(こうきょ)にさだめる。
8(がつ) 日比谷(ひびや)数寄屋橋(すきやばし)一ツ橋(ひとつばし)虎ノ門(とらのもん)赤坂(あかさか)四谷(よつや)市ヶ谷(いちがや)など21の(もん)のとりこわし決定(けってい)
10(がつ) 陸軍省(りくぐんしょう)(ほん)(まる)(のこ)建物(たてもの)のとりこわしを(ねが)()る。富士見(ふじみ)(やぐら)拮橋(はねばし)数寄屋橋(すきやばし)をのぞいて、許可(きょか)される。
明治(めいじ)21(1888)(ねん) 10(がつ) (あたら)しい宮殿(きゅうでん)(きゅう)西(にし)(まる)()てられる。
明治(めいじ)22(1889)(ねん) 1(がつ)東京城(とうきょうじょう)」は「宮城(きゅうじょう)」と()をかえる。
大正(たいしょう)8(1919)(ねん) ()(まる)(ほり)()()て、宮内庁(くないちょう)病院(びょういん)馬場(ばば)などを()てる。
大正(たいしょう)12(1923)(ねん) 9(がつ)1日(ついたち) 関東(かんとう)大震災(だいしんさい)大手門(おおてもん)半蔵門(はんぞうもん)などは()()せる。伏見(ふしみ)(やぐら)富士見(ふじみ)(やぐら)坂下門(さかしたもん)などはくずれる。
大正(たいしょう)14(1925)(ねん) 関東(かんとう)大震災(だいしんさい)被害(ひがい)のうち、西(にし)(まる)大手門(おおてもん)富士見(ふじみ)(やぐら)(たつみ)(やぐら)伏見(ふしみ)(やぐら)伏見(ふしみ)多聞(たもん)(やぐら)(ほん)(まる)数寄屋(すきや)多聞(たもん)(やぐら)平河門(ひらかわもん)(そと)桜田門(さくらだもん)坂下門(さかしたもん)復興(ふっこう)される。
昭和(しょうわ)20(1945)(ねん) 5(がつ)25(にち) 東京(とうきょう)空襲(くうしゅう)のため、宮殿(きゅうでん)()()せる。
昭和(しょうわ)23(1948)(ねん) 宮城(きゅうじょう)」から「皇居(こうきょ)」と正式(せいしき)()まえをかえる。
昭和(しょうわ)39(1964)(ねん) 東京(とうきょう)オリンピックを記念(きねん)して、田安門(たやすもん)復元(ふくげん)する。
田安門(たやすもん)(きた)(まる)森林(しんりん)公園(こうえん)にして武道館(ぶどうかん)をたてる。
昭和(しょうわ)42(1967)(ねん) (ほん)(まる)()(まる)(さん)(まる)一部(いちぶ)を「東御苑(ひがしぎょえん)」として公開(こうかい)する。

江戸(えど)(じょう)歴史(れきし) その1

かっこいい役がどうしても考えつかないんだ

1.家康(いえやす)がやって()(まえ)江戸(えど)

鎌倉(かまくら)時代(じだい)
江戸(えど)」の()歴史(れきし)登場(とうじょう)するのは、武士(ぶし)活躍(かつやく)した中世(ちゅうせい)平家(へいけ)(いきお)いが(さか)んだった(ころ)武蔵国(むさしのくに)秩父(ちちぶ)別当(べっとう)重弘(しげひろ)という平氏系(へいしけい)(ひと)があった。その(まご)重長(しげなが)治承(じしょう)4(ねん)(1180)、石橋(いしばし)合戦(がっせん)(のち)源頼朝(みなもとのよりとも)について、(おも)(もち)いられた。その勢力(せいりょく)は、(いま)千代田区(ちよだく)中心(ちゅうしん)台東区(たいとうく)文京区(ぶんきょうく)港区(みなとく)新宿区(しんじゅくく)あたりにまでおよんでいた。そして、この重長(しげなが)麹町(こうじまち)台地(だいち)に「江戸(えど)(やかた)」を()てた。江戸城(えどじょう)のもととなる建物(たてもの)だ。
そのころの江戸(えど)(うみ)(めん)した低湿地(ていしっち)西(にし)武蔵野(むさしの)台地(だいち)(ひろ)がっていた。武蔵野(むさしの)台地(だいち)はさらに西(にし)から(ひがし)へ、品川(しながわ)台地(だいち)麻布(あざぶ)台地(だいち)麹町(こうじまち)台地(だいち)本郷(ほんごう)台地(だいち)上野(うえの)台地(だいち)と、5つの(ちい)さな台地(だいち)()かれる。台地(だいち)台地(だいち)(あいだ)には(ぬま)(かわ)があって、江戸(えど)(みなと)へと(なが)れこみ、たくさんの入江(いりえ)ができていた。

室町(むろまち)時代(じだい)
このころの江戸(えど)関東(かんとう)管領(かんれい)上杉(うえすぎ)定正(さだまさ)支配(しはい)だった。その重臣(じゅうしん)だった太田(おおた)道灌(どうかん)康正(こうしょう)3(ねん)(1457)、かつての江戸(えど)(やかた)あとに江戸城(えどじょう)(きず)いた。(たに)利用(りよう)して、たくさんの(ほり)をつくり、(しろ)()(ちゅう)()(下)の三郭(さんかく)からなっていた。中城(ちゅうじょう)(ほん)(まる)子城(しじょう)()(まる)外城(げじょう)(さん)(まる)にあたる。まわりには道灌(どうかん)家臣(かしん)たちの根小屋(ねごや)()かれ、物見(ものみ)のための20の(やぐら)と5つの石門(せきもん)(まも)りをかためていた。
(しろ)のまわりはにぎわい、城下町(じょうかまち)発達(はったつ)した。けれど文明(ぶんめい)18(ねん)(1486)、道灌(どうかん)主君(しゅくん)上杉(うえすぎ)定正(さだまさ)暗殺(あんさつ)されると、江戸(えど)はさびれた田舎(いなか)になってしまった。

そのころの江戸の風景 江戸城(えどじょう)別名(べつめい)千代田城(ちよだじょう)
御府内(ごふない)備考(びこう)』(注釈)によると、道灌(どうかん)が、(しろ)(かま)える場所(ばしょ)(もと)めて、たどりついた(むら)()をたずねたところ「千代田(ちよだ)宝田(たからだ)祝田村(いわいだむら)」の(さん)(そん)だという。とても縁起(えんぎ)のいい名前(なまえ)なので、ここに(しろ)をかまえたら、(さか)えることまちがいなし、と道灌(どうかん)(こころ)()めたという。そして、(しろ)は、徳川(とくがわ)家康(いえやす)入国(にゅうこく)するまでは「千代田城(ちよだじょう)」と()ばれていた。
(注釈)『御府内(ごふない)備考(びこう)』というのは幕府(ばくふ)文政(ぶんせい)12(ねん)(1829)に完成(かんせい)させた、江戸(えど)府内(ふない)地誌(ちし)江戸城(えどじょう)(まち)神社(じんじゃ)、お(てら)について歴史(れきし)由来(ゆらい)などの説明(せつめい)がのっている。

2.家康(いえやす)関東(かんとう)入国(にゅうこく) 戦国(せんごく)時代(じだい)のおわり
天正(てんしょう)18(ねん)(1590)8(がつ)1日(ついたち)徳川(とくがわ)家康(いえやす)江戸城(えどじょう)にはいった。小田原(おだわら)北条氏(ほうじょうし)(ほろ)ぼし、天下(てんか)統一(とういつ)をはたした豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)からのほうびとしての領地(りょうち)()えだった。小田原(おだわら)北条氏(ほうじょうし)のもとの領地(りょうち)である関八州(かんはっしゅう)(注釈)を(あた)えられたのだけれど、かわりにそれまでの領地(りょうち)はとりあげられた。京都(きょうと)から(とお)くなってしまうわけだから、あまりいい条件(じょうけん)ではなかった。
そして家康(いえやす)入国(にゅうこく)したころの江戸城(えどじょう)()れはてていた。石垣(いしがき)一ヶ所(いっかしょ)もなく、(しば)土手(どて)で、(しろ)建物(たてもの)板葺(いたぶ)きの田舎家(いなかや)だった。家康(いえやす)はとりあえず(あま)もりの修理(しゅうり)!をして、江戸城(えどじょう)城下町(じょうかまち)建設(けんせつ)大計画(だいけいかく)()りはじめるのだった。
(注釈)関八州(かんはっしゅう)
ハイッ交換!ってわけね 武蔵(むさし)(いま)東京(とうきょう)埼玉(さいたま))、相模(さがみ)神奈川(かながわ))、安房(あわ)千葉(ちば))、上総(かずさ)千葉(ちば))、下総(しもうさ)千葉(ちば)茨城(いばらき))、常陸(ひたち)茨城(いばらき))、上野(こうずけ)群馬(ぐんま))、下野(しもつけ)栃木(とちぎ)
≪それまでの家康(いえやす)領地(りょうち)
駿河(するが)(いま)静岡(しずおか))、遠江(とおとうみ)静岡(しずおか))、三河(みかわ)愛知(あいち))、甲斐(かい)山梨(やまなし))、信濃(しなの)長野(ながの)

3.江戸(えど)都市(とし)計画(けいかく)
江戸(えど)(まち)づくりの最初(さいしょ)のお手本(てほん)は「平安京(へいあんきょう)」だ。平安京(へいあんきょう)中国(ちゅうごく)(とう)(みやこ)長安(ちょうあん)をお手本(てほん)にしたものだ。そして、長安(ちょうあん)陰陽学(おんみょうがく)(注釈)の「四神(ししん)相応(そうおう)地形(ちけい)」を(えら)んでつくられた都市(とし)だ。「四神(ししん)相応(そうおう)地形(ちけい)」というのは人間(にんげん)幸福(こうふく)にくらす条件(じょうけん)(そな)えた地形(ちけい)をいう。つまり、江戸の北の山が富士山?
(ひがし)に「青竜(せいりゅう)」の(かみ)宿(やど)(かわ)
(みなみ)に「朱雀(すざく)」の(かみ)宿(やど)平野(へいや)
西(にし)に「白虎(びゃっこ)」の(かみ)宿(やど)(みち)
(きた)に「玄武(げんぶ)」の(かみ)宿(やど)(やま)
これらがそろった土地(とち)(えら)んで都市(とし)をつくるのがいいわけだ。
江戸(えど)平川(ひらかわ)青竜(せいりゅう)江戸(えど)(みなと)朱雀(すざく)東海道(とうかいどう)白虎(びゃっこ)富士山(ふじさん)玄武(げんぶ)(かみ)にみたてて、計画(けいかく)がすすめられた。
(注釈)「陰陽学(おんみょうがく)」というのは古代(こだい)中国(ちゅうごく)でさかんになった学問(がくもん)(いま)天文学(てんもんがく)地理学(ちりがく)哲学(てつがく)などを()わせたようなもの。
さいこうの立地条件です

四神(ししん)全員(ぜんいん)紹介(しょうかい)

青竜東方(とうほう)守護(しゅご)する(かみ)。「清流(せいりゅう)」を意味(いみ)し、()えた()をはぐくんで豊作(ほうさく)家運(かうん)(さか)えをまねく。

朱雀南方(なんぽう)守護(しゅご)する(かみ)平野(へいや)などの(ひろ)場所(ばしょ)意味(いみ)し、()あたりのよい、平安(へいあん)生活(せいかつ)をさずける。

白虎西方(さいほう)守護(しゅご)する(かみ)(なが)(みち)意味(いみ)し、人通(ひとどお)りの(おお)いにぎやかさから、商売(しょうばい)繁盛(はんじょう)子孫(しそん)繁栄(はんえい)をまねく。

玄武北方(ほっぽう)守護(しゅご)する(かめ)(へび)合体(がったい)した(かみ)(たか)(おか)意味(いみ)し、(いえ)(まも)り、健康(けんこう)長寿(ちょうじゅ)をさずける。

「の」の字型の江戸 4.「の」の()都市(とし)江戸(えど) 江戸(えど)時代(じだい)
慶長(けいちょう)3(ねん)(1598)8(がつ)豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)()くなるや、慶長(けいちょう)5(ねん)(1600)9(がつ)には徳川(とくがわ)(がた)東軍(とうぐん))と豊臣(とよとみ)(がた)西軍(せいぐん))の(あいだ)に、天下(てんか)()()といわれる関ヶ原(せきがはら)(たたか)いがおこった。勝利(しょうり)をおさめた家康(いえやす)は、慶長(けいちょう)8(ねん)(1603)2(がつ)征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となり江戸(えど)幕府(ばくふ)(ひら)いた。こうなると、江戸(えど)日本(にっぽん)中心(ちゅうしん)にふさわしい都市(とし)にしなければならない。そのためには「四神(ししん)相応(そうおう)」の(かんが)えによる建設(けんせつ)計画(けいかく)をもう一度(いちど)()なおす必要(ひつよう)がでてきた。
そこで()まれたのが「の」の()(がた)都市(とし)拡張(かくちょう)計画(けいかく)だ。(おか)(かわ)など、自然(しぜん)地形(ちけい)をうまく()かして、うずまき(じょう)(ほり)をのばし、それに五街道(ごかいどう)()()わせる、というアイディアだ。東海道(とうかいどう)中山道(なかせんどう)奥州(おうしゅう)道中(どうちゅう)日光(にっこう)道中(どうちゅう)甲州(こうしゅう)道中(どうちゅう)(いつ)つの街道(かいどう)を、江戸(えど)中心(ちゅうしん)日本橋(にほんばし)出発点(しゅっぱつてん)として整備(せいび)し、(わき)街道(かいどう)につなげ、全国(ぜんこく)江戸(えど)中心(ちゅうしん)とした交通網(こうつうもう)をめぐらしたのも、この時期(じき)家康(いえやす)仕事(しごと)だ。おかげで江戸(えど)(まち)品物(しなもの)流通(りゅうつう)には便利(べんり)だし、無限(むげん)(ひろ)がることの可能(かのう)都市(とし)になった。
のーの字っ 寛永(かんえい)12(ねん)(1635)からは江戸城(えどじょう)総構(そうがま)えの工事(こうじ)大詰(おおづ)めの段階(だんかい)にはいる。
西北部(せいほくぶ)外堀(そとぼり)()られて、「の」の()(ほり)(みぎ)うずまきに隅田川(すみだがわ)から江戸(えど)(みなと)(つう)じた。そのつぎに、家光(いえみつ)最後(さいご)仕上(しあ)げとして、もう一度(いちど)(ほん)(まる)()()れる。
寛永(かんえい)14(ねん)(1637)(しょう)(がつ)から工事(こうじ)(はじ)まり、寛永(かんえい)17(ねん)(1640)4(がつ)完了(かんりょう)天正(てんしょう)18(ねん)(1590)の家康(いえやす)関東(かんとう)入国(にゅうこく)から、(まご)家光(いえみつ)まで、50年間(ねんかん)月日(つきひ)をかけた(みち)のりだった。

江戸(えど)(じょう)歴史(れきし) その2

だって天下人なんだもん 5.天下普請(てんかふしん)
それまでは、自分(じぶん)配下(はいか)武将(ぶしょう)たちに(しろ)()(なお)しや、城下町(じょうかまち)づくりを(めい)じていた家康(いえやす)だった。けれど、幕府(ばくふ)(ひら)いてからは全国(ぜんこく)大名(だいみょう)命令(めいれい)(くだ)し、天下一(てんかいち)(しろ)づくりをめざした。()に「天下普請(てんかふしん)」と()われる大工事(だいこうじ)だ。
まず(はじ)めに慶長(けいちょう)8(ねん)(1603)3(がつ)江戸(えど)(みなと)整備(せいび)し、(ふな)()()をつくった。それから神田山(かんだやま)をきりくずし、その(つち)遠浅(とおあさ)日比谷(ひびや)入江(いりえ)()()てをした。
こうした(まち)づくりとともに江戸城(えどじょう)工事(こうじ)も、どんどん(すす)められていった。
秀忠(ひでただ)()(だい)将軍(しょうぐん)()ぎ、家康(いえやす)()くなった(元和(げんな)2(ねん)・1616)あと、(ほん)(まる)元和(げんな)8(ねん)(1622)に完成(かんせい)。もはや戦国(せんごく)()きではない、平和(へいわ)時代(じだい)(しろ)にできあがった。
元和(げんな)9(ねん)(1633)7(がつ)秀忠(ひでただ)はその()家光(いえみつ)将軍(しょうぐん)(しょく)をゆずって、西(にし)(まる)隠居(いんきょ)した。
(さん)(だい)将軍(しょうぐん)家光(いえみつ)は、寛永(かんえい)7(ねん)(1630)に()(まる)茶室(ちゃしつ)のある御殿(ごてん)大庭園(だいていえん)完成(かんせい)させた。小堀(こぼり)遠州(えんしゅう)(注釈)の設計(せっけい)による立派(りっぱ)別荘(べっそう)だ。
はじめは雨もりなんかしてたのね (注釈)小堀(こぼり)遠州(えんしゅう) 江戸(えど)(はじ)めの茶人(ちゃじん)千利休(せんのりきゅう)古田織部(ふるたおりべ)とあわせ(さん)(だい)茶人(ちゃじん)といわれる。家康(いえやす)から家光(いえみつ)まで将軍(しょうぐん)(さん)(だい)(つか)え、作事(さくじ)工事(こうじ)奉行(ぶぎょう)として二条城(にじょうじょう)()(まる)大阪城(おおさかじょう)(ほん)(まる)などたくさんの建築(けんちく)庭園(ていえん)をてがけた。

江戸城(えどじょう)とその城下町(じょうかまち)建築(けんちく)歴史(れきし)は、(おお)きくつぎの4つの時期(じき)()けられる。
1.(だい)1()建設(けんせつ)()
家康(いえやす)入国(にゅうこく)天正(てんしょう)18(ねん)(1590)から、慶長(けいちょう)7(ねん)(1602)まで。
関東(かんとう)地方(ちほう)支配(しはい)することになった家康(いえやす)城下町(じょうかまち)づくり時代(じだい)
2.(だい)2()建設(けんせつ)()
家康(いえやす)征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となった慶長(けいちょう)8(ねん)(1603)から、()くなる元和(げんな)2(ねん)(1616)まで。
家康(いえやす)()(だい)将軍(しょうぐん)秀忠(ひでただ)による、幕府(ばくふ)首都(しゅと)建設(けんせつ)時代(じだい)
われながらガンバッター 3.(だい)3()建設(けんせつ)()
元和(げんな)3(ねん)(1617)から、秀忠(ひでただ)()くなる寛永(かんえい)9(ねん)(1632)まで。秀忠(ひでただ)(さん)(だい)将軍(しょうぐん)家光(いえみつ)による幕府(ばくふ)首都(しゅと)建設(けんせつ)時代(じだい)
4.(だい)4()建設(けんせつ)()
寛永(かんえい)10(ねん)(1633)から、家光(いえみつ)()くなる慶安(けいあん)4(ねん)(1651)まで。
家光(いえみつ)による幕府(ばくふ)首都(しゅと)建設(けんせつ)時代(じだい)

五街道による全国交通網
江戸周辺の五街道と脇街道 1.東海道(とうかいどう)品川(しながわ)京都(きょうと)
2.甲州(こうしゅう)道中(どうちゅう)内藤(ないとう)新宿(しんじゅく)大諏訪(おおすわ)中山道(なかせんどう)合流(ごうりゅう)
3.中山道(なかせんどう)板橋(いたばし)草津(くさつ)東海道(とうかいどう)合流(ごうりゅう)
4.日光(にっこう)道中(どうちゅう)千住(せんじゅ)日光(にっこう)
5.奥州(おうしゅう)道中(どうちゅう)宇都宮(うつのみや)日光(にっこう)道中(どうちゅう)()かれ、白川(しらかわ)へ)
家康(いえやす)はこれらの五街道(ごかいどう)(わき)街道(かいどう)()()わせ、江戸(えど)中心(ちゅうしん)全国(ぜんこく)をむすぶ交通網(こうつうもう)整備(せいび)した。

6.明暦(めいれき)大火(たいか)
明暦(めいれき)3(ねん)(1657)は、(しょう)(がつ)2日(ふつか)からひんぱんに火事(かじ)()きた。
(しょう)(がつ)18(にち)にも、午後(ごご)2()ごろ、本郷(ほんごう)丸山(まるやま)本妙寺(ほんみょうじ)から()()があがった。おりから、この()(かぜ)(つよ)く、たちまち(ひろ)がった(ほのお)が、日本橋(にほんばし)から佃島(つくだじま)隅田川(すみだがわ)()えて深川(ふかがわ)にまでのび、下町(したまち)()野原(のはら)となった。
おびただしい死者(ししゃ)をだして、よく19(にち)午前(ごぜん)2()すぎ、ようやく火事(かじ)はおさまった。
(おも)ったら、その()午前(ごぜん)10()ごろ、(ふたた)小石川(こいしかわ)伝通院(でんつういん)表門下(おもてもんした)与力(よりき)屋敷(やしき)から()()があがった。昨日(きのう)につづき(かぜ)(つよ)く、あおられた(ほのお)(ちか)くの水戸家(みとけ)下屋敷(しもやしき)(うつ)った。さらに竹橋門(たけばしもん)牛込門(うしごめもん)田安門(たやすもん)外堀(そとぼり)()え、とうとう()()江戸城(えどじょう)(ほん)(まる)へと(せま)った。
50年のどりょくがたった2日でパーですよ 耐火(たいか)建築(けんちく)大天守(だいてんしゅ)()えない(つく)りになっていた。ところが、その(とき)おこった竜巻(たつまき)(まど)()けてしまい、そこから()がはいりこんでしまったから、どうしようもない。
しかも、(ちか)くの弾薬庫(だんやくこ)大爆発(だいばくはつ)(ほん)(まる)()(まる)(さん)(まる)、とつぎつぎに()けおち、(とき)将軍(しょうぐん)家綱(いえつな)はやっとのことで西(にし)(まる)避難(ひなん)するありさまだった。
夕方(ゆうがた)になると、さらに麹町(こうじまち)町人地(ちょうにんち)から火事(かじ)()きた。()(みなみ)(はし)り、桜田(さくらだ)一帯(いったい)大名(だいみょう)屋敷(やしき)()き、外堀(そとぼり)沿()って(みなみ)(くだ)る。日比谷(ひびや)()き、(しば)()き、海岸(かいがん)()て、ようやくおさまった。
将軍(しょうぐん)(さん)(だい)、50(ねん)歳月(さいげつ)をかけた江戸城(えどじょう)城下町(じょうかまち)はたった2日間(ふつかかん)()野原(のはら)となり、あとには5(まん)(にん)とも10(まん)(にん)ともいわれる焼死者(しょうししゃ)()た。

江戸の範囲 江戸(えど)範囲(はんい)-朱引図(しゅびきず)-
(かぎ)りなく(ひろ)がってゆく都市(とし)江戸(えど)。その境界線(きょうかいせん)をはっきりさせるため文政(ぶんせい)(がん)(ねん)(1818)、幕府(ばくふ)地図(ちず)朱色(しゅいろ)(せん)をひいた。この(せん)(なか)江戸(えど)なんだ。

(ひがし)砂村(すなむら)亀戸(かめいど)木下川(きげがわ)須田村(すだむら)まで
(みなみ)上大崎村(かみおおさきむら)(みなみ)品川(しながわ)宿(しゅく)まで
西(にし)代々木(よよぎ)角筈(つのはず)戸塚(とつか)上落合村(かみおちあいむら)まで
(きた)千住(せんじゅ)尾久村(おぐむら)滝野川(たきのがわ)板橋(いたばし)まで

7.よみがえる江戸城(えどじょう)
ねばーぎぶあっぷ 明暦(めいれき)大火(たいか)によって、幕府(ばくふ)防火(ぼうか)(かんが)えた(しろ)づくり、(まち)づくりを目指(めざ)すことになった。
この(おお)火事(かじ)は、水堀(みずぼり)ひとつでは、城下(じょうか)からおこった()から江戸城(えどじょう)(まも)ることができないと(おし)えてくれた。そこで、お(しろ)敷地内(しきちない)に「()()()」という防火(ぼうか)(よう)()()(もう)けることにした。関東(かんとう)では北西(ほくせい)からの季節風(きせつふう)(つよ)いから、(ほん)(まる)のその方向(ほうこう)にあった尾張(おわり)紀伊(きい)水戸(みと)御三家(ごさんけ)屋敷(やしき)(くるわ)(そと)()()しさせた。その(あと)()()将軍(しょうぐん)馬場(ばば)薬草園(やくそうえん)使(つか)われ、「吹上(ふきあげ)御庭(おにわ)」と()ばれるようになった。
その(とし)3(がつ)15(にち)には、江戸城(えどじょう)()(なお)工事(こうじ)開始(かいし)された。万治(まんじ)2(ねん)(1659)、(ほん)(まる)御殿(ごてん)再建(さいけん)。ただし、()けおちてしまった大天守(だいてんしゅ)がもう一度(いちど)そびえることはなかった。将軍(しょうぐん)叔父(おじ)補佐役(ほさやく)保科(ほしな)正之(まさゆき)の「平和(へいわ)()(だい)天守(てんしゅ)はいらない。そのための莫大(ばくだい)費用(ひよう)節約(せつやく)する(ほう)がいい」という意見(いけん)によるものだ。
明暦(めいれき)大火(たいか)は、江戸(えど)城郭(じょうかく)(なか)から、御三家(ごさんけ)大名(だいみょう)屋敷(やしき)()()すことになり、江戸(えど)(ひろ)げ「大江戸(おおえど)」にするきっかけとなった。
そして江戸城(えどじょう)(かん)ぺきに戦国(せんごく)(しろ)機能(きのう)()()り、政府(せいふ)としての役割(やくわり)中心(ちゅうしん)になった。
この状態(じょうたい)明治(めいじ)維新(いしん)まで()わることがなかった。

明暦(めいれき)大火(たいか)以後(いご)江戸城(えどじょう)および城下町(じょうかまち)防火(ぼうか)対策(たいさく)のまとめ
1.権力(けんりょく)のシンボル、5(そう)大天守(だいてんしゅ)再建(さいけん)しない。
また、これより、(ほん)(まる)()(まる)(さん)(まる)御殿(ごてん)豪華(ごうか)にすることはひかえ、政府(せいふ)としての(はたら)きの(ほう)(おも)んじる。
2.御三家(ごさんけ)内郭(ないかく)から()()しさせる。
その(あと)()である江戸城(えどじょう)西北(せいほく)()()()をつくる。(宝永(ほうえい)4(ねん)(1707)より、ここは「吹上(ふきあげ)御庭(おにわ)」となる。)
3.大名(だいみょう)屋敷(やしき)内郭(ないかく)から()()しさせる。
龍ノ口(たつのくち)竹橋内(たけばしない)雉子(きじ)橋内(ばしない)代官町(だいかんちょう)(ない)にあった大名(だいみょう)たちの屋敷(やしき)()えをして、その(あと)()幕府(ばくふ)公用(こうよう)とする。
4.お(てら)神社(じんじゃ)内郭(ないかく)から()()しさせる。
5.外郭(がいかく)のうちにも(あら)たに()()()をつくる。町人(ちょうにん)(よう)防火(ぼうか)地帯(ちたい)だ。
6.(あたら)しい市街地(しがいち)をつくる。
小石川(こいしかわ)小日向(こひなた)湿地(しっち)赤坂(あかさか)ため(いけ)一部(いちぶ)()()て、(まち)づくりをする。
京橋(きょうばし)木挽町(こびきちょう)(ひがし)(がわ)(うみ)()()てて、できたのが(いま)の「築地(つきぢ)」。)
7.隅田川(すみだがわ)(あたら)しく(はし)(もう)ける。
大火(たいか)(さい)、ここまで()げて()て、(かわ)()えられず()()んだ(ひと)(おお)かったのだ。万治(まんじ)2(ねん)(1659)に(はし)完成(かんせい)武蔵国(むさしのくに)下総国(しもうさのくに)を結ぶので「両国橋(りょうごくばし)」と名付(なづ)けられた。

江戸城(えどじょう)のおもかげ

(『日本(にっぽん)城郭(じょうかく)古写真(こしゃしん)集成(しゅうせい)』より)

坂下門と二の丸、巽三重櫓の写真
坂下門(さかしたもん)右手下(みぎてした))と()(まる)(たつみ)三重(さんじゅう)()明治(めいじ)(しょ)(ねん)

虎之門の写真
虎之門(とらのもん) 溜池(ためいけ)からの(みず)(ちい)さな(たき)になっている。(明治(めいじ)4(ねん)

四谷門の写真
四谷門(よつやもん) (いま)四谷駅(よつやえき)のあたり(明治(めいじ)(しょ)(ねん)

見どころおおいよね-

参考(さんこう)にした(ほん)

東京(とうきょう)百科(ひゃっか)事典(じてん)
江戸(えど)東京(とうきょう)(まち)づくり物語(ものがたり)
江戸(えど)(がく)事典(じてん)
日本(にっぽん)歴史(れきし)大辞典(だいじてん)
江戸(えど)江戸城(えどじょう)
江戸城(えどじょう)物語(ものがたり)
江戸(えど)東京(とうきょう)(がく)事典(じてん)
江戸(えど)(まち)」((じょう))(()
日本(にっぽん)城郭(じょうかく)古写真集(こしゃしんしゅう)
東京(とうきょう)-講談社版(こうだんしゃばん)日本(にっぽん)文化(ぶんか)地理(ちり)
平凡社大(へいぼんしゃだい)百科(ひゃっか)事典(じてん)」その(ほか)いろいろ

小平市に関すること
1.小平市内めぐり 2.小平れきし年表・小平の街道
4.探検!郷土資料室 5.みんなの町のなまえ
6.小平の鉄道の歴史 8.わたしたちの小学校
9.小平はじめて物語 10.戦争と小平
13.小平こだいらの道 14.小平歳時記
15.小平の新田 16.古い地名
19.公園に行こうよ! 26.小平のごちそう うどん
36.ぼくらの町の仕事(1)こだいらの農業 37.ぼくらの町の仕事(2)こだいらの商業
多摩に関すること
12.多摩戦国絵巻 18.多摩の絹の道 シルクロード
20.風雲!新選組 21.楽しい施設ガイド
25.東京のできるまで 27.神奈川県から東京府へ多摩移管百年うそ?ほんと?クイズ
29.多摩の芸能 32.八王子千人同心多摩をゆく
35.多摩の酒造 39.江戸時代の東京 文化文政(1800年代初め)の三多摩編
江戸・東京に関すること
23.幸運招来! 東京七福神めぐり 24.東京の水道
28.江戸をたのしむ 30.わたしのまちの木・花・鳥とシンボルマーク
38.江戸時代の東京 文化文政(1800年代初め)の特別区編 40.花の江戸城 Part1
41.花の江戸城 Part2  
玉川上水・小金井桜に関すること
3.玉川上水をしりたい 7.玉川上水とあそぼう!
17.満開!小金井桜 31.野火止用水をゆけば
その他
11.武蔵武士 22.コレラが町にやって来た
33.これが武蔵国だっ! 34.地震にそなえて

ページトップへ