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36. ぼくらの(まち)仕事(しごと)(1)
こだいらの農業(のうぎょう)

小平(こだいら)農業(のうぎょう)データ

きみの(いえ)のそばに(はたけ)はあるかい? (はたけ)では(いま)(なに)(そだ)ってる? ねぎかな? (なし)かな? キャベツかな?
小平(こだいら)市内(しない)のあちこちに(はたけ)はあるのに、(なに)(つく)られているのかってけっこう()らないもんだよね。
江戸(えど)時代(じだい)新田(しんでん)開発(かいはつ)から今日(きょう)まで、ぼくらの(まち)ではどんな作物(さくもつ)(そだ)って()たのか、調(しら)べてみたよ。時代(じだい)とともに変化(へんか)してきた小平(こだいら)農業(のうぎょう)

平成(へいせい)20(ねん)小平(こだいら)農業(のうぎょう)データ

平成20年小平の農業データ その1
農地(のうち)面積(めんせき):253ヘクタール

平成20年小平の農業データ その2
作付(さくつけ)面積(めんせき)野菜(やさい)ベスト5 作付(さくつけ)面積(めんせき)(ヘクタール) 収穫量(しゅうかくりょう)(トン)
1.さといも 13 137
2.ほうれんそう 11 127
3.ブロッコリー 11 113
4.大根(だいこん) 10 419
5.キャベツ 8 374

平成20年小平の農業データ その3
くだもの 果樹(かじゅ)面積(めんせき)(ヘクタール) 収穫量(しゅうかくりょう)(トン)
ぶどう 2 21
日本(にほん)(なし) 9 233
うめ 7 9
くり 16 17
ブルーベリー 6 18

こんなにあるよ! 市内の農地

小平(こだいら)農業(のうぎょう)歴史(れきし)

江戸(えど)時代(じだい)

これは『村明細(むらめいさい)書上帳(かきあげちょう)』からの記録(きろく)だけれど、このころの小平(こだいら)各村(かくそん)農作物(のうさくぶつ)ってこういうふうだった。
小川村(おがわむら) 1816(文化13)(ねん)ころ
()んぼ なし
(はたけ)でおかぼ((いね))、大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)蕎麦(そば)()辛子(からし)()大根(だいこん)胡麻(ごま)大豆(だいず)小豆(あずき)、イモ(るい)
大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん) 1821(文政(ぶんせい)4)(ねん)ころ
このころの作物って穀物中心だったんだね ()んぼで(いね)作付(さくづけ)している。
(はたけ)大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)(あわ)(ひえ)蕎麦(そば)()胡麻(ごま)
鈴木(すずき)新田(しんでん) 1850(嘉永(かえい)3)(ねん)ころ
()んぼで晩稲(ばんとう)(ふつうよりおそくできる(いね)
(はたけ)大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)(あわ)(ひえ)大豆(だいず)小豆(あずき)、イモ、()大根(だいこん)胡麻(ごま)()辛子(からし)

(みず)にめぐまれない武蔵野(むさしの)新田(しんでん)()んぼは(すく)ない。1699(元禄(げんろく)12)(ねん)開発(かいはつ)まもない小川村(おがわむら)の『作物(さくもつ)風損害書上(ふうそんがいかきあげ)』という記録(きろく)には、(あわ)(ひえ)、イモ、蕎麦(そば)、おかぼ、大根(だいこん)、といった作物(さくもつ)()があがっている。その()も、江戸(えど)時代(じだい)小平(こだいら)村々(むらむら)雑穀(ざっこく)中心(ちゅうしん)畑作(はたさく)をおこなっていた。
享保(きょうほう)のころからは、()胡麻(ごま)(つく)られるようになった。これは生活(せいかつ)()かせない灯油(とうゆ)原料(げんりょう)なんだ。それから甘薯(かんしょ)(サツマイモ)も(あたら)しい作物(さくもつ)として登場(とうじょう)。1799(寛政(かんせい)11)(ねん)には大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)辛子(からし)が、1821(文政(ぶんせい)4)(ねん)には小川村(おがわむら)大豆(だいず)小豆(あずき)(つく)られた。また、1836(天保(てんぽう)7)(ねん)には長雨(ながあめ)大風雨(だいふうう)()けた被害(ひがい)に、うり、とうなす(カボチャだよ)、すいかなどの()があがっている。この時期(じき)には()るための農作物(のうさくぶつ)がでてきているんだね。

明治(めいじ)時代(じだい)

小川村(おがわむら) 1878(明治(めいじ)11)(ねん)ころ
(こめ)大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)(あわ)裸麦(はだかむぎ)(ひえ)蕎麦(そば)蕃薯(ばんしょ)(サツマイモ)、(さと)イモ、(まゆ)藍葉(あいば)製茶(せいちゃ)菜種(なたね)
大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん) 1879(明治(めいじ)12)(ねん)ころ
(こめ)大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)(あわ)蕎麦(そば)甘薯(かんしょ)(サツマイモ)、(さと)イモ、(まゆ)藍葉(あいば)製茶(せいちゃ)菜種(なたね)
野中(のなか)新田(しんでん)善左衛門組(ぜんざえもんぐみ) 1879(明治(めいじ)12)(ねん)ころ
(こめ)大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)(あわ)蕎麦(そば)甘薯(かんしょ)(サツマイモ)、(さと)イモ、(まゆ)藍葉(あいば)製茶(せいちゃ)菜種(なたね)
野中(のなか)新田(しんでん)与右衛門組(よえもんぐみ) 1879(明治(めいじ)12)(ねん)ころ
おかぼ、大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)(あわ)蕎麦(そば)甘薯(かんしょ)(サツマイモ)、(さと)イモ、(まゆ)藍葉(あいば)製茶(せいちゃ)菜種(なたね)
(めぐ)()新田(しんでん) 1878(明治(めいじ)11)(ねん)ころ
(こめ)大麦(おおむぎ)小麦(こむぎ)(あわ)(ひえ)蕎麦(そば)甘薯(かんしょ)(サツマイモ)、馬鈴薯(ばれいしょ)(ジャガイモ)、おかぼ、(まゆ)生糸(きいと)藍葉(あいば)製茶(せいちゃ)菜種(なたね)
このころになると繭、お茶、藍葉なんていうのが登場してくるよね

(あい) 染料(せんりょう)として使(つか)われる(あい)生産(せいさん)は、江戸(えど)時代(じだい)から(はじ)まっていたけれど、明治(めいじ)にはいって(さか)んになった。(いきお)いが(おとろ)えたのは明治(めいじ)20年代(ねんだい)後半(こうはん)。ドイツから科学(かがく)染料(せんりょう)アニリンが輸入(ゆにゅう)されだしてからだ。
養蚕(ようさん) 明治(めいじ)政府(せいふ)の「産業(さんぎょう)をおこし、(くに)()ませて、(つよ)くしよう」という政策(せいさく)は、まず軽工業(けいこうぎょう)発達(はったつ)させた。製糸業(せいしぎょう)もそのひとつ。それにともなって農村(のうそん)養蚕(ようさん)(さか)んになった。明治(めいじ)の20(ねん)ころからのびてきて、1917(大正(たいしょう)6)(ねん)~1931(昭和(しょうわ)6)(ねん)がピーク。小平(こだいら)でも、農業(のうぎょう)中心(ちゅうしん)だった。
(ちゃ) 小平(こだいら)は、茶処(ちゃどころ)狭山(さやま)丘陵(きゅうりょう)地続(じつづ)きだったから、(はや)くからお(ちゃ)栽培(さいばい)がされていた。でも第一(だいいち)目的(もくてき)は、(つよ)(かぜ)()武蔵野(むさしの)台地(だいち)防風垣(ぼうふうがき)としてだ。だから高級品(こうきゅうひん)をつくろう、というより、()っぱがあるから製茶(せいちゃ)するというかんじだった。北多摩郡(きたたまぐん)製茶(せいちゃ)(りょう)大正(たいしょう)(なか)ごろが一番(いちばん)(おお)かった。そのうち、養蚕(ようさん)手間(てま)がかかるようになって製茶(せいちゃ)はやめになり、生葉(なまば)()るようになった。

大正(たいしょう)昭和(しょうわ)初期(しょき)

甘薯(かんしょ)(サツマイモ)と、養蚕(ようさん)のための(くわ)()え、かわりに(あわ)蕎麦(そば)(ひえ)などはほとんど姿(すがた)()した。この時期(じき)小平(こだいら)農業(のうぎょう)養蚕(ようさん)甘薯(かんしょ)(むぎ)中心(ちゅうしん)なんだ。
大麦(おおむぎ)押麦(おしむぎ)やひきわりで、小麦(こむぎ)(こな)加工(かこう)されて主食(しゅしょく)になったり、うどんとして商品(しょうひん)にされた。
野菜(やさい)昭和(しょうわ)4(1929)(ねん)には大根(だいこん)、ぼごう、すいか、なす、つけななどが栽培(さいばい)されている。
けれど昭和(しょうわ)4(1929)(ねん)世界(せかい)恐慌(きょうこう)昭和(しょうわ)12(1937)(ねん)日中(にっちゅう)戦争(せんそう)昭和(しょうわ)16(1941)(ねん)太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)と、蚕糸業(さんしぎょう)をゆさぶる出来事(できごと)がつづく。戦時中(せんじちゅう)は「(かいこ)(くわ)より食糧(しょくりょう)を」となって、養蚕(ようさん)はすたれた。
大正(たいしょう)から昭和(しょうわ)(はじ)めにかけて、(もっと)(さか)んだったころは小平(こだいら)に16(けん)もあった蚕種(さんしゅ)業者(ぎょうしゃ)(かいこ)種屋(たねや)さん)も、昭和(しょうわ)12(1937)(ねん)には(すべ)てやめてしまった。

戦後(せんご)

昭和(しょうわ)32、3(1957、8)(ねん)ころの小平(こだいら)農作物(のうさくぶつ)

すいか 小平(こだいら)すいか昭和(しょうわ)33(ねん)作付(さくつけ)面積(めんせき)東京(とうきょう)(だい)1()
昭和(しょうわ)25、6(ねん)ころから()びる。「新都(しんみやこ)」「新三笠(しんみかさ)」などの品種(ひんしゅ)栽培(さいばい)された。昭和(しょうわ)28、9(ねん)(もっと)(さか)んだった。

だいこん 秋作(あきさく)大根(だいこん)昭和(しょうわ)33(ねん)練馬(ねりま)八王子(はちおうじ)についで東京(とうきょう)(だい)3()

はくさいのイラスト はくさい昭和(しょうわ)33(ねん)東京(とうきょう)(だい)4()

うどのイラスト うど
(ふる)くから吉祥寺(きちじょうじ)あたりで栽培(さいばい)されていた。小平(こだいら)でも昭和(しょうわ)28(ねん)には5ヘクタールほど作付(さくつけ)された。


その(ほか)、なす、きゅうり、トマト、ほうれんそう、まくわうり…など。

にわとり、ぶた、うし 小平(こだいら)畜産(ちくさん)
戦前(せんぜん)も、うさぎ、にわとり、(ぶた)山羊(やぎ)(うし)など()われていたけれど、昭和(しょうわ)の30年代(ねんだい)には養豚(ようとん)養鶏(ようけい)(さか)んになった。
酪農(らくのう)農家(のうか)戸数(こすう)としては(おお)くないけれど、(もっと)(さか)んな時期(じき)には200(とう)をこす乳牛(にゅうぎゅう)がいた。しぼった牛乳(ぎゅうにゅう)酪農(らくのう)組合(くみあい)共同(きょうどう)収乳場(しゅうにゅうじょう)牛乳(ぎゅうにゅう)(あつ)める場所(ばしょ)小川町(おがわちょう)2丁目(ちょうめ)回田町(めぐりたちょう)にあった。)に(あつ)められた。
昭和(しょうわ)35(ねん)ころから専業化(せんぎょうか)(すす)んで、小平(こだいら)のような兼業(けんぎょう)酪農(らくのう)はだんだんと(おとろ)えた。

大地は友だち 昭和(しょうわ)40(ねん)高度(こうど)経済(けいざい)成長(せいちょう)以降(いこう)

この時期(じき)小平(こだいら)都市化(としか)(すす)み、住宅(じゅうたく)急速(きゅうそく)()え、かわりに農家(のうか)農地(のうち)()っていった。甘薯(かんしょ)(サツマイモ)や(むぎ)(つく)られなくなった。かわりにトマト、きゅうり、うどなどの近郊(きんこう)作物(さくもつ)栽培(さいばい)にうつり、さらにくだもの、花卉(かき)鑑賞用(かんしょうよう)植物(しょくぶつ))、植木(うえき)などがとりいれられてきた。(いま)小平(こだいら)農業(のうぎょう)野菜(やさい)やくだものが中心(ちゅうしん)だ。

それぞれの農作物(のうさくぶつ)、こんなお仕事(しごと)

うど 4月~10月
11(がつ) ()かぶをむろに()れ、(つち)をかぶせる。
12(がつ) むろの(なか)でうどが()びる、機械(きかい)でうどを(はこ)()げ、
12~1(がつ) (はこ)づめして、出荷(しゅっか)

その(ほか)野菜(やさい)
1~3(がつ) 去年(きょねん)(あき)(たね)をまいた、こまつな・ほうれんそうを収穫(しゅうかく)
3(がつ) (はたけ)(たがや)したり、消毒(しょうどく)したりして、(はる)()()けの準備(じゅんび)
4(がつ) 元肥(もとごえ)をほどこし、(さと)イモ、ジャガイモの(たね)イモを()()ける。トウモロコシの(たね)をまく。
5(がつ) トマト、なす、きゅうりなど、(なつ)野菜(やさい)(なえ)()える。消毒(しょうどく)やイモ(るい)(つち)()せの作業(さぎょう)など。
初夏(しょか)盛夏(せいか)(なつ、まっさかり!) (なつ)野菜(やさい)、ジャガイモの収穫(しゅうかく)
7(がつ) (あき)(ふゆ)どりのキャベツの(たね)まき。
8(がつ) キャベツの定植(ていしょく)大根(だいこん)、にんじん、ブロッコリーなどの(たね)まきと定植(ていしょく)
(あき)(ふゆ) 消毒(しょうどく)追肥(おいごえ)大根(だいこん)、にんじん、ブロッコリー、(さと)イモなどの収穫(しゅうかく)

(なし)
小平(こだいら)(なし)昭和(しょうわ)22(1947)(ねん)西窪(にしくぼ)代三郎(だいさぶろう)さんが稲城(いなぎ)(とも)だちから(なし)()()けてもらって、研究(けんきゅう)栽培(さいばい)をしたのが(はじ)まり。
(ふゆ) 剪定(せんてい)()成長(せいちょう)平均(へいきん)した()のりのために(えだ)()整理(せいり)してあげること)
1年中なにかと忙しいわけだ (はる)(なつ) 受粉(じゅふん)()かき・摘果(てきか)(おお)きさをそろえるため()(ちい)さいうちにまびくこと)・(ふくろ)かけ・肥料(ひりょう)をやる・消毒(しょうどく)
(なつ)のなかば~(あき) 収穫(しゅうかく)

花卉(かき)植木(うえき)
昭和(しょうわ)30年代(ねんだい)以降(いこう)本格的(ほんかくてき)になった。昭和(しょうわ)43(ねん)には、花卉(かき)栽培(さいばい)(さか)んな地域(ちいき)である小川町(おがわちょう)1丁目(ちょうめ)に「温室(おんしつ)団地(だんち)」の(だい)1(ごう)()てられた。こうして昭和(しょうわ)45(ねん)までに5つの温室(おんしつ)団地(だんち)完成(かんせい)園芸(えんげい)農業(のうぎょう)(おお)いに役立(やくだ)っている。

数字(すうじ)()小平(こだいら)農業(のうぎょう)のうつりかわり

ぼく数字ってきらい…

農家(のうか)戸数(こすう)
小平(こだいら)のはじまり、小川村(おがわむら)の1713(正徳(しょうとく)3)(ねん)ころのようす。開発(かいはつ)してから50(ねん)くらい。(「村明細(むらめいさい)書上帳(かきあげちょう)」より)

農家の戸数
ないよう 戸数(こすう)
本百姓(ほんびゃくしょう)田畑(たはた)屋敷(やしき)()ち、年貢(ねんぐ)(おさ)める農家(のうか) 173()
(わき)百姓(びゃくしょう)本百姓(ほんびゃくしょう)より一段(いちだん)(ひく)地位(ちい)にある農家(のうか) 10()
水呑(みずのみ)自分(じぶん)(はたけ)をもたず、土地(とち)()りている農家(のうか) 19()
合計(ごうけい) 202()
だんだん減ってる
専業農家と兼業農家
(ねん) 専業(せんぎょう)農家(のうか) 兼業(けんぎょう)農家(のうか) 合計(ごうけい)
昭和(しょうわ) (がん)(ねん) 695 117 812
5(ねん) 698 77 775
13(ねん) 456 316 772
21(ねん) 417 402 819
30(ねん) 581 439 1,020
35(ねん) 404 479 883
40(ねん) 287 481 768
45(ねん) 141 556 697
50(ねん) 71 481 552
55(ねん) 57 455 512
60(ねん) 54 450 504
平成(へいせい) 2(ねん) 42 460 502
5(ねん) 30 450 480
7(ねん) 56 389 445
12(ねん) 70 364 434
17(ねん) 5 393 398
専業(せんぎょう)農家(のうか) :農業(のうぎょう)からの収入(しゅうにゅう)だけでくらしをたてている農家(のうか)
兼業(けんぎょう)農家(のうか) :農業(のうぎょう)以外(いがい)仕事(しごと)からも収入(しゅうにゅう)をえている農家(のうか)
昭和16年前後は戦争のために減ったんだ
昭和30年ごろから高度経済成長が始まった

昭和3年は養蚕がだんとつね
新田(しんでん)開発(かいはつ)(すす)んで生産(せいさん)(りょく)(たか)まり、農家(のうか)(ひと)たちの生活(せいかつ)がおちついてくると、作物(さくもつ)種類(しゅるい)もふえ、あまった(ぶん)江戸(えど)()って()って()るようにもなった。
農作物(のうさくぶつ)商品(しょうひん)()明治(めいじ)にはいって、さらに(すす)んだ。甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)開通(かいつう)明治(めいじ)22(ねん))などによる交通(こうつう)発達(はったつ)工業(こうぎょう)成長(せいちょう)による経済(けいざい)発達(はったつ)がその原因(げんいん)なんだ。品物(しなもの)(はや)運送(うんそう)できるようになったし、自分(じぶん)たちが品物(しなもの)()うためのお(かね)必要(ひつよう)になる。東京(とうきょう)のまわりの農村(のうそん)都会(とかい)()けて商品(しょうひん)になる野菜(やさい)(つく)るようになった。小平(こだいら)では昭和(しょうわ)(はじ)めからじょじょに、終戦後(しゅうせんご)急速(きゅうそく)商品(しょうひん)作物(さくもつ)栽培(さいばい)()びていった。

小平(こだいら)のおもな農作物(のうさくぶつ)収穫(しゅうかく)面積(めんせき)のうつりかわり≫
書ききれませんでした (なに)単位(たんい)がはいっていない数字(すうじ)はヘクタール
空欄はデータがない、という 意味(いみ)です。

小平のおもな農作物の収穫面積のうつりかわり
しゅるい 昭和(しょうわ)35(ねん) 40(ねん) 50(ねん) 55(ねん) 60(ねん) 平成(へいせい)2(ねん) 9(ねん) 14(ねん) 19(ねん)
穀類(こくるい)(こめ)(むぎ) 625 280 33 18 15 10 3 3 1
甘薯(かんしょ)(サツマイモ) 162 93 22 16 10 3 4 3 3
トマト 12 4 2 2 2 2 4 4 3
きゅうり 14 8 4 3 4 4 4 4 4
すいか 46 18 1 2 0 0 0 0 0
大根(だいこん) 97 31 15 13 13 13 13 11 10
ごぼう 69 41 5 3 4 3 1 1 1
サトイモ 26 7 15 19 22 25 18 17 13
白菜(はくさい) 39 23 11 7 7 5 6 5 5
うど 36 29 20 15 22 8 6 3
(なし) 6 10 10 11 13 11 11 10
(ちゃ) 29 18 12 8 2 0 0 0
鉢物(はちもの)観葉(かんよう)植物(しょくぶつ)(はち) 24,800 219,500 121,500 104,800 27,800 23,800 549,000 63,100
植木(うえき)(ほん) 122 9 12 15 75,600 96,612 2,597,000 61,300

農作物(のうさくぶつ)のルーツ・小平(こだいら)農業(のうぎょう)団体(だんたい)


農作物(のうさくぶつ)のルーツ

里イモ (さと)イモ
インドのあたりが原産地(げんさんち)。キリストの時代(じだい)にエジプトに(つた)わり、イタリア、スペイン、アラビアに輸入(ゆにゅう)中国(ちゅうごく)にも(ふる)くから(つた)わって、それから日本(にっぽん)(わた)って()たらしいけど、いつなのかはわからない。醍醐(だいご)天皇(てんのう)時代(じだい)の『本草(ほんそう)和名(わみょう)』という資料(しりょう)にその()がのっているから、資料(しりょう)ができた898(ねん)よりも、以前(いぜん)(つた)わっていたのはまちがいない。

ジャガイモのイラスト ジャガイモ
またの()馬鈴薯(ばれいしょ)原産地(げんさんち)(みなみ)アメリカはペルーのアンデス(さん)高地(こうち)。1523(ねん)ころ、スペイン(じん)()でヨーロッパに(つた)えられた。日本(にっぽん)にはオランダ(せん)が1576(天正(てんしょう)4)(ねん)と1603(慶長(けいちょう)8)(ねん)()って()て、国内(こくない)各地(かくち)(ひろ)まった。(はじ)めは食用(しょくよう)じゃなくて観賞用(かんしょうよう)だったんだって。()べるようになったのは18世紀(せいき)にはいってから。一般的(いっぱんてき)になったのは明治(めいじ)以降(いこう)なんだ。
観賞用(かんしょうよう);()(たの)しむためのもの

すいかのイラスト すいか
すいかのはじまりの()はイタリアとも、アフリカとも()われる。古代(こだい)エジプトの壁画(へきが)にも、すいからしいくだものが(えが)かれている。4,000(ねん)くらい(まえ)から栽培(さいばい)されている歴史(れきし)のあるくだものなんだ。
1597(ねん)にイギリスに(わた)り、(みなみ)アメリカ、(きた)アメリカと(つた)わっていった。日本(にっぽん)への到着(とうちゃく)がいつごろかはこれまた不明(ふめい)なんだけど、1579(ねん)中国(ちゅうごく)から(たね)(つた)えられたという(せつ)も。一方(いっぽう)弥生(やよい)時代(じだい)(すえ)だとも。(いま)みたいにおいしいすいかになったのは1887(明治(めいじ)20)(ねん)ころから。もともとは(あお)くさかった。

うどのイラスト うど
本州(ほんしゅう)北海道(ほっかいどう)沖縄(おきなわ)()(やま)自然(しぜん)にはえていた。江戸(えど)時代(じだい)(なか)ごろから利用(りよう)されるようになったらしい。ただし、山菜(さんさい)としてはもっと(ふる)くから()べられていたのだろう。
朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)から中国(ちゅうごく)東北部(とうほくぶ)まで分布(ぶんぷ)しているけれど中国(ちゅうごく)資料(しりょう)にある品種(ひんしゅ)生産(せいさん)方法(ほうほう)日本(にっぽん)のものだそうな。日本(にっぽん)特産(とくさん)野菜(やさい)なんだね。

(あい)
(あお)(いろ)染料(せんりょう)植物(しょくぶつ)。インドシナ南部(なんぶ)原産地(げんさんち)。アジアに(はや)くから(ひろ)まって、日本(にっぽん)にも中国(ちゅうごく)から輸入(ゆにゅう)されて利用(りよう)された。

まくわうりのイラスト まくわうり
中国(ちゅうごく)北部(ほくぶ)朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)(ふる)くからあって、栽培(さいばい)紀元前(きげんぜん)からおこなわれていたらしい。日本(にっぽん)には弥生(やよい)時代(じだい)(つた)わった。また5世紀(せいき)なかばごろには朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)から帰化人(きかじん)によってももたらされ、日清(にっしん)日露(にちろ)戦争(せんそう)明治(めいじ)時代(じだい))のときにも、軍人(ぐんじん)()(おお)くの品種(ひんしゅ)がもちかえられた。プリンスメロンなどはこの仲間(なかま)

なし (なし)
(なし)には日本(にほん)(なし)西洋(せいよう)(なし)中国(ちゅうごく)(なし)などがある。日本(にほん)(なし)のおおもとと(おも)われる野生(やせい)(なし)は、中国(ちゅうごく)揚子江(ようすこう)沿岸(えんがん)朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)南部(なんぶ)九州(きゅうしゅう)南部(なんぶ)()られる。けれども、中国(ちゅうごく)から輸入(ゆにゅう)したものを栽培(さいばい)したのか、日本(にっぽん)野生(やせい)(なし)改良(かいりょう)していったのかはさだかではない。『日本(にほん)書記(しょき)』の持統(じとう)天皇(てんのう)7(ねん)(693)3(がつ)のところに、(なし)栽培(さいばい)をすすめる記録(きろく)がある。栽培(さいばい)歴史(れきし)だけで1,500(ねん)くらいあるらしいんだ。

小平(こだいら)農業(のうぎょう)団体(だんたい)

小平市(こだいらし)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)
大正(たいしょう)4(1915)(ねん)設立(せつりつ) 小平村(こだいらむら)信用(しんよう)購売(こうばい)組合(くみあい)
大正(たいしょう)8(1919)(ねん)設立(せつりつ) 小平村(こだいらむら)五字(ごあざ)信用(しんよう)購売(こうばい)販売(はんばい)利用(りよう)組合(くみあい)
昭和(しょうわ)18(1943)(ねん)統合(とうごう) 小平(こだいら)(まち)農業(のうぎょう)(かい)となる。

昭和(しょうわ)22(1947)(ねん)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)(ほう)公布(こうふ)農業(のうぎょう)(かい)解散(かいさん)

小平(こだいら)(まち)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)設立(せつりつ)
小平(こだいら)(まち)五字(ごあざ)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)設立(せつりつ)
昭和(しょうわ)24(1949)(ねん)、この2団体(だんたい)合併(がっぺい)
(いま)小平市(こだいらし)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)のもととなる。

小平市(こだいらし)果樹(かじゅ)組合(くみあい)
昭和(しょうわ)39(1964)(ねん)設立(せつりつ)(なし)をはじめ、ぶどう、キーウィフルーツ、ブルーベリー、りんごなどのくだものを栽培(さいばい)する農家(のうか)組合(くみあい)勉強(べんきょう)(かい)をしたり、市内(しない)幼稚(ようち)園児(えんじ)(なし)のプレゼントをしたりしている。

小平市(こだいらし)園芸(えんげい)組合(くみあい)
昭和(しょうわ)24(1949)(ねん)、「花卉(かき)生産(せいさん)研究(けんきゅう)(かい)」からスタート。
昭和(しょうわ)30(1955)(ねん)ころから、植木(うえき)生産(せいさん)(はじ)めて、(いま)()まえに(あらた)められた。
即売(そくばい)(かい)やコンクールなどをおこない、地域(ちいき)緑化(りょくか)にも協力(きょうりょく)している。

小平市(こだいらし)野菜(やさい)組合(くみあい)
昭和(しょうわ)49(1974)(ねん)設立(せつりつ)
即売(そくばい)(かい)品評(ひんぴょう)(かい)研究(けんきゅう)(かい)などをおこなっている。

小平(こだいら)うど生産(せいさん)出荷(しゅっか)組合(くみあい)
昭和(しょうわ)32(1957)(ねん)設立(せつりつ)
共同(きょうどう)販売(はんばい)勉強(べんきょう)(かい)のほか、うどを(ひろ)めるために、料理(りょうり)講習(こうしゅう)(かい)もひらく。
学校(がっこう)給食(きゅうしょく)にも提供(ていきょう)をしている。

うどは全部おいしくいただけるんだよ

小平(こだいら)農業(のうぎょう)年表(ねんぴょう)

小平の農業年表
できごと
1654(承応(じょうおう)3) 6(がつ)20日(はつか) 玉川(たまがわ)上水(じょうすい)完成(かんせい)
1656(明暦(めいれき)2) この(とし)小川(おがわ)九郎兵衛(くろべえ)小川村(おがわむら)開発(かいはつ)(ねが)いでる。(よく(とし)開発(かいはつ)(はじ)める。)
1676(延宝(えんぽう)4) 8(がつ) 小川(おがわ)名主(なぬし)農民(のうみん)(あらそ)いおこる。(よく(とし)4(がつ)におさまる。)
1724(享保(きょうほう)9) 5(がつ) 小川(おがわ)新田(しんでん)大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)鈴木(すずき)新田(しんでん)野中(のなか)新田(しんでん)開発(かいはつ)(はじ)まる。
1730(享保(きょうほう)15) 12(がつ) 家作料(かさくりょう)開発(かいはつ)農具料(のうぐりょう)をめぐって新田(しんでん)農民(のうみん)幕府(ばくふ)(あいだ)(あらそ)いおこり、年貢(ねんぐ)大幅(おおはば)()らされる。
1738(元文(げんぶん)3) この(とし)武蔵野(むさしの)新田(しんでん)大凶作(だいきょうさく)
1741(元文(げんぶん)4) この(とし)川崎(かわさき)平右衛門(へいえもん)大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)井戸(いど)を2つ()る。大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)水田(すいでん)5(たん)1()27()ができる。(およそ5、138平方(へいほう)メートル)
1742(寛保(かんぽう)2) 4(がつ)26(にち) 川崎(かわさき)平右衛門(へいえもん)武蔵野(むさしの)新田(しんでん)農民(のうみん)(むらさき)菜種(なたね)(くば)り、作付(さくづけ)させる。
1743(寛保(かんぽう)3) この(とし)大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)に、水田(すいでん)9()15()つくられる。(およそ940.5平方(へいほう)メートル)
1750(寛延(かんぼう)3) 4(がつ) 武蔵(むさし)地方(ちほう)(ひょう)(氷のつぶ)が()り、(いえ)農作物(のうさくぶつ)(だい)被害(ひがい)
1770(明和(めいわ)7) この(なつ)、かんばつ(()()りつづきで(みず)がかれること)。小川村(おがわむら)不作(ふさく)のため、年貢(ねんぐ)(おさ)められなかった。
1782(天明(てんめい)2) この(とし)小川村(おがわむら)名主(なぬし)弥次郎(やじろう)番所(ばんしょ)(めい)()けて、(さかい)新田(しんでん)関前(せきまえ)新田(しんでん)(いま)武蔵野市(むさしのし))に、甘薯(かんしょ)(サツマイモ)の()えつけをする。
天明(てんめい)年間(ねんかん)(1781~89)は毎年(まいとし)のようにききんにみまわれる。
1799(寛政(かんせい)11) このころ大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)でからしをつくる。
1821(文政(ぶんせい)4) 小川村(おがわむら)農作物(のうさくぶつ)大豆(だいず)小豆(あずき)(くわ)わる。
1848(弘化(こうか)5) 館林(たてばやし)八王子(はちおうじ)(むら)農民(のうみん)幸七(こうしち)藍種(あいだね)()って()て、小川(おがわ)新田(しんでん)熊宮(くまのみや)宮崎家(みやざきけ)(あい)作付(さくづけ)(ほう)(ひろ)める。
1874(明治(めいじ)7) このころ、小平(こだいら)養蚕(ようさん)さかん。
1877(明治(めいじ)10) このころ、小平(こだいら)でお(ちゃ)づくりがさかん。
明治(めいじ)なかごろ、(ぶた)()いだす。
1886(明治(めいじ)19) このころ、小平(こだいら)村々(むらむら)農家(のうか)の7~9(わり)養蚕(ようさん)をおこなう。
1889(明治(めいじ)22) 4(がつ) 小平(こだいら)(むら)誕生(たんじょう)
1894(明治(めいじ)27) このころ、(はたけ)仕事(しごと)()に、(おとこ)(ひと)はもも(ひき)をはきはじめる。
1921(大正(たいしょう)10) このころ、(おんな)(ひと)仕事(しごと)()に、モンペが使(つか)われはじめる。
1927(昭和(しょうわ)2) 小川(おがわ)三番(さんばん)農家(のうか)馬鈴薯(ばれいしょ)(ジャガイモ)、ごぼう、大根(だいこん)(さと)イモ、白菜(はくさい)、すいかなどの野菜(やさい)やくだものが作物(さくもつ)にとり入れられる。
1928(昭和(しょうわ)3) この(とし)養蚕(ようさん)甘薯(かんしょ)(サツマイモ)が農業(のうぎょう)収入(しゅうにゅう)の65パーセントを()める。
1935(昭和(しょうわ)10) このころ、小平(こだいら)農家(のうか)野菜(やさい)栽培(さいばい)(ひろ)まる。
1936(昭和(しょうわ)11) この(とし)農林省(のうりんしょう)獣疫(じゅうえき)調査所(ちょうさしょ)小平(こだいら)分室(ぶんしつ)(かみ)鈴木(すずき)(いま)上水本町(じょうすいほんちょう)6丁目(ちょうめ))に開設(かいせつ)
1941(昭和(しょうわ)16) 4(がつ) 蚕糸(さんし)科学(かがく)研究所(けんきゅうじょ)小平(こだいら)支所(ししょ)小川(おがわ)(たかの(だい))に開設(かいせつ)される。
1944(昭和(しょうわ)19) 2(がつ) 小平(こだいら)(まち)誕生(たんじょう)
1946(昭和(しょうわ)21) 2(がつ) (だい)1()農地(のうち)改革(かいかく)実施(じっし)
10(がつ) (だい)2()農地(のうち)改革(かいかく)実施(じっし)
1947(昭和(しょうわ)22) 5(がつ) 農林省(のうりんしょう)獣疫(じゅうえき)調査所(ちょうさしょ)小平(こだいら)分室(ぶんしつ)農林省(のうりんしょう)家畜(かちく)試験場(しけんじょう)となる。
6(がつ) 農林省(のうりんしょう)農薬(のうやく)検査所(けんさしょ)開設(かいせつ)。(鈴木町(すずきちょう)2丁目(ちょうめ)
1948(昭和(しょうわ)23) 5(がつ) 小平(こだいら)(まち)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)小川(おがわ)小川町(おがわちょう)1丁目(ちょうめ))に開設(かいせつ)
1949(昭和(しょうわ)24) 10(がつ)7日(なのか) (しも)鈴木(すずき)(いま)花小金井(はなこがねい)南町(みなみちょう)2丁目(ちょうめ)嘉悦(かえつ)女子(じょし)短期(たんき)大学(だいがく)のところ)に小岩井(こいわい)小金井(こがねい)農場(のうじょう)開場(かいじょう)
この(とし)小平市(こだいらし)園芸(えんげい)組合(くみあい)設立(せつりつ)
1957(昭和(しょうわ)32) この(とし)小平市(こだいらし)うど生産(せいさん)出荷(しゅっか)組合(くみあい)設立(せつりつ)
1964(昭和(しょうわ)39) この(とし)小平市(こだいらし)果樹(かじゅ)組合(くみあい)設立(せつりつ)
1965(昭和(しょうわ)40) この(とし)農業(のうぎょう)経営者(けいえいしゃ)クラブ、結成(けっせい)される。
1968(昭和(しょうわ)43) 5(がつ)29(にち) 温室(おんしつ)団地(だんち)の1(ごう)小川町(おがわちょう)1丁目(ちょうめ)完成(かんせい)する。
1974(昭和(しょうわ)49) この(とし)小平市(こだいらし)野菜(やさい)組合(くみあい)設立(せつりつ)

参考(さんこう)にした(ほん)

小平(こだいら)町誌(ちょうし)
小平(こだいら)三〇年史(ねんし)
「こだいら農産物(のうさんぶつ)情報(じょうほう)マップ」
「こだいらの農業(のうぎょう) 平成(へいせい)5年度(ねんど)
統計書(とうけいしょ)こだいら」
原色(げんしょく)野菜(やさい)図鑑(ずかん)
原色(げんしょく)果実(かじつ)図鑑(ずかん)
小平市(こだいらし)収蔵(しゅうぞう)民具(みんぐ)資料(しりょう)目録(もくろく)
小平市(こだいらし)史料集(しりょうしゅう)(だい)1(しゅう) 村明細(むらめいさい)(ちょう)
小平市に関すること
1.小平市内めぐり 2.小平れきし年表・小平の街道
4.探検!郷土資料室 5.みんなの町のなまえ
6.小平の鉄道の歴史 8.わたしたちの小学校
9.小平はじめて物語 10.戦争と小平
13.小平こだいらの道 14.小平歳時記
15.小平の新田 16.古い地名
19.公園に行こうよ! 26.小平のごちそう うどん
36.ぼくらの町の仕事(1)こだいらの農業 37.ぼくらの町の仕事(2)こだいらの商業
多摩に関すること
12.多摩戦国絵巻 18.多摩の絹の道 シルクロード
20.風雲!新選組 21.楽しい施設ガイド
25.東京のできるまで 27.神奈川県から東京府へ多摩移管百年うそ?ほんと?クイズ
29.多摩の芸能 32.八王子千人同心多摩をゆく
35.多摩の酒造 39.江戸時代の東京 文化文政(1800年代初め)の三多摩編
江戸・東京に関すること
23.幸運招来! 東京七福神めぐり 24.東京の水道
28.江戸をたのしむ 30.わたしのまちの木・花・鳥とシンボルマーク
38.江戸時代の東京 文化文政(1800年代初め)の特別区編 40.花の江戸城 Part1
41.花の江戸城 Part2  
玉川上水・小金井桜に関すること
3.玉川上水をしりたい 7.玉川上水とあそぼう!
17.満開!小金井桜 31.野火止用水をゆけば
その他
11.武蔵武士 22.コレラが町にやって来た
33.これが武蔵国だっ! 34.地震にそなえて

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