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27. 多摩(たま)東京(とうきょう)ではなかった!? うそ?ほんと?クイズ

問題もんだい)へん) 多摩( たま)東京(とうきょう)ではなかった!? うそ?ほんと?クイズ

問題(もんだい)1
三多摩(さんたま)明治(めいじ)5(ねん)1(がつ)29(にち)から、明治(めいじ)29(ねん)3(がつ)31(にち)まで埼玉県(さいたまけん)(ぞく)していた。これ、うそ? ほんと?

問題(もんだい)2
三多摩(さんたま)東京府(とうきょうふ)(うつ)そうというおおもとの理由(りゆう)は、東京(とうきょう)水道(すいどう)問題(もんだい)だった。これ、うそ?ほんと?

おじいちゃんは玉川上水を船が通ったのって見たことあるの? 問題(もんだい)3
明治(めいじ)3(ねん)4(がつ)15(にち)から、玉川上水(たまがわじょうすい)(ふね)による運輸(うんゆ)(はじ)まった。この便利(べんり)なルートは明治(めいじ)のあいだずっと(つづ)いた。これ、うそ? ほんと?

問題(もんだい)4
明治(めいじ)時代(じだい)日本中(にっぽんじゅう)をあばれまわったコレラは、空気(くうき)感染(かんせん)による伝染病(でんせんびょう)だった。これ、うそ? ほんと?

問題(もんだい)5
明治(めいじ)19(ねん)はコレラ大流行(だいりゅうこう)(とし)。この(なつ)利根川(とねがわ)上流(じょうりゅう)で、コレラ患者(かんじゃ)(よご)れものを(せん)たくしちゃった、というニュースが(なが)れ、東京(とうきょう)市民(しみん)はまっ(さお)になった。これ、うそ? ほんと?

問題(もんだい)6
(いま)JR(ジェイアール)中央線(ちゅうおうせん)のもとである川越(かわごえ)鉄道(てつどう)明治(めいじ)22(ねん)4(がつ)新宿(しんじゅく)から立川(たちかわ)まで開通(かいつう)した。これ、うそ? ほんと?

問題(もんだい)7
明治(めいじ)時代(じだい)三多摩(さんたま)自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)中心地(ちゅうしんち)だった。この地域(ちいき)東京府(とうきょうふ)(うつ)すことは、神奈川県(かながわけん)にとって自由党(じゆうとう)(ちから)(よわ)めるねらいもあった。これ、うそ? ほんと?

展示の様子
現在(げんざい)この展示(てんじ)はしておりません。

解決(かいけつ)(へん)

こたえは分かった?

こたえ1 うそ
かわりめってのはバタバタするものなんだよ 三多摩(さんたま)神奈川県(かながわけん)だった。時代(じだい)江戸(えど)から明治(めいじ)にうつるとしばらくの(あいだ)は、政治(せいじ)のしくみがかわったり、区域(くいき)()(かた)がかわったり、いろいろめまぐるしかったようだ。その(なか)で、明治(めいじ)5(ねん)1(がつ)29(にち)三多摩(さんたま)神奈川県(かながわけん)(ぞく)することになった。
明治(めいじ)26(ねん)4(がつ)1日に東京府(とうきょうふ)(うつ)されるまでの20(ねん)あまり、三多摩(さんたま)神奈川県(かながわけん)だったんだよ。

こたえ2 ほんと
三多摩(さんたま)東京府(とうきょうふ)(うつ)そうという(はなし)は、東京(とうきょう)(ひと)びとの飲み水の管理問題からおこった。
幕末(ばくまつ)開国(かいこく)以来(いらい)日本(にっぽん)にはいろいろな伝染病(でんせんびょう)上陸(じょうりく)するようになった。わけても、大流行(だいりゅうこう)し、(おお)くの死者(ししゃ)()したコレラの予防(よぼう)(みず)衛生(えいせい)()かせない条件(じょうけん)だ。
ところが水源(すいげん)である多摩川(たまがわ)や、玉川上水(たまがわじょうすい)上流(じょうりゅう)神奈川県(かながわけん)(ぞく)している。だから、問題(もんだい)がおこるたび、東京府(とうきょうふ)はいちいち神奈川県(かながわけん)にかけ()わねばならない。これはわずらわしいことだった。
えっ、ぼくいけなかった? さらに、明治(めいじ)19(ねん)には多摩川(たまがわ)上流(じょうりゅう)につながる(ほり)で、コレラ患者(かんじゃ)(よご)(もの)(せん)たくしちゃった!というニュースは(なが)れるは、明治(めいじ)24(ねん)には、東京府(とうきょうふ)にことわりなく神奈川県(かながわけん)大事(だいじ)水源林(すいげんりん)()許可(きょか)()してしまうは…でさんざんだった。これはどうしても、西(にし)(きた)多摩郡(たまぐん)をこちらに(うつ)して水源(すいげん)流域(りゅういき)直接(ちょくせつ)管理(かんり)しなくっちゃ!と東京府(とうきょうふ)(おも)ったのだった。

こたえ3 うそ
玉川上水(たまがわじょうすい)(ふね)(とお)ったのはわずか2年間(ねんかん)のことだった。
明治(めいじ)3(ねん)4(がつ)15(にち)玉川上水(たまがわじょうすい)(ふね)(とお)して東京(とうきょう)品物(しなもの)(はこ)びたいというまわりの村々(むらむら)からの(ねが)()が、明治(めいじ)政府(せいふ)許可(きょか)された。
くらべないでくれる? そのころ、多摩(たま)品物(しなもの)東京(とうきょう)(はこ)ぶには、(ひと)(うま)背負(せお)ったり、いかだで多摩川(たまがわ)(くだ)ったり、という方法(ほうほう)をとっていた。玉川上水(たまがわじょうすい)利用(りよう)すれば、(ちか)くて便利(べんり)だし、第一(だいいち)(ふね)なら(うま)の25(ばい)もの荷物(にもつ)一度(いちど)(はこ)ぶことができる。
羽村(はむら)四谷(よつや)大木戸(おおきど)(あいだ)通船(つうせん)はあっという間に盛んになった。ところがこのために玉川上水の汚れがひどくなってきた。大切な飲み水を守るため、明治5年4月15日に政府は通船を禁止する命令を出した。人びとはこの後10年もの間、根気強く再開を願い出続けたけれど、もう二度と許されることはなかった。

こたえ4 うそ
コレラは()(みず)()(もの)などによって(くち)からはいったコレラ(きん)原因(げんいん)でかかる病気(びょうき)。お(こめ)のとじ(じる)のような下痢(げり)嘔吐(おうと)()くこと)をくり(かえ)して、からだ(じゅう)水分(すいぶん)がぬけ、ほおっておけば数日(すうじつ)でほとんどの患者(かんじゃ)()んでしまう。
コレラは別名(べつめい)衛生(えいせい)(はは)』ともよばれる。この病気(びょうき)流行(りゅうこう)はみんなに清潔(せいけつ)環境(かんきょう)とか、病気(びょうき)予防(よぼう)とかに()()ませるきっかけとなるからだ。
日本(にっぽん)でも例外(れいがい)にもれず、伝染病(でんせんびょう)予防(よぼう)(かん)する法律(ほうりつ)だの、衛生会(えいせいかい)だのがつくられ、各都市(かくとし)では、より衛生的(えいせいてき)改良(かいりょう)水道(すいどう)()(とい)にかえて鉄製(てつせい)水道管(すいどうかん)使(つか)近代的(きんだいてき)水道(すいどう))を(つく)ろう! という気運(きうん)(たか)まった。

こたえ5 うそ
えっ、何か悪いことした? 利根川(とねがわ)上流(じょうりゅう)ではなくて、多摩川(たまがわ)上流(じょうりゅう)につながる(ほり)で、というニュースが(なが)れた。
明治(めいじ)のコレラ大流行(だいりゅうこう)は10(ねん)、12(ねん)、15(ねん)、18(ねん)、19(ねん)、23(ねん)、28(ねん)、35(ねん)とやって()たが、わけても明治(めいじ)19(ねん)はひどかった。全国(ぜんこく)で15万人以上(まんにんいじょう)(ひと)がコレラにかかり、10万人以上(まんにんいじょう)()んだ。
東京(とうきょう)避病院(ひびょういん)では、あまりに(おお)患者(かんじゃ)()()れきれず、市内(しない)火葬場(かそうば)では徹夜(てつや)死者(ししゃ)()きつづけたが()いつかない、という悲惨(ひさん)なありさまだった。
そういう(とし)の、しかもコレラまっさかりの8(がつ)、とんでもないニュースが(なが)れた。神奈川県(かながわけん)西(にし)多摩郡(たまぐん)長淵村(ながぶちむら)(いま)青梅市(おうめし))で、コレラ患者(かんじゃ)(よご)(もの)多摩川(たまがわ)上流(じょうりゅう)につながる(ほり)(せん)たくしちゃった!というのだ。玉川上水(たまがわじょうすい)上流(じょうりゅう)(あら)った、というウワサも(なが)れた。
多摩川(たまがわ)はみんなの()(みず)玉川上水(たまがわじょうすい)水源(すいげん)だ。それがコレラ(きん)汚染(おせん)していたら…。東京(とうきょう)(ひと)びとはふるえあがった。(あと)ですぐ「(せん)たくの場所(ばしょ)支流(しりゅう)(みず)たまりで本流(ほんりゅう)には関係(かんけい)ない。消毒(しょうどく)もちゃんとした。」と訂正(ていせい)のニュースが(なが)れたけれど、この事件(じけん)東京(とうきょう)(ひと)びとの水道(すいどう)への関心(かんしん)をさらにもりあげたのだった。

こたえ6 うそ
甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)(ただ)しい。まず、東京(とうきょう)から羽村(はむら)(とお)って、青梅(おうめ)まで馬車(ばしゃ)鉄道(てつどう)(つく)ろうという計画(けいかく)がたてられた。多摩(たま)産物(さんぶつ)(はこ)ぶためだ。明治(めいじ)16(ねん)から許可(きょか)(ねが)いでたけれど、おりしもあちこちで汽車(きしゃ)鉄道(てつどう)計画(けいかく)がおこりはじめた。そこで明治(めいじ)19(ねん)馬車(ばしゃ)鉄道(てつどう)にかえて、汽車(きしゃ)鉄道(てつどう)(ねが)いを()しなおし、明治(めいじ)21(ねん)1(がつ)21(にち)許可(きょか)がおりた。
工事(こうじ)明治(めいじ)21(ねん)6(がつ)から(はじ)まって、明治(めいじ)22(ねん)4(がつ)11(にち)には、立川(たちかわ)新宿(しんじゅく)(かん)線路(せんろ)完成(かんせい)。その(うえ)(はし)ったのはイギリス(せい)蒸気(じょうき)機関車(きかんしゃ)時速(じそく)は40キロメートル。はじめのころは単線(たんせん)で、立川(たちかわ)新宿(しんじゅく)(あいだ)には「国分寺(こくぶんじ)」「(さかい)」「荻窪(おぎくぼ)」「中野(なかの)」の4(えき)しかなかったけれど、4ヶ月後(げつご)の8(がつ)11(にち)には、さらに八王子(はちおうじ)まで線路(せんろ)がのびた。この甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)によって東京(とうきょう)はぐーんと(ちか)くなった。

こたえ7 ほんと
ちょっとむずかしいな… 東京府(とうきょうふ)()しかったのは、水源(すいげん)流域(りゅういき)西(にし)(きた)多摩郡(たまぐん)だった。ところが「三多摩(さんたま)歴史的(れきしてき)なつながりがある。南多摩(みなみたま)()わせて三郡(さんぐん)一緒(いっしょ)にどうぞ。」と神奈川県(かながわけん)からの(もう)()があって、そろって東京府(とうきょうふ)(うつ)ることになった。
三多摩(さんたま)自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)中心地(ちゅうしんち)。この地域(ちいき)がそろって東京府(とうきょうふ)(うつ)ったら、神奈川県(かながわけん)自由党(じゆうとう)(ちから)(よわ)まるのは()()えている。
東京(とうきょう)()(みず)問題(もんだい)とはまた(べつ)に、神奈川県(かながわけん)政治(せいじ)問題(もんだい)としても、三多摩(さんたま)東京府(とうきょうふ)への移管(いかん)はとらえられ、賛成派(さんせいは)反対派(はんたいは)()(みだ)れ、もめてしまうのだった。
むずかしかったかな?

おじいちゃんは三多摩が神奈川県だったころをしってるの?

としょかんこどもきょうどしりょう
3 玉川上水(たまがわじょうすい)をしりたい…
6 小平(こだいら)鉄道(てつどう)歴史(れきし)
22 コレラが(まち)にやって()
24 東京(とうきょう)水道(すいどう)
25 東京(とうきょう)のできるまで
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