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33. 江戸(えど)時代(じだい)東京(とうきょう)
文化(ぶんか)文政(ぶんせい)(1800年代(ねんだい)(はじ)め)の三多摩(さんたま)(へん)

江戸(えど)時代(じだい)三多摩(さんたま)

享保(きょうほう)改革(かいかく)で、1724(ねん)ころから1736(ねん)ころまでに新田(しんでん)開発(かいはつ)がすすんだ(つまり武蔵野(むさしの)新田(しんでん)ね)三多摩(さんたま)には、文化(ぶんか)文政(ぶんせい)のころ(1804~1830)になると(ふる)いの、(あたら)しいのとりまぜて、およそ390の(むら)があったんだ。
そのころ()かれた地誌(ちし)(その土地(とち)文化(ぶんか)歴史(れきし)風土(ふうど)説明(せつめい)したもの)である『新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』(1822(ねん)多摩郡(たまぐん)()完成(かんせい))とか、『武蔵(むさし)名勝(めいしょう)図会(ずえ)』(1823(ねん)完成(かんせい))とか、『江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)』(1834~1836(ねん)完成(かんせい))とか、を()てみると、三多摩(さんたま)村々(むらむら)様子(ようす)がくわしく紹介(しょうかい)されている。
なにしろ、いずれも自分(じぶん)たちの(あし)(ある)きまわり、自分(じぶん)()()て、調(しら)べ、()いたものだから、時間(じかん)もかけてるけど、内容(ないよう)もすごい。
この(むら)にはこういう名産(めいさん)がある、とか、こんなふうに景色(けしき)がいい、とか(むら)のお(てら)神社(じんじゃ)にはこんな宝物(たからもの)がある、とか、地名(ちめい)のいわれはこうだとか、こんな伝説(でんせつ)があるぞ(けっこうおもしろい)とか…。
江戸(えど)時代(じだい)もおわりに(ちか)い、当時(とうじ)三多摩(さんたま)村々(むらむら)をちょっとのぞいてみようよ。
クイズです
クイズのこたえはいちばんさいごにあります

江戸(えど)時代(じだい)のあの(むら)、この(むら)その1

新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』のころの三多摩(さんたま)

文化文政ころの三多摩むらマップ

1.白丸(しろまる)奥多摩町(おくたままち)
もとは「城丸(しろまる)」で、「じやう(やま)城山(じょうやま))」という(とりで)があったことによる地名(ちめい)

2.檜原(ひのはら)檜原(ひのはら)(むら)
戦国(せんごく)時代(じだい)には檜原(ひのはら)(じょう)があって、八王子(はちおうじ)城主(じょうしゅ)北条(ほうじょう)氏照(うじてる)配下(はいか)平山(ひらやま)氏重(うじしげ)甲斐(かい)武田(たけだ)()(たい)する(まも)りをかためていた軍事(ぐんじ)基地(きち)だった。
甲州(こうしゅう)へむかう街道(かいどう)(とお)っていたけれど、江戸(えど)時代(じだい)に五街道(かいどう)整備(せいび)されて甲州(こうしゅう)街道(かいどう)道筋(みちすじ)がかわったので、こちらは「()甲州(こうしゅう)街道(かいどう)」と()ばれるようになった。

3.養沢(ようざわ)五日市町(いつかいちまち)
むかし、東国(とうごく)征伐(せいばつ)にやって()日本武尊(やまとたけるのみこと)配下(はいか)人々(ひとびと)が、ここの(かわ)でかわいたノドをうるおし、(つか)れをいやし、生気(せいき)(やしな)ったという。そこから「養沢(ようざわ)」の()がおこった。

4.伊奈(いな)五日市町(いつかいちまち)
むかし、信濃国(しなののくに)(いま)長野県(ながのけん)伊奈郡(いなぐん)からたくさんの石工(いしく)(うつ)()んだので、この()がついた。天正(てんしょう)18(ねん)(1590)、家康(いえやす)入国(にゅうこく)(のち)は、江戸(えど)(じょう)石垣(いしがき)づくりなどの御用(ごよう)をつとめたという。
(べつ)(せつ)では、「谷間(たにあい)(むら)」という意味(いみ)だともいう。

5.大久野(おおくの)()出町(でまち)
むかし、ここに大久野(おおくの)という山伏(やまぶし)修験者(しゅげんじゃ)野山(のやま)をめぐり(ある)いて修行(しゅぎょう)する(ひと))が()んでいた。そこからついた地名(ちめい)だという()(つた)えがある。林業(りんぎょう)中心(ちゅうしん)で、元禄(げんろく)以来(いらい)(1688~)、モミの()卒塔婆(そとば)特産(とくさん)にしていた。
卒塔婆とはお墓にたてる細長い板のこと

6.駒木野(こまきの)青梅市(おうめし)
むかし、村人(むらびと)(きぬ)でおおってつかまえた(うま)鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)将軍(しょうぐん)献上(けんじょう)したところ、それがすぐれて()(うま)だった。そこで「駒絹(こまきぬ)」という地名(ちめい)がついたらしい。それがもとなんだね。
なし、だいすきー (はたけ)(おお)く、野菜(やさい)穀物(こくもつ)のほか、綿(わた)煙草(たばこ)(つく)っていて、()んぼの(あいだ)には、(くり)(かき)(なし)()えていた。また多摩川(たまがわ)(あゆ)もとっていた。

江戸(えど)時代(じだい)のあの(むら)、この(むら)その2

文化文政ころの三多摩むらマップ

7.八王子(はちおうじ)横山(よこやま)十五宿(じゅうごしゅく)(八王子市)
ここは甲州(こうしゅう)街道(かいどう)(えき)のひとつ。十五宿(じゅうごしゅく)のうち、横山宿(よこやまじゅく)第一(だいいち)なので「横山(よこやま)十五宿(じゅうごしゅく)」とよばれた。
横山宿(よこやまじゅく) 4日・14日・24日と、毎(つき)4の()(いち)がたち、織物(おりもの)や、(さかな)野菜(やさい)などが()()いされた。
新町(しんちょう) いちばん(ひがし)はじの宿(しゅく)
本宿(ほんじゅく) 武蔵(むさし)七党(しちとう)のうちの横山党(よこやまとう)土地(とち)で、(ふる)くからひらけていた。
八日市宿(ようかいちじゅく) 8日・18日・28日と毎(つき)8の()(いち)がたつので、この()がついた。
寺町(てらまち) (てら)(おお)くあるので、この()がついた。
八幡宿(はちまんしゅく) 八幡(はちまん)神社(じんじゃ)にちなむ地名(ちめい)だといわれる。
八木宿(やぎしゅく) 天正(てんしょう)年中(ねんじゅう)(1573~1592)に八木(やぎ)源左衛門(げんざえもん)という(ひと)屋敷(やしき)があったのでこの()がついたという。小田原(おだわら)北条(ほうじょう)()家臣(かしん)だったのだろうといわれる。
横町(よこちょう) 八幡宿(はちまんしゅく)八日市宿(ようかいちじゅく)(あいだ)(きた)横切(よこぎ)るので、この()がついた。
島之坊宿(しまのぼうじゅく) 修験者(しゅげんじゃ)島之坊(しまのぼう)先祖(せんぞ)俊盛(としもり)という(ひと)文禄(ぶんろく)4(ねん)(1595)ここに(ぼう)(そう)住居(じゅうきょ))をたてたことにちなむ。つまり、その(ぼう)()が「島之坊(しまのぼう)」だったわけ。
小門宿(おかどじゅく) 江戸(えど)時代(じだい)のはじめ、代官(だいかん)大久保(おおくぼ)石見守(いわみのかみ)長安(ながやす)(としょかんこどもしりょう 32「八王子千人同心多摩をゆく」を()めば、どんな(ひと)かわかるよ)が屋敷(やしき)をかまえ、(ひがし)表門(おもてもん)(きた)裏門(うらもん)、そして裏門(うらもん)のところには(うった)えのための百姓宿(ひゃくしょうやど)がならんでいた。「御門宿」「於門宿」と()かれたけれど、長安(ながやす)()きあとは「小門」に(あらた)められた。
馬乗宿(うまのりじゅく) 江戸(えど)時代(じだい)のはじめ、代官(だいかん)屋敷(やしき)があって、その(もん)(まえ)乗馬(じょうば)のけいこをしたので、この()がついた。
子安宿(こやすじゅく) 天平(てんぴょう)宝字(ほうじ)3(ねん)(759)、聖武(しょうむ)天皇(てんのう)光明(こうみょう)皇后(こうごう)安産(あんざん)(いの)って()てた「子安(こやす)神社(じんじゃ)」にちなむ。
かぞえてみてー これに久保宿(くぼじゅく)」「本郷宿(ほんごうじゅく)」「上野原宿(うえのはらじゅく)(くわ)えて、十五宿(じゅうごしゅく)となります。

8.町田(まちだ)町田市(まちだし)
江戸(えど)時代(じだい)に「(ほん)町田(まちだ)」と「(はら)町田(まちだ)」の(ふた)つの(むら)()かれた。
農業(のうぎょう)のあいまに(おとこ)(ひと)(すみ)()き、(おんな)(ひと)(かいこ)()った。
(ほん)町田(まちだ)(むら)毎月(まいつき)7の()(はら)町田(まちだ)(むら)毎月(まいつき)2の()(いち)がたって、江戸(えど)から(とお)(はな)れた場所(ばしょ)なのに宿場(しゅくば)のようににぎやかだったらしい。

江戸(えど)時代(じだい)のあの(むら)、この(むら)その3

文化文政ころの三多摩むらマップ

9.福生(ふっさ)福生市(ふっさし)
土地(とち)(ひと)方言(ほうげん)で「フッチャ」といった。アイヌ()(あさ)意味(いみ)する(ふる)言葉(ことば)の「(ふさ)(房)」や多摩川(たまがわ)沿()いの「阜沙(ふさ)」(みずぎわの(おか)意味(いみ))がなまって「ふっさ」になったという(せつ)がある。
農業(のうぎょう)のあいまには多摩川(たまがわ)()(いかだ)(つく)って(なが)したり、(さかな)をとったりしていた。

10.五ノ神(ごのかみ)羽村市(はむらし)
熊野社(くまのしゃ)第六天社(だいろくてんしゃ)神明社(しんめいしゃ)稲荷社(いなりしゃ)子ノ(ねの)神社(じんじゃ)、と(むら)(なか)神社(じんじゃ)が5つあることから、この()がついた。

11.箱根ケ崎(はこねがさき)瑞穂町(みずほまち)
(ふる)くから(うた)にもよまれている地名(ちめい)。「(はこ)(いけ)」が「狭山(さやま)」のふもとにあって、狭山(さやま)(みさき)のようにでいりしている地形(ちけい)なので、「狭山(さやま)()(もと)にある(はこ)(いけ)」ということで、「はこね」という。そして、狭山(さやま)のはりだした様子(ようす)は「(さき)」のようなので「はこねがさき」となった。
(べつ)(せつ)では、狭山(さやま)丘陵(きゅうりょう)をハコ((かみ)さまの()む)ネ((やま))として、そのサキ((さき))にある(むら)なので、ともいわれる。

12.(きし)(むら)武蔵(むさし)村山市(むらやまし)
むかしむかしの多摩川(たまがわ)のなごりである残堀川(ざんぼりがわ)(なが)れていて、その(きし)にあるのでこの()がついた、という。
北側(きたがわ)(やま)のふもとに農家(のうか)がちらばっている。(かぜ)(はたけ)(つち)()きちらされるので、防風(ぼうふう)のために宇津木(うつぎ)(たか)さ1~2メートルの落葉樹(らくようじゅ)生垣(いけがき)などに使(つか)われる)を()えていた。

13.拝島(はいじま)昭島市(あきしまし)
ここから11()(やく)43キロメートル)ほど多摩川(たまがわ)上流(じょうりゅう)日原(にっぱら)(むら)(いま)奥多摩町(おくたままち))から、むかし大日(だいにち)如来(にょらい)(ぞう)(なが)れてきた。(よる)には(ひかり)をはなって(かがや)くので村人(むらびと)はこれを(おが)み、(むら)(むか)えて大切(たいせつ)にしたので、ついた地名(ちめい)だ。
農業(のうぎょう)のあいまに(かいこ)()い、(いと)をつむぎ、織物(おりもの)をし(あゆ)をとって江戸(えど)()()っていた。

14.百草(もぐさ)日野市(ひのし)
(くさ)(しげ)場所(ばしょ)だったので、むかしは「茂草(もぐさ)」と()いた。「百草(もぐさ)」と()くようになったのは江戸(えど)時代(じだい)以降(いこう)
(むら)(なか)松連寺(しょうれんじ)というお(てら)経筒(きょうづつ)経典(きょうてん)()れて経塚(きょうづか)()めるために使(つか)(つつ))に「長寛(ちょうかん)」(1163~1165)、「永萬(えいまん)」(1165~1166)、「建久(けんきゅう)」(1190~1199)などの年号(ねんごう)(しる)してあるので、かなり(ふる)(むら)だってことだ。

柿、だいすきー15.乞田(こった)多摩市(たまし)
ここも鎌倉(かまくら)室町(むろまち)時代(じだい)から()える地名(ちめい)多摩市(たまし)日野市(ひのし)はむかし「吉富郷(よしとみごう)」とよばれたけれど、「吉富」という()は「キツト」という(おと)にあてた()だろうといわれていて、「キツト」は「乞田(こった)」のことだ、という(せつ)がある。
農業(のうぎょう)のあいまに(かいこ)()い、(かき)()をたくさん()えて、()江戸(えど)出荷(しゅっか)していた。

16.矢野口(やのくち)稲城市(いなぎし)
むかしは「谷野口」「谷ノ口」とも()き、「古沢(ふるさわ)(むら)」とか「砂田(すなだ)(むら)」とか()ばれたりもしたそうだ。
なるほどね (むら)()(つた)えでは多摩川(たまがわ)(なが)れがよこぎる(むら)に、8(けん)(いえ)があった。それで「八人口(はち・にん・くち)」の3()をひとつにして「谷」の()になるので「谷ノ口(やのくち)」と()うようになったとか。水田(すいでん)(おお)土地(とち)で、農業(のうぎょう)のあいまには(すみ)()いた。

17.府中宿(ふちゅうじゅく)府中市(ふちゅうし)
番場宿(ばんばじゅく)本町(ほんまち)新宿(しんしゅく)三宿(さんじゅく)()わせて、こう()ぶ。甲州(こうしゅう)街道(かいどう)宿(しゅく)のひとつ。三宿(さんじゅく)でかわるがわる(えき)をひらいて、旅行者(りょこうしゃ)のための人手(ひとで)(うま)()していた。1ヵ(げつ)のうち12日間(にちかん)本町(ほんまち)で、のこりの日数(にっすう)番場宿(ばんばじゅく)新宿(しんしゅく)()けて()()った。
番場宿(ばんばじゅく) 名前(なまえ)由来(ゆらい)ははっきりしない。けれど小田原(おだわら)北条(ほうじょう)()がここに川越(かわごえ)街道(かいどう)番所(ばんしょ)見張(みは)(じょ))をおいていたから、とか六所宮(ろくしょのみや)大國魂(おおくにたま)神社(じんじゃ)のこと)の競馬式(けいばしき)がここでおこなわれたから、とかの(せつ)がある。
本町(ほんまち) 府中宿(ふちゅうじゅく)中心(ちゅうしん)江戸(えど)時代(じだい)番場宿(ばんばじゅく)新宿(しんしゅく)独立(どくりつ)したために、こう()ばれるようになった。
新宿(しんしゅく) 府中(ふちゅう)三宿(さんじゅく)(なか)でできるのがいちばん(おそ)かったので、こう()ばれた。

18.青柳(あおやぎ)国立市(くにたちし)
府中宿(ふちゅうじゅく)から一里(いちり)(やく)3.9キロメートル)(はな)れた甲州(こうしゅう)街道(かいどう)沿()いの(むら)
むかし、この(むら)多摩川(たまがわ)南岸(なんがん)青柳島(あおやぎしま)というところにあって、寛文(かんぶん)11(ねん)(1621)にここに(うつ)って()た。
青柳島(あおやぎしま)楊柳(ようりゅう)(カワヤナギやシダレヤナギ)が(おお)くあるのでおこった地名(ちめい)だ。

19.柴崎(しばさき)(むら)立川市(たちかわし)
戦国(せんごく)時代(じだい)から()える地名(ちめい)小田原(おだわら)北条(ほうじょう)()(ぞく)した立河(たちかわ)()領地(りょうち)だった。普済寺(ふさいじ)がその館跡(やかたあと)だと(つた)えられる。

20.砂川(すながわ)(むら)立川市(たちかわし)
(きし)(むら)(いま)武蔵(むさし)村山市(むらやまし))の村野(むらの)助右衛門(すけえもん)という(ひと)がここを開拓(かいたく)して、のちに砂川(すながわ)()をなのるようになった。「砂川(すながわ)」というのはここの(ふる)くからの地名(ちめい)だ。助右衛門(すけえもん)さんの(のこ)した記録(きろく)では慶長(けいちょう)14(ねん)(ごろ)(1609)開拓(かいたく)されたらしい。

21.宅部(やけべ)東大和市(ひがしやまとし)
地名(ちめい)由来(ゆらい)はわからない。
屯倉部(みやけべ)」(大和(やまと)朝廷(ちょうてい)領地(りょうち)からとれた(こめ)をしまっておく(くら)。さらに朝廷(ちょうてい)直接(ちょくせつ)領地(りょうち)意味(いみ)する)がなまって「やけべ」になったのではないか、という(せつ)がある。
(いま)は、大部分(だいぶぶん)面積(めんせき)村山(むらやま)貯水池(ちょすいち)にかかって水底(みなそこ)(しず)んでいる。

22.久米川(くめがわ)東村山市(ひがしむらやまし)
「久目川」「来目川」「貢馬川」とも()く。ここの北側(きたがわ)(なが)れる柳瀬川(やなせがわ)久米川(くめがわ)とも()んでいて、それが地名(ちめい)になったもの。
農業(のうぎょう)のあいまに(かいこ)()い、薬草(やくそう)()薬種(やくしゅ)(くすり)材料(ざいりょう))を(つく)ったりしていた。

わたしのまちよー 23.小川(おがわ)小平市(こだいらし)
このあたりは武蔵野(むさしの)原野(げんや)だったのでまわりじゅう(たい)らな土地(とち)だ。
(はやし)陸田(りくでん)(おお)い。(むら)(なか)には鎌倉(かまくら)から、陸奥(むつ)(いま)青森県(あおもりけん))へむかう街道(かいどう)(はし)っていて、府中(ふちゅう)国分寺(こくぶんじ)恋ヶ窪(こいがくぼ)(とお)って小川(おがわ)(いた)る。(きし)(むら)小川(おがわ)九郎兵衛(くろべえ)という(ひと)武蔵野(むさしの)石塔ヶ窪(せきとうがくぼ)というところから開発(かいはつ)をしたのがはじまりで、(むら)九郎兵衛(くろべえ)さんの()によっている。

24.(めぐ)()小平市(こだいらし)東村山市(ひがしむらやまし)
(いま)東村山市(ひがしむらやまし)にあった(ほう)(めぐ)()(むら)小平(こだいら)(めぐ)()新田(しんでん)(おや)(むら)なんだ。
(くさ)をとるために野中(のなか)新田(しんでん)から()()けた土地(とち)だった。
新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』のころの小平(こだいら)(めぐ)()新田(しんでん)は、人家(じんか)はわずか15(けん)真桑瓜(まくわうり)などを()え、江戸(えど)八王子(はちおうじ)()()したりしていた。

25.恋ヶ窪(こいがくぼ)国分寺市(こくぶんじし)
「鯉ヶ窪」とも()く。()(みず)豊富(ほうふ)で、野川(のがわ)水源(すいげん)となっている。むかし、鎌倉(かまくら)から奥州(おうしゅう)(いま)東北(とうほく))へ()かう街道(かいどう)(とお)って、にぎやかな(えき)だったという。
夙妻(あさづま)大夫(たゆう)という(おんな)(ひと)恋人(こいびと)畠山(はたけやま)重忠(しげただ)鎌倉(かまくら)時代(じだい)武士(ぶし)武蔵(むさし)(ひと))のウソの戦死(せんし)()らせに(まよ)って自殺(じさつ)したという伝説(でんせつ)(のこ)っている。たしかに地名(ちめい)もそれっぽいね。
一方(いっぽう)国府(こくふ)府中(ふちゅう))に(ちか)(くぼ)だから、とか、()(みず)にめぐまれた(くぼ)で、(こい)()い、旅人(たびびと)提供(ていきょう)したので、とかいう(せつ)もある。

なんてわかりやすいなまえなんだ 26.田無(たなし)西東京市(にしとうきょうし)
武蔵野(むさしの)台地(だいち)にあって、()んぼが()いことからこの()がついたという。
毎月(まいつき)1、11、21の1の()と、6、16、26の6の()には(いち)がたった。

27.柳久保(やなぎくぼ)東久留米市(ひがしくるめし)
(いま)は「柳窪」と()くよね。ここは黒目川(くろめがわ)水源(すいげん)で、土地(とち)()えていた。水田(すいでん)陸田(りくでん)半々(はんはん)ぐらい。

28.清戸(きよと)清瀬市(きよせし)
八王子(はちおうじ)城主(じょうしゅ)北条(ほうじょう)氏照(うじてる)にとって、ここも重要(じゅうよう)軍事(ぐんじ)拠点(きょてん)だった。だから戦国(せんごく)時代(じだい)には番所(ばんしょ)()かれていた。(かみ)(なか)(しも)清戸(きよと)(むら)と、清戸(きよと)下宿(したじゅく)にわかれたのは、江戸(えど)時代(じだい)になってから。下宿(したじゅく)(みなみ)には「()清水(しみず)」と()ばれる清水(しみず)()いた。大人(おとな)()むと()っぱらうのに、()どもが()んだら真水(まみず)だった、という伝説(でんせつ)(みず)だ。

29.保谷(ほうや)西東京市(にしとうきょうし)
保屋(ほうや)」とも()く。地名(ちめい)開拓者(かいたくしゃ)()によるともいうが、(たし)かではない。

30.吉祥寺(きちじょうじ)武蔵野市(むさしのし)
ここと三鷹(みたか)連雀(れんじゃく)事情(じじょう)()ている。
明暦(めいれき)大火(たいか)江戸(えど)本郷本町(ほんごうほんちょう)(いま)文京区(ぶんきょうく))の吉祥寺(きちじょうじ)門前(もんぜん)住人(じゅうにん)五日市(いつかいち)街道(かいどう)沿()いに移住(いじゅう)してきたことからはじまる()だ。

31.連雀(れんじゃく)三鷹市(みたかし)
30吉祥寺(きちじょうじ)()ったとおり、明暦(めいれき)大火(たいか)(はじ)まりなんだ。
神田(かんだ)連雀町(れんじゃくちょう)人々(ひとびと)火除地(ひよけち)としてとりあげられた土地(とち)のかわりにここに移住(いじゅう)して、ついた()だ。

32.飛田給(とびたきゅう)府中市(ふちゅうし)
続日本(しょくにほん)後記(こうき)』(869(ねん)成立(せいりつ)日本(にっぽん)歴史(れきし)(ほん))に天長(てんちょう)10(ねん)(834)5(がつ)多摩郡(たまぐん)入間郡(いるまぐん)(さかい)悲田処(ひでんしょ)(まず)しい(ひと)や、みなし()(すく)施設(しせつ))を()いた、と()かれている。
ここは悲田処(ひでんしょ)給地(きゅうち)税金(ぜいきん)免除(めんじょ)された土地(とち))で、もとは「悲田給(ひでんきゅう)」と()いたのを(おな)(おと)の「()」を使(つか)うようになって、いつのころからか「飛田(とびた)」となったのではないか、と(つた)えられる。

33.貫井(ぬくい)小金井市(こがねいし)
「温井」とも()く。()(みず)地盤(じばん)をくぐって、ぬき(とお)っている、という意味(いみ)で「抜井」。
それから()(みず)温度(おんど)(たか)いので「温井」、などなど、いろんな(せつ)がある。小平(こだいら)鈴木(すずき)新田(しんでん)開発(かいはつ)した鈴木(すずき)利左衛門(りざえもん)はこの(むら)出身(しゅっしん)なんだよ。

江戸(えど)周辺(しゅうへん)ガイドブック

お江戸周辺ガイドブック
江戸時代の人もレジャーが好きだったんだ 江戸(えど)時代(じだい)は、幕府(ばくふ)編集(へんしゅう) した 地誌(ちし)新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』のほかにも、お江戸(えど)や、そのまわりの名所(めいしょ)旧跡(きゅうせき)案内(あんない)する(ほん)がたくさん出版(しゅっぱん)された。
経済(けいざい)発達(はったつ)したし、交通(こうつう)治安(ちあん)整備(せいび)されたこともあって、この時代(じだい)見物(けんぶつ)旅行(りょこう)や、神社(じんじゃ)・お(てら)まいりのレジャーにでかける(ひと)()えた。だから、こういった案内(あんない)(ほん)は((いま)でいうガイド・ブックだねー)、みんなから大歓迎(だいかんげい)されたんだ。
地誌というのはその土地のようすを記したものです その(なか)から『新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』とほぼ(おな)(ころ)出版(しゅっぱん)された地誌(ちし)、『武蔵(むさし)名勝(めいしょう)図会(ずえ)』と『江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)』のふたつから、当時(とうじ)三多摩(さんたま)()どころをいくつか(ひろ)ってみました。その内容(ないよう)といったら、神社(じんじゃ)のお(まつ)りの年間(ねんかん)スケジュールから、その地方(ちほう)()きた不思議(ふしぎ)出来事(できごと)まで、「うーん、ここまで調(しら)べてのせたか!!」と(おも)わずうなるシロモノだ。

武蔵(むさし)名勝(めいしょう)図会(ずえ)
こどもきょうどしりょうNo32を参考にしてね新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』の調査(ちょうさ)のため、武蔵国(むさしのくに)(ある)きまわった八王子(はちおうじ)千人(せんにん)同心(どうしん)のメンバーの1人(ひとり)植田(うえだ)孟縉(もうしん)()きあらわした。調査(ちょうさ)仕事(しごと)にたずさわる(なか)から()まれてきたのだから、『新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』の兄弟分(きょうだいぶん)みたいなもの。『新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』の多摩郡(たまぐん)()ができあがった文政(ぶんせい)5(ねん)(1822)のよく(ねん)に『武蔵(むさし)名勝(めいしょう)図会(ずえ)』は完成(かんせい)し、昌平坂(しょうへいざか)学問所(がくもんじょ)(はやし)述斎(じゅつさい)献上(けんじょう)された。

江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)
新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)』が政府(せいふ)刊行(かんこう)地誌(ちし)ならこちらは民間(みんかん)編集(へんしゅう)地誌(ちし)(なか)最大(さいだい)最高(さいこう)といわれる()内容(ないよう)(ほん)寛政(かんせい)年間(ねんかん)(1789~1801)に神田(かんだ)名主(なぬし)斉藤(さいとう)幸雄(ゆきお)()がけてから、その(まご)斉藤(さいとう)月岑(げっしん)出版(しゅっぱん)にもちこむまで、親子(おやこ)3(だい)、40(ねん)以上(いじょう)もの月日(つきひ)をかけた大事業(だいじぎょう)天保(てんぽう)5(ねん)(1834)と天保(てんぽう)7(ねん)(1836)の2()()け7(かん)20(さつ)出版(しゅっぱん)されたんだ。さし()長谷川(はせがわ)雪旦(せったん)()()った。
江戸(えど)(ひと)たちのガイドとしてはもちろん、(とお)地方(ちほう)(ひと)たちが江戸(えど)()るための資料(しりょう)としても、人気(にんき)があった。

この世のごくらくガイドその1.温泉(おんせん)

平井(ひらい)(むら)鹿(しか)()()出町(でまち)
湯本(ゆもと)は、塩沢山(しおさわさん)宝光寺(ほうこうじ)本堂(ほんどう)から300メートルばかり(きた)(たに)あいにあって、「鹿(しか)()」という。
むかし、ここにキズを()った鹿(しか)がやって()て、(なお)したといい、(とお)くの(ひと)も、(はなし)(つた)()いて、(やま)(なか)へはいって温泉(おんせん)をくんでくる。
宝光寺(ほうこうじ)(ひら)いた文済(もんさい)禅師(ぜんじ)が、みんなの苦労(くろう)(おも)って仏陀(ぶっだ)(いの)り、大般若経(だいはんきゃきょう)(とな)えたところ、(やま)のふもとに温泉(おんせん)()()したのだそうだ。お()硫黄(いおう)()(すこ)しあって、(みず)(いろ)(しろ)い。()(きず)打撲(だぼく)骨折(こっせつ)()(びょう)によく()く。

小河内郷(おごうちのごう)温泉(おんせん)奥多摩町(おくたままち)
もとは小河内(おごうち)(むら)として、ひとつだったのが、(はら)(むら)河内(こうち)(むら)川野(かわの)(むら)留浦(とずら)(むら)(よん)(そん)()かれた。
ここに熊野(くまの)権現(ごんげん)という神社(じんじゃ)があって、またの()を「()権現(ごんげん)」、そのそばから温泉(おんせん)()いている。打撲(だぼく)、くじき、頭痛(ずつう)などに効果(こうか)があって、(はる)から(あき)まで治療(ちりょう)におとずれる(ひと)たちがいっぱいいる。
「鹿の湯の図」鹿(しか)()()。「武蔵(むさし)名勝(めいしょう)図会(ずえ)」より)

このころ、西多摩(にしたま)には「七ツ湯(ななつゆ)」といって、ほかに三内(さんない)(ふじ)()」、網代(あじろ)(たま)()」、檜原(ひのはら)数馬(かずま)()」、長浦(ながうら)出湯(いでゆ)」、小曽木(おそぎ)岩蔵(いわくら)鉱泉(こうせん)」という有名(ゆうめい)温泉(おんせん)があった。

ガイドその2.不思議(ふしぎ)だぞ!ほんとうか?!(へん)

箱根ケ崎(はこねがさき)(むら)(はこ)(いけ)(じゃ)()次右衛門(じえもん)瑞穂町(みずほまち)
(はこ)(いけ)は「狭山(さやま)(いけ)」ともいった。むかしは(おお)きな(いけ)だったけれど、(いま)(みず)がかれてしまった。(くさ)ぼうぼうの()ではあるけれど、(とお)(みね)からながめると奥深(おくぶか)(おもむ)きがある。
この(いけ)(みず)をたたえていた(ころ)(むら)百姓(ひゃくしょう)次右衛門(じえもん)という(ひと)がいた。(なつ)(あつ)()(いけ)(みず)あびをしたら、(へび)がからみつき、からだをしめあげてくる。次右衛門(じえもん)(いさ)ましい(ひと)だったから(へび)()いちぎった。すると(いけ)(みず)(あか)(いろ)になり、(そら)はかきくもって()りひびいた。
この(へび)(ふる)くから(はこ)(いけ)()んでいたが、次右衛門(じえもん)退治(たいじ)されてしまったので、(いけ)(みず)もかれたのだという。
へびをくいちぎったんだねっ

由木領中野(ゆぎりょうなかの)(むら)自分(じぶん)前世(ぜんせ)をおぼえている()ども(八王子市(はちおうじし)
源蔵(げんぞう)という村人(むらびと)()勝五郎(かつごろう)は、自分(じぶん)前世(ぜんせ)をおぼえているという。
勝五郎(かつごろう)文化(ぶんか)12(ねん)(1815)10(がつ)10日(とうか)()まれだが、8(さい)(とき)、14(さい)になる(あね)(あそ)んでいて、「自分(じぶん)前世(ぜんせ)()っている」と()いだした。
ぼくなんか宿題だってわすれちゃうけどな自分(じぶん)中野(なかの)(むら)より2キロメートル>ほど西北(せいほく)程窪(ほどくぼ)(むら)()まれた。(ちち)勝五郎(かつごろう)(はは)はおしづ。6(さい)(とき)天然痘(てんねんとう)にかかって()んでからこの(いえ)()まれた」と()う。その(つぎ)(とし)文政(ぶんせい)6(ねん)(1823)の正月(しょうがつ)母親(ははおや)とおまいりのかえり、程窪(ほどくぼ)(むら)(とお)りかかると、「これが自分(じぶん)前世(ぜんせ)(いえ)」と勝五郎(かつごろう)(むら)(なか)一軒(いっけん)(ゆび)さした。その(いえ)母親(ははおや)がたずねてみると、勝五郎(かつごろう)(はな)したとおりだった。
この不思議(ふしぎ)(はなし)(つた)えひろまり、(たず)ねてくる(ひと)(おお)い。江戸(えど)でも評判(ひょうばん)(はなし)だ。

ガイドその3.やっぱりこれだね、神社(じんじゃ)・お(てら)(へん)

府中宿(ふちゅうじゅく)総社(そうじゃ)六所宮(ろくしょのみや)府中市(ふちゅうし)
武蔵国(むさしのくに)総社(そうじゃ)で、宿(しゅく)中央(ちゅうおう)鎮座(ちんざ)している。(つまり大國魂(おおくにたま)神社(じんじゃ)だよ。)
毎月(まいつき)1日(ついたち)・15(にち)五節句(ごせっく)冬至(とうじ)夏至(げし)追儺(ついな)除夜(じょや)(まつ)りには、お神楽(かぐら)をする。
2(がつ)1日(ついたち)(はな)(まつ)り。5(がつ)3日(みっか)(よる)競馬(けいば)(まつ)り。5(がつ)4日(よっか)5日(いつか)もお(まつ)り。6(がつ)20日(はつか)、お(まつ)り。7(がつ)7日(なのか)帷子祭(かたびらさい)。7(がつ)12~13(にち)(あさ)まで舞楽(まいがく)。8(がつ)1日(ついたち)田面(たも)神事(しんじ)。11(がつ)1日(ついたち)新嘗祭(にいなめさい)

高幡(たかはた)(むら)高幡山(たかはたさん)金剛寺(こんごうじ)日野市(ひのし)
大宝(たいほう)年中(ねんじゅう)(701~704)に慈覚(じかく)大師(だいし)(ひら)いたお(てら)
本堂(ほんどう)(ひがし)不動尊(ふどうそん)古迹山(こせきさん)のふもとに「鼻井(はない)」という井戸(いど)がある。この(みず)暦応(りゃくおう)2(ねん)(1339)に不動尊(ふどうそん)(やま)(うえ)からここにおろしてきた(とき)尊像(そんぞう)(あたま)がおちたところから自然(しぜん)()()してきたもの。たとえ1000(にち)日照(ひで)りにもひあがらず、(すう)(げつ)(あめ)()ってもあふれない。熱病(ねつびょう)悪寒(おかん)、はれもの、()(やま)いや、(いた)いところにつけたり、()んだりすると(なお)る。(なお)らない(ひと)はいないぞ。

谷保(やほ)(むら)天満(てんまん)天神(てんじん)国立市(くにたちし)谷保(やほ)天神(てんじん)のことだよ
津戸三郎為守は鎌倉幕府の御家人 むかし、神社(じんじゃ)本宿(ほんじゅく)谷保(やほ)(むら)(ひがし)(どな)り)の(みなみ)の、天神島(てんじんじま)というところにあった。養和(ようわ)(がん)(ねん) (1181)に津戸(つのと)三郎(さぶろう)為守(ためもり)(ゆめ)のお()げにしたがって、ここに(うつ)した。さらにその()甲州(こうしゅう)街道(かいどう)(すじ)がかわったので、神社(じんじゃ)参道(さんどう)(いま)のところにつけた。それで()(ぐち)よりもお(みや)(ほう)(ひく)場所(ばしょ)になっちゃった。あたりは(すぎ)木立(こだ)ちだ。
例祭(れいさい)正月(しょうがつ)、2(がつ)25(にち)、8(がつ)24~26(にち)獅子舞(ししまい)神楽(かぐら)などがあり、お(まつ)りの(ひと)()れをなす。11(がつ)3日(みっか)には()(まつ)りだ。氏子(うじこ)新米(しんまい)奉納(ほうのう)して、かがり()をたく。
「谷保天神」
(『江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)』より (きゅう)甲州(こうしゅう)街道(かいどう)から()谷保(やほ)天神(てんじん)

ガイドその4.自慢(じまん)しちゃうぞ、この名物(めいぶつ)

アユの塩焼きも大好物なんだー 多磨(たま)(摩)(がわ)(あゆ)府中(ふちゅう)調布(ちょうふ)あたりから(かみ)青梅(おうめ)羽村市(はむらし)あたりまで)
ここいらの名産(めいさん)(あゆ)(あき)彼岸(ひがん)になると府中(ふちゅう)(りょう)より西(にし)(ほう)から川上(かわかみ)三田領(みたりょう)まで、(あゆ)とりを(めい)じられて、川筋(かわすじ)村々(むらむら)毎年(まいとし)幕府(ばくふ)(おさ)めている。ここの(あゆ)相模川(さがみがわ)(あゆ)などとは(かたち)(ちが)い、(あじ)もいい。幕府(ばくふ)御用(ごよう)(あゆ)(あみ)でとって、いけすに()っておく。そして()められた()(おさ)める。(おお)きすぎず(ちい)さすぎず、15センチほどのがいい。(とり)()をあやつってとると(あゆ)にきずがつくので、御用(ごよう)()きには使(つか)えない。
ほかに、ハヤ、マス、ナマズ、ウナギ、カジカ、ヤマメ、イワナなどがとれる。
「多磨川の図」 (『江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)』より 多磨川(たまがわ)()

河辺(かわべ)(むら)玉川(たまがわ)(やき)青梅市(おうめし)
河辺焼(かわべやき)」ともいう。楽焼(らくやき)といって、ゆびで(かたち)づくり、(ひく)温度(おんど)()()陶器(とうき)だ。つくり(はじ)めて20(ねん)くらいだ。(江戸(えど)時代(じだい)文化(ぶんか)文政(ぶんせい)のころから()て20(ねん)ということですよ。)江戸(えど)へも(おく)って、「玉川(たまがわ)(やき)」といっている。

江戸のガイドブックをながめてみました
<クイズのこたえ>
1.とずらむら 2.うずしきくみ 3.ことづらくみ 4.さんないむら

参考(さんこう)にした(ほん)

新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)
角川(かどかわ)地名(ちめい)大辞典(だいじてん)
武蔵(むさし)名勝(めいしょう)図会(ずえ)
江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)
多摩(たま)歴史(れきし)
多摩(たま)地名(ちめい)研究(けんきゅう)をされている保坂(ほさか)芳春(よしはる)先生(せんせい)にもたいへんおせわになりました。

小平市に関すること
1.小平市内めぐり 2.小平れきし年表・小平の街道
4.探検!郷土資料室 5.みんなの町のなまえ
6.小平の鉄道の歴史 8.わたしたちの小学校
9.小平はじめて物語 10.戦争と小平
13.小平こだいらの道 14.小平歳時記
15.小平の新田 16.古い地名
19.公園に行こうよ! 26.小平のごちそう うどん
36.ぼくらの町の仕事(1)こだいらの農業 37.ぼくらの町の仕事(2)こだいらの商業
多摩に関すること
12.多摩戦国絵巻 18.多摩の絹の道 シルクロード
20.風雲!新選組 21.楽しい施設ガイド
25.東京のできるまで 27.神奈川県から東京府へ多摩移管百年うそ?ほんと?クイズ
29.多摩の芸能 32.八王子千人同心多摩をゆく
35.多摩の酒造 39.江戸時代の東京 文化文政(1800年代初め)の三多摩編
江戸・東京に関すること
23.幸運招来! 東京七福神めぐり 24.東京の水道
28.江戸をたのしむ 30.わたしのまちの木・花・鳥とシンボルマーク
38.江戸時代の東京 文化文政(1800年代初め)の特別区編 40.花の江戸城 Part1
41.花の江戸城 Part2  
玉川上水・小金井桜に関すること
3.玉川上水をしりたい 7.玉川上水とあそぼう!
17.満開!小金井桜 31.野火止用水をゆけば
その他
11.武蔵武士 22.コレラが町にやって来た
33.これが武蔵国だっ! 34.地震にそなえて

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