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18. 多摩(たま)(きぬ)(みち) -シルクロード-

(きぬ)(みち)

横浜市中において外国人生糸を見分る図
横浜(よこはま)市中(しちゅう)において外国人(がいこくじん)生糸(きいと)()(わく)()

 むかし、むかし、(おお)むかしから、ユーラシア大陸(たいりく)には(かん)(いま)中国(ちゅうごく))の(みやこ)からタクラマカン砂漠(さばく)横切(よこぎ)ってヨーロッパへつながる(みち)があったとさ。
 (なが)(けわ)しい(みち)だけど、東西(とうざい)(ひと)文化(ぶんか)()()した。紀元前(きげんぜん)2世紀(せいき)(ごろ)からは中国(ちゅうごく)から(はこ)ばれる絹貿易(きぬぼうえき)(さか)んになったものだから、のちの()で「(きぬ)(みち)」(シルク・ロード)と()がついた。
 (きぬ)(なに)にもまさる(ぬの)として、アウレリアヌス(てい)時代(じだい)(270~275(ねん))のローマではその(おも)さと(おな)じだけの(きん)支払(しはら)われたんだと。ヨーロッパの(ひと)たちはしばらくの(あいだ)この(うつく)しいものが(かいこ)という(むし)()()(いと)から(つく)られるとは()らなんだ。
にあうー?  貴族(きぞく)金持(かねも)ち…世界中(せかいじゅう)人々(ひとびと)から(きぬ)(あい)され、大切(たいせつ)にされた。
 幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)にかけて、多摩(たま)にも「(きぬ)(みち)」があったとさ。(きぬ)()るための生糸(きいと)(はこ)んだ(みち)だったんだと。日本(にっぽん)世界(せかい)国々(くにぐに)にひらかれると、山梨(やまなし)長野(ながの)群馬(ぐんま)などから八王子(はちおうじ)(あつ)められた生糸(きいと)は、これらの(みち)(とお)って(みなと)横浜(よこはま)(はこ)ばれていったそうな。
  横浜(よこはま)からは、外国船(がいこくせん)(はこ)んで()(あたら)しい知識(ちしき)(かんが)(かた)(なが)れてきた。生糸(きいと)(ひと)文化(ぶんか)()()した多摩(たま)の「(きぬ)(みち)」。

地図

日本(にっぽん)開国(かいこく)のころ

養蚕(ようさん)製糸(せいし)

  • 紀元前(きげんぜん)17~11世紀(せいき)なかば。中国(ちゅうごく)(いん)時代(じだい)、すでに黄河(こうが)流域(りゅういき)養蚕(ようさん)がおこなわれていたらしい。
  • 1~3世紀(せいき)中国(ちゅうごく)から日本(にっぽん)養蚕(ようさん)(つた)わる。
  • 5世紀(せいき)なかば。機織(はたお)りの技術(ぎじゅつ)(つた)わる。
江戸(えど)時代(じだい)  養蚕(ようさん)(おも)中部(ちゅうぶ)関東(かんとう)東北(とうほく)でおこなわれる。
  • 1860(安政(あんせい)7)(ねん)前年(ぜんねん)横浜(よこはま)開港(かいこう)によって生糸(きいと)蚕種(さんしゅ)がヨーロッパへの最大(さいだい)輸出品(ゆしゅつひん)となる。
  • 1860(万延(まんえん)(がん)(ねん)うるう3(がつ)幕府(ばくふ)は「五品江戸廻令」を()す。
    この(とし)、ヨーロッパで(かいこ)病気(びょうき)流行(りゅうこう)日本(にっぽん)生糸(きいと)のねだんはあがる、あがる。
  • 1867(慶応(けいおう)3)(ねん)蚕種(さんしゅ)輸出(ゆしゅつ)のねだん、去年(きょねん)(くら)べて26(ばい)にはねあがる。密輸(みつゆ)もさかん。
生糸(きいと)大人気(だいにんき)
明治(めいじ)時代(じだい)  1868(ねん)9(がつ)改元(かいげん)明治(めいじ)になる。
  • 1872(明治(めいじ)5)(ねん)官営(かんえい)富岡(とみおか)製糸(せいし)工場(こうじょう)(うご)きだす。
  • 1873(明治(めいじ)6)(ねん)5(がつ)八王子(はちおうじ)生糸改会社(きいとあらためかいしゃ)できる。輸出(ゆしゅつ)する生糸(きいと)(しつ)(すこ)しでも()くするためだ。
  • 1874(明治(めいじ)7)(ねん)。この(とし)鑓水村(やりみずむら)生糸(きいと)商人(しょうにん)商売(しょうばい)道中(どうちゅう)無事(ぶじ)(いの)り、(きぬ)(みち)道了堂(どうりょうどう)()てる。(浅草(あさくさ)花川戸(はなかわど)から(うつ)してきたものだ。)
  • 1884(明治(めいじ)17)(ねん)。アメリカの絹織業(きぬおりぎょう)発達(はったつ)日本(にっぽん)生糸(きいと)はアメリカに輸出(ゆしゅつ)されるようになる。
  • 1894(明治(めいじ)27)(ねん)日清(にっしん)戦争(せんそう)おこり、まゆ、生糸(きいと)のねだんはむちゃくちゃあがる。蚕糸(さんし)(ぎょう)ますます(さか)ん。
  • 1911(明治(めいじ)44)(ねん)日本(にっぽん)生糸(きいと)生産(せいさん)(だか)世界(せかい)(だい)()となる。
その()多摩(たま)養蚕(ようさん)
  • 1930(昭和(しょうわ)5)(ねん)生糸(きいと)業界(ぎょうかい)世界(せかい)恐慌(きょうこう)のあおりをうける。
  • 1941(昭和(しょうわ)16)(ねん)太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)はじまり、生糸(きいと)輸出(ゆしゅつ)禁止(きんし)製糸(せいし)工場(こうじょう)はつぎつぎと軍需(ぐんじゅ)工場(こうじょう)にかわっていった…。

横浜(よこはま)開港(かいこう)  欧米(おうべい)()はアジアへ!

  • 1853(嘉永(かえい)6)(ねん)6(がつ)3日(みっか)。ペリー、浦賀(うらが)来航(らいこう)
  • 1854(安政(あんせい)(がん)(ねん)1(がつ)16日。ペリー、再来(さいらい)。 3(がつ)3日(みっか)日米(にちべい)和親(わしん)条約(じょうやく)むすぶ。
  • 1856(安政(あんせい)3)(ねん)。アメリカ駐日(ちゅうにち)総領事(そうりょうじ)タウンゼント・ハリス、下田(しもだ)来航(らいこう)
  • 1858(安政(あんせい)5)(ねん)6(がつ)19(にち)日米(にちべい)修好(しゅうこう)通商(つうしょう)条約(じょうやく)むすぶ。日本(にっぽん)鎖国(さこく)時代(じだい)のおわり。
  • 1859(安政(あんせい)6)(ねん)6(がつ)神奈川(かながわ)横浜(よこはま))・長崎(ながさき)箱館(はこだて)の3(こう)をひらき、アメリカをはじめ、イギリス・フランス・ロシア・オランダら外国(がいこく)貿易(ぼうえき)はじまる。

世界(せかい)情勢(じょうせい)

  • 18~19世紀(せいき)。ヨーロッパでイギリスを中心(ちゅうしん)産業(さんぎょう)革命(かくめい)はじまる。
    原料(げんりょう)(もと)めて、また、大量(たいりょう)(つく)()される商品(しょうひん)()りさばくため、イギリスやフランス、アメリカらはアジアへ進出(しんしゅつ)しはじめる。
  • 1840~42(ねん)。イギリスと(しん)(いま)中国(ちゅうごく))の(あいだ)でアヘン戦争(せんそう)
  • 1856(ねん)。アロー(ごう)事件(じけん)おこる。これをきっかけにイギリス・フランス(たい)(しん)(だい)2()アヘン戦争(せんそう)おこる。
    結果(けっか)(しん)はこれらの(くに)のなかば植民地(しょくみんち)となってしまった。
    この(かん)、アメリカも着々(ちゃくちゃく)とアジア進出(しんしゅつ)をねらう。

交通(こうつう)  産業(さんぎょう)革命(かくめい)運輸(うんゆ)手段(しゅだん)をかえた!

  • 1804(ねん)。イギリスのリチャード・トレビシック、世界(せかい)最初(さいしょ)蒸気(じょうき)機関車(きかんしゃ)(はし)らせる。
<以後(いご)鉄道(てつどう)欧米(おうべい)にアッという()にひろがってゆく>
  • 1870(明治(めいじ)3)(ねん)4(がつ)15(にち)
    玉川(たまがわ)上水(じょうすい)()(はこ)ぶための(ふね)(とお)りはじめる。(つき)に6(かい)。5と9のつく()(ふね)(とお)った。(八王子(はちおうじ)(いち)のよく(じつ)なんだねえ、これが。)多摩(たま)はもちろん、長野(ながの)山梨(やまなし)生糸(きいと)(はこ)ばれた。
  • 1872(明治(めいじ)5)(ねん)3(がつ)上水(じょうすい)(よご)れにびっくりした東京府(とうきょうふ)(くに)(もう)()れて通船(つうせん)中止(ちゅうし)になる。
     この(とし)9(がつ)新橋(しんばし)横浜(よこはま)(かん)鉄道(てつどう)開通(かいつう)
  • まかせなさーい 1875(明治(めいじ)8)(ねん)八王子(はちおうじ)商人(しょうにん)から「(きぬ)(みち)」を馬車(ばしゃ)(とお)れる(みち)に、との(ねが)いが神奈川(かながわ)()る。
  • 明治(めいじ)10年代(ねんだい)多摩(たま)では馬車(ばしゃ)がただひとつの交通(こうつう)機関(きかん)
  • 1889(明治(めいじ)22)(ねん)8(がつ)新宿(しんじゅく)八王子(はちおうじ)(かん)甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)開通(かいつう)。((いま)中央線(ちゅうおうせん)のことだよ。)これで多摩(たま)は、横浜(よこはま)より東京(とうきょう)身近(みぢか)になる。
  • 1908(明治(めいじ)41)(ねん)9(がつ)明治(めいじ)27(ねん)からず~っと(ねが)()ていた横浜(よこはま)鉄道(てつどう)。やっとゆるされ、八王子(はちおうじ)横浜(よこはま)(かん)開通(かいつう)
    だが、すでに、多摩(たま)は、1893(明治(めいじ)26)(ねん)4(がつ)名実(めいじつ)ともに東京府(とうきょうふ)()みこまれていたのだった。
 

横浜(よこはま)(みなと)(ひら)かれて

1.横浜(よこはま)開港(かいこう)
 江戸(えど)時代(じだい)弘化(こうか)年間(ねんかん)(1844~47)にはいると日本(にっぽん)のあちこちに外国船(がいこくせん)姿(すがた)()せはじめた。
 欧米(おうべい)国々(くにぐに)がアジアに進出(しんしゅつ)してきたのだ。(なか)でもアメリカは、(しん)(いま)中国(ちゅうごく))との貿易(ぼうえき)太平洋(たいへいよう)横断(おうだん)するため、(なか)()ぎの(みなと)として、日本(にっぽん)注目(ちゅうもく)した。
ペリー  嘉永(かえい)6(1853)(ねん)6(がつ)3日(みっか)、アメリカの(ひがし)インド艦隊(かんたい)司令官(しれいかん)、マシューズ・ガルブレイス・ペリーが4隻の軍艦(ぐんかん)をひきいて浦賀(うらが)(おき)姿(すがた)()せた。
 (いま)にも合戦(かっせん)がはじまるかと江戸(えど)(まち)はもう大混乱(だいこんらん)。デマは(みだ)()ぶ。旗本(はたもと)御家人(ごけにん)武器(ぶき)()()しにかけまわる。物価(ぶっか)はあがる。疎開(そかい)する(ひと)もでる。パニックになった。ペリーは、「また来年(らいねん)くる。」と約束(やくそく)して、10日間(かかん)()ていったけれど。
 よく(とし)、1(がつ)16(にち)。ペリーが(ふたた)江戸(えど)(わん)(おとず)れ、何度(なんど)もの(はな)()いののち、3(がつ)3日(みっか)、ついに日米(にちべい)和親(わしん)条約(じょうやく)をむすぶのに成功(せいこう)
下田(しもだ)箱館(はこだて)開港(かいこう)して
アメリカの(ふね)(みず)食糧(しょくりょう)石炭(せきたん)(まき)供給(きょうきゅう)すること。
下田(しもだ)にアメリカからの駐在員(ちゅうざいいん)をおくこと。
ハリス というのが(おも)内容(ないよう)だ。
 安政(あんせい)3(1856)(ねん)7(がつ)日米(にちべい)和親(わしん)条約(じょうやく)にしたがって、アメリカから駐日(ちゅうにち)総領事(そうりょうじ)としてタウンゼント・ハリスが下田(しもだ)にやって()た。今度(こんど)日本(にっぽん)通商(つうしょう)条約(じょうやく)(むす)ぶため、ハリスは頑張(がんば)った。
 おとなりの(しん)勢力(せいりょく)()ばしているイギリスとフランスが日本(にっぽん)にやって()(まえ)に、アメリカは有利(ゆうり)約束(やくそく)をむすばなくっちゃ、と(いそ)いでいたのだ。
 安政(あんせい)5(1858)(ねん)6(がつ)19(にち)日米(にちべい)修好(しゅうこう)通商(つうしょう)条約(じょうやく)をむすぶ。ハリスはいくつかの(みなと)市場(いちば)(ひら)くことを(のぞ)んだ。
 そして神奈川(かながわ)長崎(ながさき)箱館(はこだて)開港(かいこう)(じょう)となった。

2.プレゼントの交換(こうかん)
 ペリーの2度目(どめ)来日(らいにち)のとき、日本(にっぽん)とアメリカでプレゼントの交換(こうかん)をした。
 アメリカからは電信機(でんしんき)だの銀板(ぎんばん)写真(しゃしん)だの望遠鏡(ぼうえんきょう)だの「これが科学(かがく)技術(ぎじゅつ)だ!!」というふうな品物(しなもの)(おく)られた。(なか)でも6(さい)ぐらいのこどもを()せて(はし)れる蒸気(じょうき)機関車(きかんしゃ)模型(もけい)日本(にっぽん)(じん)をびっくりさせた。
 日本(にっぽん)は、お(かえ)しに絹織物(きぬおりもの)陶器(とうき)()りものなど伝統(でんとう)工芸品(こうげいひん)美術品(びじゅつひん)(おく)った。アメリカ艦隊(かんたい)へのプレゼント、(こめ)200(ぴょう)江戸(えど)からよんだ力士(りきし)にボートまで(はこ)ばせ、すもうをひろうした。

3.外国(がいこく)との貿易(ぼうえき)
 開港(かいこう)といったって、田畑(たはた)(ぬま)をつぶして(つく)った()(ぱら)(いそ)いで商人(しょうにん)をあつめ、体裁(ていさい)をととのえなけりゃならない。幕府(ばくふ)開港(かいこう)(じょう)商売(しょうばい)をしたい(ひと)()かせぎ、移住(いじゅう)()びかけた。安政(あんせい)6(1859)(ねん)1(がつ)のことだ。
 よく(げつ)、2(がつ)には、幕府(ばくふ)御用(ごよう)商人(しょうにん)三井(みつい)外国(がいこく)奉行(ぶぎょう)から命令(めいれい)をうけ、横浜(よこはま)(みせ)()した。
 安政(あんせい)6(1859)(ねん)6(がつ)2日(ふつか)長崎(ながさき)箱館(はこだて)とともに横浜(よこはま)開港(かいこう)。いよいよ外国(がいこく)との貿易(ぼうえき)のはじまりだ。しかし、最初(さいしょ)日本(にっぽん)商人(しょうにん)も、外国(がいこく)(ひと)(なに)をほしがっているのかわからない。瀬戸物(せともの)小間物(こまもの)(しお)海産物(かいさんぶつ)…とさまざまな品物(しなもの)がならんだ。
 おりしも1850~60年代(ねんだい)、ヨーロッパの生糸(きいと)生産国(せいさんこく)中心(ちゅうしん)、フランスとイタリアで(かいこ)病気(びょうき)流行(りゅうこう)。よそからたくさん輸入(ゆにゅう)しなければならなくなって、開国(かいこく)した日本(にっぽん)生糸(きいと)はヨーロッパの市場(しじょう)(くわ)わることになった。また健康(けんこう)蚕種(さんしゅ)(蚕の卵のこと)もおおいに(もと)められた。
 生糸(きいと)()れると()ると、日本(にっぽん)商人(しょうにん)たちも生糸(きいと)(あつ)めてまわった。養蚕(ようさん)中心(ちゅうしん)関東(かんとう)西部(せいぶ)から中部(ちゅうぶ)地方(ちほう)だったから、最寄(もよ)りの(みなと)である横浜(よこはま)生糸(きいと)輸出(ゆしゅつ)中心地(ちゅうしんち)となった。
 1862(文久(ぶんきゅう)2)(ねん)には、生糸(きいと)横浜(よこはま)(こう)での輸出(ゆしゅつ)総額(そうがく)の8(わり)()めていた。

4.五品(ごしな)江戸(えど)廻令(まわしれい)
 開港(かいこう)以来(いらい)商品(しょうひん)()いあさられ、生産地(せいさんち)から直接(ちょくせつ)開港(かいこう)(じょう)(おく)られるため、物価(ぶっか)()がり、国内(こくない)では日用品(にちようひん)さえ不足(ふそく)した。京都(きょうと)西陣(にしじん)足利(あしかが)桐生(きりう)などの織物(おりもの)業者(ぎょうしゃ)をはじめ、武州(ぶしゅう)でも多摩(たま)入間(いるま)比企郡(ひきぐん)などの織屋(おりや)農民(のうみん)たちは原材料(げんざいりょう)生糸(きいと)()にはいらなくなって、これ以上(いじょう)生糸(きいと)輸出(ゆしゅつ)(つづ)いたら仕事(しごと)()()たない、生活(せいかつ)していけない、というところまで()()められた。
 そこで万延(まんえん)(がん)(1860)(ねん)うるう3(がつ)幕府(ばくふ)は「五品(ごしな)江戸(えど)廻令(まわしれい)」を()した。雑穀(ざっこく)水油(みずあぶら)(ろう)呉服(ごふく)生糸(きいと)五品(ごしな)(かぎ)り、まず江戸(えど)問屋(とんや)にまわし、国内(こくない)必要(ひつよう)(ぶん)をとってから、(のこ)りを横浜(よこはま)(おく)るようにという命令(めいれい)だ。外国(がいこく)との貿易(ぼうえき)国内(こくない)品物(しなもの)(なが)れを幕府(ばくふ)がしっかり管理(かんり)するつもりだったのだ。
 けれど、自由(じゆう)商売(しょうばい)したい地方(ちほう)商人(しょうにん)取引(とりひき)相手(あいて)外国人(がいこくじん)商人(しょうにん)からも反対(はんたい)()け、この命令(めいれい)はあまり効果(こうか)があがらなかった。

5.生糸(きいと)のあつまる(まち) 八王子(はちおうじ)
 「浅川(あさかわ)(わた)れば 富士(ふじ)のかげ(きよ)く (くわ)(みやこ)に 青嵐(あおあらし)()く」
 西行(さいぎょう)法師(ほうし)鎌倉(かまくら)時代(じだい)(ひと))の(うた)をはじまりに八王子(はちおうじ)は「(くわ)(みやこ)」の()()ばれた。桑都(そうと)日記(にっき)(八王子の塩野適斎が書いた、1582~1824年までの千人同心の記録と解説)には「()(ぱら)広大(こうだい)(くわ)は1000(まん)(かぶ)。そこに()(ひと)たちはみな養蚕(ようさん)でくらしている」と()かれている。
 (くわ)(みやこ)(かいこ)(そだ)て、生糸(きいと)から(きぬ)織物(おりもの)(つく)(まち)になった。
 八王子(はちおうじ)織物(おりもの)江戸(えど)元禄(げんろく)時代(じだい)ごろから(はじ)まり、1700年代(ねんだい)のなかばには、その()全国(ぜんこく)(ひろ)がった。
 もともと4の()、8の()(つき)6(かい)ひらかれていた八王子(はちおうじ)(いち)横浜(よこはま)開港(かいこう)されると生糸(きいと)商人(しょうにん)(かつ)やくするようになった。甲州(こうしゅう)街道(かいどう)宿駅(しゅくえき)である八王子(はちおうじ)は、まわりの養蚕(ようさん)地帯(ちたい)から生糸(きいと)をあつめやすい。横浜(よこはま)にも(ちか)い。条件(じょうけん)がぴったりだったんだね。

6.()こぼしの(みち)(きぬ)(みち)
 生糸(きいと)商人(しょうにん)は、生糸(きいと)をカゴで背負(せお)ったり、天秤(てんびん)でかついだり、(ちい)さな甲州(こうしゅう)()背中(せなか)()せたり、といろいろな方法(ほうほう)(あつ)められ、八王子(はちおうじ)から横浜(よこはま)(みなと)へと(はこ)ばれた。「(きぬ)(みち)」とは生糸(きいと)(はこ)ぶこれらの(みち)すべてをさす。(きぬ)(みち)は、甲州(こうしゅう)街道(かいどう)のような(おおやけ)(みち)とは(ちが)い、(さと)(みち)だ。(たと)えば、その(ひと)つ。八王子(はちおうじ)から鑓水(やりみず)原町田(はらまちだ)(とお)って横浜(よこはま)()かうルート(鑓水(やりみず)道了(どうりょう)道という)。
 距離(きょり)こそ、横浜(よこはま)までいちばん(みじか)いけれど、(みち)(はば)はせまいところは3(じゃく)(90センチメートル)くらい。馬車(ばしゃ)(とお)れず、多摩(たま)丘陵(きゅうりょう)()えるなど(ある)(づら)いところもあって、けっこうしんどい(みち)だったらしい。
 八王子(はちおうじ)から馬車(ばしゃ)甲州(こうしゅう)街道(かいどう)(とお)って東京(とうきょう)()、そこから鉄道(てつどう)横浜(よこはま)()(ほう)距離(きょり)(とお)くても(らく)、という(はなし)もある。
 けれど、公道(こうどう)である甲州(こうしゅう)街道(かいどう)()けば宿(しゅく)ごとに()()みかえねばならないきまりだとか、(くち)(せん)10(もん)とか、(べつ)手間(てま)とお(かね)がかかる。(きぬ)(みち)はそういう面倒(めんどう)のない(うら)(みち)()(みち)、お()こぼしの(みち)だった。

7.(かいこ)種屋(たねや)さん
地図  (かいこ)(たまご)は1.3ミリメートルくらいのだ円形(えんけい)で「(たね)」とよばれた。
 (たまご)(かみ)()みつけさせた蚕種(さんしゅ)()農家(のうか)()仕事(しごと)を「種屋(たねや)」といった。小平(こだいら)でも明治(めいじ)25(ねん)にこの商売(しょうばい)(はじ)まっている。
 (なか)でも根古坂(ねっこざか)小野(おの)弥十郎(やじゅうろう)大正(たいしょう)10(1921)(ねん)全国(ぜんこく)蚕種(さんしゅ)製造者(せいぞうしゃ)番付(ばんづけ)関東(かんとう)大関(おおぜき)といわれるほどの規模(きぼ)だった。

8.鑓水(やりみず)商人(しょうにん)
 開港(かいこう)した横浜(よこはま)には2種類(しゅるい)商人(しょうにん)がいた。(ひと)つは三井(みつい)のように江戸(えど)大阪(おおさか)など都市(とし)(だい)商人(しょうにん)。もう(ひと)つは地方(ちほう)小規模(しょうきぼ)商人(しょうにん)だ。貿易(ぼうえき)(はじ)まったころは、商売(しょうばい)才能(さいのう)があれば、資金(しきん)(すく)なくとも、()()きに(くわ)わることができた。
 産地(さんち)から(やす)(とき)生糸(きいと)()()め、()あがりを()って横浜(よこはま)()る。冒険(ぼうけん)のような商売(しょうばい)のしかたで、一晩(ひとばん)財産(ざいさん)(きづ)くこともできたが、一歩(いっぽ)間違(まちが)えるととりかえしのつかないことになる。スリルがあったろうなあ。
 (きぬ)(みち)沿()いの八王子(はちおうじ)鑓水村(やりみずむら)多摩(たま)きっての生糸(きいと)商人(しょうにん)何人(なんにん)()んだ。この(むら)には、(おお)きな屋敷(やしき)だの、接待(せったい)のための異人館(いじんかん)だのが()てられ、生糸(きいと)()外国商人(がいこくしょうにん)(おとず)れた。
 (いま)鑓水(やりみず)には「(きぬ)(みち)」ときざまれた石碑(せきひ)と、ここの生糸(きいと)商人(しょうにん)たちが商売(しょうばい)道中(どうちゅう)無事(ぶじ)(いの)って浅草(あさくさ)から(うつ)してきた道了堂(どうりょうどう)()っている。

9.神奈川(かながわ)から東京(とうきょう)
明治(めいじ)4(1871)(ねん)11(がつ)14()から明治(めいじ)26(1893)(ねん)3(がつ)31(にち)まで西多摩郡(にしたまぐん)南多摩郡(みなみたまぐん)北多摩郡(きたたまぐん)三郡(さんぐん)神奈川県(かながわけん)だった。
 だから、役所(やくしょ)届出(とどけで)などは神奈川(かながわ)県庁(けんちょう)のある横浜(よこはま)出向(でむ)くし、品物(しなもの)(なが)れも横浜(よこはま)()かうし、気持(きも)ちの(うえ)でも多摩(たま)神奈川(かながわ)横浜(よこはま)とのつながりは(ふか)かった。
 明治(めいじ)22(1889)(ねん)8(がつ)11(にち)新宿(しんじゅく)八王子(はちおうじ)(かん)甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)(いま)JR(ジェイアール)中央線(ちゅうおうせん))が開通(かいつう)。この距離(きょり)(やく)1時間(じかん)13(ぷん)(はし)ったというから、かなり(はや)い。それが毎日(まいにち)4往復(おうふく)甲武(こうぶ)(せん)多摩(たま)東京(とうきょう)身近(みぢか)にした。さらに明治(めいじ)26(ねん)4(がつ)1日(ついたち)からは多摩(たま)東京府(とうきょうふ)(うつ)った。品物(しなもの)東京(とうきょう)市場(いちば)()かうようになる。
 一方(いっぽう)、「(きぬ)(みち)にも鉄道(てつどう)を」と、明治(めいじ)20(1887)(ねん)横浜(よこはま)(だい)商人(しょうにん)(はら)善三郎(ぜんざぶろう)らが川崎(かわさき)八王子(はちおうじ)(かん)工事(こうじ)(ねが)()たがけり(つづ)けられ、八王子(はちおうじ)横浜(よこはま)(かん)横浜(よこはま)鉄道(てつどう)(いま)JR(ジェイアール)横浜(よこはま)(せん))として(ゆる)しが()たのは明治(めいじ)37(1894)(ねん)12(がつ)のことだった。
 横浜(よこはま)鉄道(てつどう)商品(しょうひん)(なが)れをもう一度(いちど)横浜(よこはま)()かわせる(ねが)いがかかっていた。が、甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)のスピードと輸送(ゆそう)範囲(はんい)(ひろ)がり(明治(めいじ)36(ねん)6(がつ)には甲府(こうふ)まで開通(かいつう))は、多摩(たま)横浜(よこはま)(ふたた)(むす)びつけることを(ゆる)さなかった。品物(しなもの)東京(とうきょう)へと()かい(つづ)け、養蚕(ようさん)交通(こうつう)便利(べんり)になったため、他県(たけん)(だい)製糸(せいし)資本(しほん)がのりこんでくるようになり、多摩(たま)養蚕(ようさん)農家(のうか)はそれらに()みこまれていった。
明治時代のこのあたりの鉄道


絹の道資料館
・八王子市鑓水989-2
・八王子駅北口から「橋本行き」バスで自然公園前下車 徒歩15分
・あいている時間 ごぜん9:00~ごご4:30
・おやすみの日 月よう日、祝日のつぎの日、年末年始
・入館無料

シルク博物館
・横浜市中区山下町(山下公園そば) シルクセンター内
・あいている時間 ごぜん9時~ごご4時30分
・おやすみの日 月よう日、年末年始(12月28日~1月4日)
・入館料 大人500円、高校・大学生200円、小・中学生100円

カイコから生糸(きいと)ができるまで

カイコの一生
1.(たまご)
はじめ黄色(きいろ)く、何日(なんにち)かすると()藤色(ふじいろ)かねずみ(いろ)に。1.3ミリメートルくらいのだ円形(えんけい)。「蚕種(さんしゅ)」とか「(たね)」とか()われる。
2.毛蚕(けご)
(たまご)からかえったばかりの(かいこ)幼虫(ようちゅう)(おお)きさは3ミリメートルくらい。からだに()がはえて(くろ)く、アリのようだ。これを毛蚕(けご)という。2~3(にち)()()ちたようになって全体(ぜんたい)黄色(きいろ)っぽくなる。
3.(れい)
(かいこ)は1回目(かいめ)脱皮(だっぴ)までを1(れい)。2回目(かいめ)脱皮(だっぴ)までを2(れい)。5(れい)になるとまゆをつくる。
4.(みん)
(あたら)しい外皮(がいひ)(つく)(あいだ)(くわ)()べず(あたま)()()げ、(とま)ったままの状態(じょうたい)になる時期(じき)がある。(ねむ)っているように()えるので、これを「(みん)」という。
(あたら)しい(かわ)ができると(ふる)(かわ)をぬぎすてる。(脱皮(だっぴ)脱皮(だっぴ)は4(かい)おこなわれる。
(かいこ)のひふはからだの成長(せいちょう)()わせて(おお)きくなることがない。(おお)きくなってゆく幼虫(ようちゅう)は、その(たび)きつくなったひふをぬぎすてていくんだ。
5.熟蚕(じゅくご)
5(れい)末期(まっき)をいう。このころになると(くわ)()べなくなり、からだがすきとおる。(たまご)からかえって熟蚕(じゅくご)になるまでおよそ4週間(しゅうかん)。その(あいだ)にからだの(なが)さは25~30(ばい)体重(たいじゅう)はなんと1(まん)(ばい)になる。
6.さなぎ
熟蚕(じゅくご)2日間(ふつかかん)(やす)みなく(いと)をはいてまゆをつくり、さらに2日(ふつか)ほどたつとまゆの(なか)脱皮(だっぴ)してさなぎになる。
まゆを()ってみてカラカラと()ごたえがあったら、さなぎになった証拠(しょうこ)だ。
7.成虫(せいちゅう)
さなぎになって2週間(しゅうかん)くらいで、大人(おとな)になってまゆから()てくる。
でも、(なが)(あいだ)人間(にんげん)()いならされてきた(かいこ)は、(はね)があっても()べなくなっているし、(くち)退化(たいか)している。
だから、交尾(こうび)して(たまご)()んだあとは(なに)()べないまま、1週間(しゅうかん)ほどで()んでしまうんだ。


夕方(ゆうがた)から夜明(よあ)けにかけ、めすは(やす)むひまもなく500()もの(たまご)()みつづける。
おかあさんは大変(たいへん)だよ…。

(かいこ)体重(たいじゅう)のふえ方たべざかり!
蚕の体重のふえ方
(れい) ふえ方
1(れい)毛蚕(けご) 1(ばい)
2(れい)はじめ 20(ばい)
3(れい)はじめ 120(ばい)
4(れい)はじめ 730(ばい)
5(れい)はじめ 2,640(ばい)
熟蚕(じゅくご) 10,000 (ばい)

春蚕、夏蚕、秋蚕、晩秋蚕

カイコを育てる

エビラ 1.部屋(へや)準備(じゅんび)
部屋(へや)掃除(そうじ)して、(かいこ)()うための(たな)(つく)り、(たけ)かご(エビラ)をならべる。部屋(へや)消毒(しょうどく)をする。

はきたて 2.()()
エビラの(うえ)にオダテという(うす)いゴザを()き、その(うえ)蚕座(さんざ)()という(かみ)()いて蚕座(さんざ)(つく)る。そこに(たまご)からかえった毛蚕(けご)(とり)羽根(はね)のほうきでやさしく、やさしく()きおとす。

蚕種(さんしゅ)(がみ)
種屋(たねや)さん(蚕種(さんしゅ)製造者(せいぞうしゃ))は、(かいこ)(たまご)(かみ)(うえ)()()けさせて蚕種(さんしゅ)(がみ)(つく)る。農家(のうか)はそれを()って、(たまご)をふ()させ、養蚕(ようさん)をおこなう。

りにゅう食というやつだな 3.(くわ)()(あた)える
(かいこ)(くわ)()()べて(おお)きくなる。(くわ)(ばたけ)から毎日(まいにち)のように(くわ)をとってきて()べさせる。
(とく)(ちい)さいころは()(こま)かくきざんであげなければならないし、1(かい)()べる(りょう)(すく)ないから、食事(しょくじ)回数(かいすう)(おお)くしなければならない。1(にち)に5~8(かい)。おちびの(あいだ)夜中(よなか)だって(くわ)()(あた)えるんだ。
たくさんの(かいこ)がいっせいに(くわ)()べるのは(あめ)()(おと)()ているそうだ。

(そだ)てる!
(くわ)()べさせるだけではないよ。何日(なんにち)かおきに蚕座(さんざ)にたまる()べのこしやうんちの掃除(そうじ)もしなけりゃ。

4.まゆを(つく)
4(れい)をすぎて、からだがすきとおった(かいこ)は、()(かみ)、わらなどで(つく)ったマブシとよばれるまゆ(づく)りの場所(ばしょ)(うつ)される。(かいこ)(あたま)を8の()にふりふり(いと)をはいてまゆを(つく)る。
3~4()するとまゆが出来上(できあ)がり。()ってカラカラ(おと)がしたら、まゆ(づく)りがおわったしるし。

5.出荷(しゅっか)
マブシからまゆをあつめ、わらくずなどを()りのぞき、出荷(しゅっか)する。
まゆをあつめる場所(ばしょ)()られて…

6.製糸(せいし)工場(こうじょう)
横浜(よこはま)開港(かいこう)のころは、農家(のうか)副業(ふくぎょう)でしかなかった生糸(きいと)づくり。
明治(めいじ)5(1872)(ねん)官営(かんえい)富岡(とみおか)製糸(せいし)工場(こうじょう)設立(せつりつ)されると、それを真似(まね)てあちこちに小規模(しょうきぼ)ながら機械(きかい)製糸(せいし)(じょう)ができた。
生糸(きいと)輸出(ゆしゅつ)がおどろくほど()びたのはこれらの製糸(せいし)(じょう)があったからだ。

(1)()くないまゆはとりのぞく。
(2)まゆを()して、中のさなぎを(ころ)し…
(3)まゆを乾燥(かんそう)させる。
(4)(なべ)でまゆを()て、(いと)()()(ぐち)()つけ…
できあがり! (5)ひきだした(いと)何本(なんぼん)かより()わせて(ちい)さな(わく)にまきとる。
(6)そのままでは(いと)同士(どうし)がくっつくのでもう1()(おお)きな(わく)にまきなおす。
(7)(わく)からはずすと生糸(きいと)のかせのできあがり!

女工さんたち 製糸(せいし)工場(こうじょう)は、その周辺(しゅうへん)からはもちろん、好景気(こうけいき)人手(ひとで)不足(ぶそく)になってくると、かなり(とお)いところからも女工(じょこう)さんをやといいれた。12~13(さい)ぐらいから(はたら)きに()(おんな)()たちは、自分(じぶん)一生(いっしょう)()ることのないだろう(きぬ)()生糸(きいと)をせっせとつむぐのだった。
八王子(はちおうじ)あたりの機織(はたお)りうたに♪(はや)()()れて (はや)(よる)があけて 3(がつ)2日(ふつか)がくればよい♪というのがある。3(がつ)2日(ふつか)年季(ねんき)あけの()とされていた。このころは年季(ねんき)奉公(ぼうこう)最初(さいしょ)にとりきめた期限(きげん)はつとめあげなければならなかったんだ。

明治(めいじ)昭和(しょうわ)(はじめ)使(つか)われていた養蚕(ようさん)製糸(せいし)道具(どうぐ)

<(くわ)しょいかご> 桑しょいかご つみとった(くわ)()()ちかえるのに使(つか)うかご。

<(くわ)もぎ> 桑もぎ (くわ)小枝(こえだ)(おお)(はる)使(つか)うとか。

<(くわ)()()> 桑切り機 (くわ)()(こま)かくきざむのに使(つか)う。

<ねん糸機(しき)> ねん糸機 (いと)をより()わせるのに使(つか)う。

<座繰機(ざぐりき)> 座繰機 なべの(なか)でまゆを()(いと)をひきだして()きとる。
明治(めいじ)10(ねん)以降(いこう)出現(しゅつげん)明治(めいじ)30(ねん)以降(いこう)輸出(ゆしゅつ)生糸(きいと)機械(きかい)製糸(せいし)となった。

参考(さんこう)にした(ほん)

「東京百年史 第1巻」
「図説横浜の歴史」
「神奈川県史」
「神奈川県の歴史 下」
「横浜の歴史」
「平凡社こども世界百科」
かがくのとも傑作集「かいこ」
科学のアルバム「カイコ」
「秋川市蚕糸業史」
「日野と養蚕」
「小平町誌」
「郷土こだいら」
「東京の交通」
「日本の鉄道」
「鉄道の時代」
「八王子物語」
「史跡でつづる東京の歴史」
「わがまちの歴史八王子」
「絹の道」
「多摩のあゆみ」第55号
「シルク・ロード・ハンドブック」ほか、いろいろ。

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9.小平はじめて物語 10.戦争と小平
13.小平こだいらの道 14.小平歳時記
15.小平の新田 16.古い地名
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17.満開!小金井桜 31.野火止用水をゆけば
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33.これが武蔵国だっ! 34.地震にそなえて

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