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17.満開(まんかい)! 小金井(こがねい)(ざくら)

名勝(めいしょう)小金井桜(こがねいざくら)縁起(えんぎ)

 江戸(えど)時代(じだい)元文(げんぶん)2(ねん)(と()われているが…)。将軍(しょうぐん)吉宗(よしむね)(めい)()け、武蔵野(むさしの)新田(しんでん)発展(はってん)(ちから)()くす川崎(かわさき)平右衛門(へいえもん)は、玉川(たまがわ)上水(じょうすい)両岸(りょうがん)(さくら)()えた。小金井橋(こがねいばし)中心(ちゅうしん)に、東西(とうざい)およそ1()(4キロメートルぐらい)の(あいだ)に、吉野(よしの)桜川(さくらがわ)からとりよせた(さくら)並木(なみき)ができたのだ。
 ()えた理由(りゆう)は、(さくら)(はな)上水(じょうすい)()ちると解毒(げどく)のききめがあるから(大切(たいせつ)()(みず)だもんね)とか、花見客(はなみきゃく)(つつみ)()(かた)められて、(くず)れを(ふせ)ぐから、とか、ここが名所(めいしょ)となればまわりの新田(しんでん)発展(はってん)になるからとか、いろいろあげられている。江戸(えど)から6()あまり(25キロメートルくらいか)も(はな)れていて、不便(ふべん)だったから、(はじ)めのころこそ、(ひと)()られていなかったが、享和(きょうわ)(1801~)ごろから、江戸(えど)文化人(ぶんかじん)をはじめ、花見客(はなみきゃく)()え、小金井桜(こがねいざくら)紹介(しょうかい)する(ほん)もたくさん()た。
 天保(てんぽう)15(1844)(ねん)には、(だい)13(だい)将軍(しょうぐん)になる(まえ)家定(いえさだ)花見(はなみ)をしている。なにしろ徳川家(とくがわけ)のあととり息子(むすこ)だから、その()前後(ぜんご)はもう(おお)さわぎだ。
 ()()すな。(いぬ)(うし)(うま)はしっかりつないでおけ。(いえ)(なか)でじっと(しず)かにしていろ…などなどまわりの村々(むらむら)におふれがまわった。明治(めいじ)になると天皇(てんのう)花見(はなみ)行幸(ぎょうこう)されたよ。
 明治(めいじ)のころの庶民(しょみん)花見(はなみ)は、(ある)きのほかに、甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)(いま)JR(ジェイアール)中央線(ちゅうおうせん))や川越線(かわごえせん)(いま)西武(せいぶ)国分寺線(こくぶんじせん))を利用(りよう)した。八木節(やぎぶし)追分(おいわけ)などを(うた)芸人(げいにん)茶店(ちゃみせ)もでた。お(さけ)や、だんごや、(さと)いものゆでたのを()った。まわりの農家(のうか)も、花見(はなみ)時期(じき)はみせをだしたらしい。おみやげ()()て、造花(ぞうか)(さくら)のかんざしや、お菓子(かし)()った。
 ()っぱらいの(なか)には、行儀(ぎょうぎ)(わる)(ひと)もいて、上水(じょうすい)()っこちたり、ケンカをしたり、(さけ)(あき)びんを上水(じょうすい)()げこんだり…(本当(ほんとう)(わる)いやつだよ)。地元(じもと)()どもや若者(わかもの)はびんを(あみ)ですくって()り、こづかいをかせいだそうだ。

(さくら)をまもる
 (さくら)(とし)()ってくると、(はな)(いきお)いがなくなってくる。並木(なみき)(ととの)えるには()えついでいかなければならない。けれど、(さくら)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)とちがって(だれ)責任(せきにん)()つのかはっきりしなかった。代官(だいかん)大熊(おおくま)善太郎(ぜんたろう)家定(いえさだ)花見(はなみ)をきっかけに小金井桜(こがねいざくら)()(のこ)すのに(つと)めた。嘉永(かえい)2(ねん)上水(じょうすい)沿()いの百姓(ひゃくしょう)たちに「由緒(ゆいしょ)ある上水(じょうすい)(ざくら)村々(むらむら)協力(きょうりょく)(まも)れ」とおふれを()している。そして、この(とし)数百本(すうひゃっぽん)(さくら)()()えと手入(てい)れがおこなわれた。安政(あんせい)3(1856)(ねん)にも、大規模(だいきぼ)()()えがおこなわれている。苗木(なえぎ)(かず)は、境村(さかいむら)13(ぼん)梶野(かじの)新田(しんでん)40(ぽん)小金井(こがねい)新田(しんでん)121(ぽん)鈴木(すずき)新田(しんでん)137(ほん)分担(ぶんたん)して、(けい)311(ぽん)だった。明治(めいじ)(なか)ばには、東京(とうきょう)大学(だいがく)理学(りがく)博士(はくし)三好学(みよしまなぶ)小金井桜(こがねいざくら)調査(ちょうさ)(はじ)め、保護(ほご)()びかけた。この(ひと)は「サクラ博士(はかせ)」と()われたよ。東京市(とうきょうし)(ちから)()れはじめ、大正(たいしょう)13(ねん)には(くに)名勝(めいしょう)指定(してい)。その()太平洋戦争(たいへいようせんそう)公害(こうがい)()て、(いま)小金井(こがねい)(さくら)は…。

花とあそぶ

小金井桜(こがねいざくら)年表(ねんぴょう)

「小金井桜」年表
できごと
1732(元文(げんぶん)2) この(とし)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)両岸(りょうがん)(さくら)()える。
1801(寛政(かんせい)13) この(とし)国学者(こくがくしゃ)屋代(やしろ)弘賢(ひろかた)小金井(こがねい)花見(はなみ)をした(とき)様子(ようす)を『不忍(しのばず)叢書(そうしょ)』に()く。
1804(文化(ぶんか)1) 3(がつ)12(にち)俳人(はいじん)俳句(はいく)をよむ(ひと)露庵(ろあん)有佐(ゆうさ)(露々庵とも)、小金井(こがねい)花見(はなみ)をし、『玉花(おうか)勝覧(しょうらん)』を()く。
これより、小金井(こがねい)江戸(えど)近郊(きんこう)指折(ゆびお)りの(さくら)名所(めいしょ)となる。
1806(文化(ぶんか)3) 2(がつ)26(にち)国学者(こくがくしゃ)屋代(やしろ)弘賢(ひろかた)(ふたた)小金井(こがねい)(おとず)れ、『小金井(こがねい)乃記(のき)』を()く。
2(がつ)儒学者(じゅがくしゃ)佐藤(さとう)一斎(いっさい)先生(せんせい)(はやし)述斎(じゅっさい)一緒(いっしょ)小金井(こがねい)花見(はなみ)。『小金井橋(こがねいばし)観桜記(かんおうき)』を()く。
1809(文化(ぶんか)6) 2(がつ)30(にち)太田(おおた)蜀山人(しょくさんじん)南畝(なんぽ))、小金井(こがねい)(さくら)見物(けんぶつ)。『調布(ちょうふ)日記(にっき)』にこのことを(しる)す。
1810(文化(ぶんか)7) 3(がつ)21(にち)、「小金井(こがねい)桜樹碑(おうじゅひ)」、小金井橋(こがねいばし)のそばに()つ。
1812(文化(ぶんか)9) この(とし)長州(ちょうしゅう)出身(しゅっしん)村尾(むらお)正靖(まさのぶ/まさやす?)という(ひと)小金井(こがねい)花見(はなみ)をし、『嘉陵紀行(かりょうきこう)』を()く。
1813(文化(ぶんか)10) 2(がつ)23(にち)江戸(えど)郭然寺(かくねんじ)住職(じゅうしょく)釈敬順(しゃくけいじゅん)小金井(こがねい)花見(はなみ)。『遊暦雑記(ゆうれきざっき)』を()く。
1833(天保(てんぽう)4) この(とし)、『江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)』に小金井桜(こがねいざくら)紹介(しょうかい)される。
1838(天保(てんぽう)9) この(とし)代官(だいかん)大熊(おおくま)善太郎(ぜんたろう)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)(づつみ)(さくら)苗木(なえぎ)406(ぽん)()えたす。
1849(嘉永(かえい)2) 1(がつ)代官(だいかん)大熊(おおくま)善太郎(ぜんたろう)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)沿()いの(むら)百姓(ひゃくしょう)たちに、上水(じょうすい)(ざくら)面倒(めんどう)()させる。
1851(嘉永(かえい)4) この(とし)下田(しもだ)半兵衛(はんべえ)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)のほとりに(さくら)手入(てい)れの模様(もよう)(しる)した()(「桜樹接種碑(おうじゅせっしゅひ)」)を()てる。
1855(安政(あんせい)2) 8(がつ)境村(さかいむら)梶野(かじの)新田(しんでん)小金井(こがねい)新田(しんでん)鈴木(すずき)新田(しんでん)の4か(そん)に、小金井桜(こがねいざくら)苗木(なえぎ)肥料(ひりょう)などの費用(ひよう)(くば)るため、代官(だいかん)小林(こばやし)藤之助(とうのすけ)部下(ぶか)秋山(あきやま)茂八郎(もはちろう)出張(しゅっちょう)する。
1856(安政(あんせい)3) この(とし)小金井桜(こがねいざくら)()()し、大規模(だいきぼ)(おこな)う。
1883(明治(めいじ)16) 4(がつ)23(にち)明治(めいじ)天皇(てんのう)小金井(こがねい)遠乗(とおの)り。花見(はなみ)をする。
1884(明治(めいじ)17) 4(がつ)26(にち)皇太后(こうたいごう)皇后(こうごう)小金井(こがねい)花見(はなみ)
1901(明治(めいじ)34) この(とし)大町(おおまち)桂月(けいげつ)、『小金井(こがねい)(さくら)』を()く。
1902(明治(めいじ)35) 4(がつ)、「明治(めいじ)天皇(てんのう)行幸(ぎょうこう)松碑(まつひ)」を()てる。
1903(明治(めいじ)36) 5(がつ)皇太子(こうたいし)小金井(こがねい)花見(はなみ)
1907(明治(めいじ)40) この(とし)東京(とうきょう)大学(だいがく)理学(りがく)博士(はくし)三好学(みよしまなぶ)小金井桜(こがねいざくら)調査(ちょうさ)(おこな)う。
1912(明治(めいじ)45) 4(がつ)史蹟(しせき)名勝(めいしょう)天然(てんねん)記念物(きねんぶつ)協会(きょうかい)三好学(みよしまなぶ)東京市(とうきょうし)小金井桜(こがねいざくら)保護(ほご)(ねが)()る。
1913(大正(たいしょう)2) 小金井(こがねい)小平(こだいら)保谷(ほうや)武蔵野(むさしの)4か(そん)有志(ゆうし)で「小金井(こがねい)保桜会(ほおうかい)」(小金井桜(こがねいざくら)(まも)(かい))がつくられる。
1923(大正(たいしょう)12) この(とし)調査(ちょうさ)では、小金井桜(こがねいざくら)は、(みなみ)(きし)761(ぽん)(きた)(きし)710(ぽん)(けい)1、471(ぽん)あった。
1924(大正(たいしょう)13) 12(がつ)9()小金井桜(こがねいざくら)(くに)名勝(めいしょう)指定(してい)される。
1927(昭和(しょうわ)2) この(とし)三好学(みよしまなぶ)、『小金井(こがねい)桜花図説(おうかずせつ)1・2』を出版(しゅっぱん)する。
  太平洋戦争(たいへいようせんそう)(ちゅう)と、戦後(せんご)混乱(こんらん)した時代(じだい)には(さくら)手入(てい)れどころではなく、燃料(ねんりょう)にするため、(えだ)()られたりして、小金井桜(こがねいざくら)はかなり(いた)めつけられた。
昭和(しょうわ)29(ねん)には五日市(いつかいち)街道(かいどう)拡張(かくちょう)
昭和(しょうわ)43~53(ねん)小金井市(こがねいし)で360(ぽん)ほど()()したりしたが…。
排気(はいき)ガス、その()原因(げんいん)でこのごろは、老木(ろうぼく)()れ、若木(わかぎ)(そだ)たなくなってしまった。

江戸時代の2月は今の3月にあたるのよ

小平(こだいら)周辺(しゅうへん)(さくら)マップ

小平周辺桜マップ

1.中央(ちゅうおう)公民館(こうみんかん)南側(みなみがわ)
たかの街道(かいどう)沿()い、中央(ちゅうおう)公民館(こうみんかん)よこの(みち)は、ちょっとした(さくら)並木(なみき)
ベンチもあるし、(かえ)りにとなりの中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)によるのもGood!だ。

2.警察学校(けいさつがっこう)北門(きたもん)(まえ)
ここからあかしあ(どお)りに()るまでの歩道(ほどう)50メートルは(さくら)並木(なみき)(みち)

3.警察学校(けいさつがっこう)正門(せいもん)(まえ)
(さくら)()40(ぽん)あまりがつくるピンクのトンネル。ここはゴージャスだぞ。
ただし、(はな)()とれて車道(しゃどう)()()してはいけない。

4.玉川(たまがわ)上水(じょうすい)(づつみ)
やせても、()れても小金井桜(こがねいざくら)だ。
排気(はいき)ガスにやられても、毎年(まいとし)健気(けなげ)(はな)()かせている。

5.狭山(さやま)(さかい)緑道(りょくどう)
都立(とりつ)狭山(さやま)公園(こうえん)から、武蔵野(むさしの)()(さかい)浄水場(じょうすいじょう)まで10.5キロメートルの遊歩道(ゆうほどう)。ここの(はな)小金井(こがねい)(えき)(ひがし)から小金井(こがねい)(えき)近くの3キロメートルの(あいだ)は、地元(じもと)(ひと)たちが()えたソメイヨシノ240(ぽん)!の(さくら)並木(なみき)

6.小金井(こがねい)公園(こうえん)
面積(めんせき)70(まん)平方(へいほう)メートル。武蔵野(むさしの)面影(おもかげ)(のこ)すこの公園(こうえん)
(いま)では、(おとろ)えた玉川(たまがわ)上水(じょうすい)(づつみ)(さくら)にかわって花見(はなみ)名所(めいしょ)となっている。
山桜(やまざくら)、ソメイヨシノを中心(ちゅうしん)にその(かず)2,000(ぼん)

江戸(えど)時代(じだい)小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)のためのイラスト・マップ

江戸時代のイラストマップ

柏屋(かしわや)」のこと…
 「柏屋(かしわや)」は、江戸(えど)のころから小金井橋(こがねいばし)のたもとにあった花見(はなみ)茶屋(ちゃや)(いま)はガソリンスタンドとなって、その()(のこ)している。御幸町(みゆきちょう)東南端(とうなんたん)小金井市(こがねいし)との境目(さかいめ)のところだ。七代目(だいめ)までは代々(だいだい)勘兵衛(かんべえ)()のり、このあたり一(ばん)料亭(りょうてい)だった。
 毎年(まいとし)花見(はなみ)時分(じぶん)には、(さけ)・しょうゆ・寿司(すし)(あゆ)などの川魚(かわざかな)(たまご)野菜(やさい)をうんと仕入(しい)れ、料理人(りょうりにん)やら、給仕女(きゅうじおんな)やら、2~30(にん)もの(ひと)(やと)()れていた。
 明治(めいじ)天皇(てんのう)行幸(ぎょうこう)(とき)も、柏屋(かしわや)(まえ)(つつみ)休憩所(きゅうけいじょ)(もう)けられた。明治(めいじ)(ころ)には、柏屋(かしわや)(ほか)にも、花見(はなみ)(どき)料理屋(りょうりや)休憩所(きゅうけいじょ)が、上水(じょうすい)両岸(りょうがん)やまわりの()()にずらり(なら)んだ。紅白(こうはく)(まく)()り、(あか)いもうせん(フェルトみたいな敷物(しきもの))を()き、ちょうちんもつるした。
 お寿司(すし)・お菓子(かし)・だんご・(さと)いものゆでたの・(はや)()りのタケノコ・(あゆ)などを用意(ようい)した。(ほか)()(のこ)るみせでは茜屋橋(あかねやばし)そばの茜屋(あかねや)角屋(かどや)などがあった。

小金井(こがねい)のサクラ」はどこからどこまで?
 (くに)名勝(めいしょう)として指定(してい)しているのは、小平市(こだいらし)学園(がくえん)西町(にしまち)1丁目(ちょうめ)商大(しょうだい)(ばし)上流(じょうりゅう)から、武蔵野(むさしの)()関前(せきまえ)5丁目(ちょうめ)境橋(さかいばし)まで。

その()小金井桜(こがねいざくら)
むかしの人はみんな歩いてやってきた  小金井桜(こがねいざくら)花見客(はなみきゃく)でにぎわったのは、昭和(しょうわ)(はじ)めごろまでという。茶屋(ちゃや)土手(どて)にえんえんと(つづ)き、(なが)しは(うた)(うた)い、(ひと)びとは仮装(かそう)したりして花見(はなみ)(たの)しんだ。
 大正(たいしょう)から昭和(しょうわ)2(ねん)にかけてつくられた村山(むらやま)貯水池(ちょすいち)小金井桜(こがねいざくら)花見客(はなみきゃく)をめちゃくちゃに()らした。それと昭和(しょうわ)(がん)(ねん)小金井(こがねい)(えき)ができたことも、さびれた理由(りゆう)(ひと)つだという。(えき)武蔵境(むさしさかい)国分寺(こくぶんじ)しかなかった(ころ)は、花見(はなみ)(きゃく)はふたつの(えき)(あいだ)上水(じょうすい)べりを()()して、(つつみ)もにぎわった。が、小金井(こがねい)(えき)ができると(えき)から小金井橋(こがねいばし)にまっすぐ()って、そのまんまとんぼ(がえ)りする(きゃく)()え、(つつみ)をそぞろ(ある)(ひと)(すく)なくなった。

江戸(えど)(ほん)()かれた小金井桜(こがねいざくら)

1.「四神(しじん)地名録(ちめいろく) 寛政(かんせい)6(1794)(ねん)古河(ふるかわ)古松軒(こしょうけん)
 小金井桜(こがねいざくら)をはじめてとりあげた(ほん)古河(ふるかわ)古松軒(こしょうけん)岡山(おかやま)出身(しゅっしん)幕府(ばくふ)役人(やくにん)。あちこちの土地(とち)で、人々(ひとびと)のくらしぶりをよく観察(かんさつ)した。「四神(しじん)」とは、4つの方角(ほうがく)という意味(いみ)。これは、江戸(えど)東西(とうざい)南北(なんぼく)近郊(きんこう)について()いた(ほん)なんだ。
 「満開(まんかい)様子(ようす)(なん)とも()えぬ絶景(ぜっけい)江戸(えど)(ちか)ければ、もっと(ひと)(あつ)まるだろうに…。ほめる(ひと)もないのに、毎年(まいとし)毎年(まいとし)()いては()るのは可憐(かれん)なことだ。」と()っている。
 この(ほん)()かれてから、江戸(えど)人々(ひとびと)もだんだん小金井桜(こがねいざくら)(うつく)しさを()るようになった。

2.「享和(きょうわ)雑記(ざっき)
 「四神(しじん)地名録(ちめいろく)」より6~7年後(ねんご)()かれたらしい。享和(きょうわ)年間(ねんかん)(まち)様子(ようす)()く。小金井(こがねい)行楽地(こうらくち)として紹介(しょうかい)した最初(さいしょ)(ほん)
 寛政(かんせい)改革(かいかく)一段落(いちだんらく)して、レクリエーションを(もと)める江戸(えど)人々(ひとびと)に、小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)流行(りゅうこう)しはじめる。
 「小金井桜(こがねいざくら)見事(みごと)なのは、(すみ)(はこ)んだり、下肥(しもごえ)()んでいく、(むら)から()連中(れんちゅう)のうわさで()くとおり。江戸(えど)から7()よりは(ちか)い。(かえ)りには()(がしら)弁天(べんてん)大宮(おおみや)八幡(はちまん)にも()れる。」と()いている。
 ここから(さき)小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)紀行文(きこうぶん)がぞくぞく()る。

3.「小金橋(こがねいばし)にあそふことは」  享和(きょうわ)年間(ねんかん)(1801(ねん)ごろか?)・屋代(やしろ)弘賢(ひろかた)
 屋代(やしろ)弘賢(ひろかた)は、幕府(ばくふ)御家人(ごけにん)()で、国学者(こくがくしゃ)享和(きょうわ)(がん)(ねん)3(がつ)、44(さい)(とき)小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)をした。
 「(さくら)()えた川崎(かわさき)平右衛門(へいえもん))の(こころざし)()かすため、また、これから(はな)(たず)ねて()こうとする(ひと)のため、この(ぶん)()いた。」という。

4.辻知篤(つじともあつ)紀行文(きこうぶん)
 この(ひと)は、幕府(ばくふ)御徒士(おかち)下級(かきゅう)武士(ぶし))。享和(きょうわ)3(ねん)2(がつ)24()友人(ゆうじん)たちと小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)をする。(あさ)6()ごろ、牛込(うしごめ)(いま)新宿区(しんじゅくく))の(いえ)()て、(よる)10()(いえ)(かえ)りつくまでが()かれている。自分(じぶん)()れて()(いぬ)を、(ほか)(いぬ)から(まも)ったり、(みち)をまちがえて、さんざんな()にあったり。(かざ)らない、珍道中(ちんどうちゅう)花見(はなみ)なのだ。

5.「玉花(おうか)勝覧(しょうらん)  文化(ぶんか)(がん)(ねん)(1804)・露庵(ろあん)有佐(ゆうさ)
 有佐(ゆうさ)俳人(はいじん)俳句(はいく)をつくる(ひと))。文化(ぶんか)(がん)(ねん)3(がつ)12(にち)師匠(ししょう)友人(ゆうじん)(さそ)って、小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)。この紀行文(きこうぶん)は、小金井(こがねい)江戸(えど)近郊(きんこう)でも指折(ゆびお)りの名所(めいしょ)にのし()げた。
 題名(だいめい)の「玉花(おうか)勝覧(しょうらん)」は玉川(たまがわ)上水(じょうすい)(づつみ)花見(はなみ)、という意味(いみ)(むら)やみせの略図(りゃくず)()りの(みち)案内(あんない)絵図(えず)が6ページものっていて、ガイドブックとして最適(さいてき)だった。
 ところで、()(かた)なんだけど、どうして「ぎょくかしょうらん」ではないのかなあ。「王」じゃなくて「玉」なのに。

6.「小金井(こがねい)乃記(のき)  文化(ぶんか)3(1806)(ねん)屋代(やしろ)弘賢(ひろかた)
この(とし)、2(がつ)26(にち)。(3)の「小金橋(こがねいばし)にあそふことは」の屋代(やしろ)弘賢(ひろかた)(ふたた)小金井(こがねい)(おとず)れて()いたもの。
上水(じょうすい)(づつみ)には、すみれ、たんぽぽ、かふろ草などが()き、南北(なんぼく)には、(さくら)(たけ)のむこうに、(もも)(はな)(なが)められ、たいへん(たの)しい。」と()っている。

7.「小金井橋(こがねいばし)観桜記(かんおうき)  文化(ぶんか)3(1806)(ねん)佐藤(さとう)一斎(いっさい)
この(とし)2(がつ)儒学者(じゅがくしゃ)一斎(いっさい)は、()述斎(じゅっさい)小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)。ここの(さくら)と、隅田川(すみだがわ)(さくら)とではどちらがすぐれているか、話題(わだい)になった。
 「玉川(たまがわ)上水(じょうすい)は、(かわ)はばが(せま)いから、隅田川(すみだがわ)雄大(ゆうだい)(なが)めには()ける」と述斎(じゅっさい)(おも)った(とき)()りからの(かぜ)で、2人は(さくら)吹雪(ふぶき)(つつ)まれた。その見事(みごと)さに、述斎(じゅっさい)は「こりゃ、すごい! わたしがまちがっていた。」と(さけ)ぶほかなかった。
 隅田川(すみだがわ)のように混雑(こんざつ)しておらず、しみじみとした(おもむ)きのある小金井桜(こがねいざくら)(なが)めの()ちだ、と述斎(じゅっさい)はぬくい(ばし)にたたずんで()いきったとか。

8.「調布(ちょうふ)日記(にっき)  文化(ぶんか)6(1809)(ねん)太田(おおた)蜀山人(しょくさんじん)
 太田(おおた)蜀山人(しょくさんじん)南畝(なんぽ))は、幕府(ばくふ)役人(やくにん)でもあり、狂歌(きょうか)戯作(げさく)()いた江戸(えど)文学(ぶんがく)のヒーローでもある。
 この(とし)、2(がつ)23(にち)小金井桜(こがねいざくら)()る。(とき)蜀山人(しょくさんじん)、61(さい)
 「ひごろ、(さくら)()きで、江戸(えど)(じゅう)くまなく()(ある)いたけれど、これほど()てなく(さくら)()たことなんてなかった。61(さい)にしてこんな(さくら)(はじ)めて()た。今日(きょう)から遠桜山人(えんおうさんじん)()のる」と感激(かんげき)しているのだ。

とおったコース 9.「嘉陵紀行(かりょうきこう)  文化(ぶんか)9(1812)(ねん)ころ・村尾(むらお)正靖(まさのぶ/まさやす?)
 「中野(なかの)から(ほり)内妙法寺(うちみょうほうじ)杉並区(すぎなみく))をすぎ、大宮(おおみや)八幡宮(はちまんぐう)(もう)で、高井戸(たかいど)(とお)って、久我山(くがやま)()き、()(がしら)弁財天(べんざいてん)をおまいりして、吉祥寺村(きちじょうじむら)()大通(おおどお)りを()って保谷(ほうや)(むら)。さらに西南(せいなん)()けば玉川(たまがわ)上水(じょうすい)()て、(かわ)沿()って西(にし)()けば小金井(こがねい)だよ」と()う。こんなコースかな?

桜と富士山…いいね 10.「遊歴(ゆうれき)雑記(ざっき)  文化(ぶんか)10(1813)(ねん)釈敬順(しゃくけいじゅん)(ごう)十方庵(じっぽうあん)
 この(とし)2(がつ)23(にち)江戸(えど)小日向(こひなた)水道町(すいどうちょう)郭然寺(かくねんじ)住職(じゅうしょく)釈敬順(しゃくけいじゅん)が、小金井桜(こがねいざくら)花見(はなみ)
 「(はな)時期(じき)は、立春(りっしゅん)の70日後(にちご)くらい。絶景(ぜっけい)は、小金井橋(こがねいばし)からの(なが)めで西(にし)には富士箱根(ふじはこね)()え、両岸(りょうがん)(さくら)(まえ)(うし)ろも()きることがない。」と()う。

きれいだったねー 11.「観花図巻(かんかずかん?)  文政(ぶんせい)9(1826)(ねん)有馬(ありま)誉純(しげすみ)
 この(とし)3(がつ)越前(えちぜん)丸岡藩(まるおかはん)有馬(ありま)誉純(しげすみ)息子(むすこ)家臣(かしん)をともなって小金井(こがねい)へ。大名(だいみょう)花見(はなみ)だ。
 江戸(えど)から(うま)遠乗(とおの)りし、(いえ)(かえ)ると花見(はなみ)紀行(きこう)と、()と、詩歌(しいか)(あつ)め、1(さつ)(ほん)にした。
 このお殿(との)さまは、文学(ぶんがく)にくわしく、()もじょうずだったということだ。

12.「新編(しんぺん)武蔵(むさし)風土記(ふどき)稿(こう)
 文化(ぶんか)から文政(ぶんせい)にかけて、徳川(とくがわ)幕府(ばくふ)(へん)さんした武蔵(むさし)地理(ちり)(ほん)。「小金井橋(こがねいばし)上下(じょうげ)両岸(りょうがん)()ほどの(あいだ)に、(さくら)()数百株(すうひゃくかぶ)(はな)(さか)りには、花見(はなみ)(ひと)(みち)(つづ)く。小金井(こがねい)(さくら)として()(たか)く、(ひと)()られている。」と()いている。

13.「江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)  天保(てんぽう)4(1833)(ねん)斎藤(さいとう)月岺(げっしん)
 江戸(えど)とその近郊(きんこう)()どころガイドブックの決定版(けっていばん)! 全部(ぜんぶ)で7(かん)20(さつ)
 斎藤(さいとう)月岺(げっしん)神田(かんだ)雉子町(きじちょう)名主(なぬし)さん。この(なか)に「金井橋(こがねいばし)」がでてくる。この(ほん)には、「(小金井桜(こがねいざくら)は)立春(りっしゅん)から54~5(にち)から()きはじめ、60日目(にちめ)満開(まんかい)、70日目(にちめ)()ちる。」とある。
 4ページにもおよぶ長谷川(はせがわ)雪旦(せったん)のさし()人目(ひとめ)をひきつけた。

14.「東都(とうと)歳時記(さいじき)  天保(てんぽう)7(1836)(ねん)斎藤(さいとう)月岺(げっしん)
 「江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)」と(おな)じく、斎藤(さいとう)月岺(げっしん)(つく)った。
 「江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ)」より、こちらの(ほう)が「金井橋(こがねいばし)」の説明(せつめい)がくわしい。

15.「江戸(えど)名所(めいしょ)花暦(はなごよみ)  天保(てんぽう)8(1837)(ねん)岡山(おかやま)(とり)
 天保(てんぽう)ごろの小金井桜(こがねいざくら)様子(ようす)がよく(しる)されている。関野(せきの)新田(しんでん)保谷(ほうや)新田(しんでん)のあたりに、そば、(さけ)()るみせあり、とか。関野(せきの)真蔵院(しんぞういん)門前(もんぜん)(ちゃ)みせがある、とか。関野(せきの)(ばし)小金井橋(こがねいばし)(あいだ)には(はし)が2つあるが、丸木(まるき)(ばし)かなにかで、農夫(のうふ)(かよ)うためのものだ、とか…。
 このころ、小金井橋(こがねいばし)そばにあった(ちゃ)みせ柏屋(かしわや)は「この(いえ)宿(やど)をとらなくちゃ、(はな)(すべ)()られない」として1(ぱく)する花見客(はなみきゃく)()えたことも()かれている。

小金井桜(こがねいざくら) 由来(ゆらい)()
碑のある場所

A.小金井(こがねい)桜樹碑(おうじゅひ) 御幸町(みゆきちょう)海岸寺(かいがんじ)境内(けいだい)
小金井桜樹碑  清水村(しみずむら)(いま)東大和市(ひがしやまとし))の(ひと)大久保(おおくぼ)五郎(ごろ)兵衛(べえ)忠休(ただよし?)(ごう)狭南(きょうなん))は、この()()てたいと(ねが)いつつ、完成(かんせい)しないまま()くなった。それを()しんだ(むすめ)むこの石永貞(石子亨)や、狭南(きょうなん)門下生(もんかせい)らが文化(ぶんか)7(1810)(ねん)完成(かんせい)させた。
 ()には、小金井桜(こがねいざくら)由来(ゆらい)(きざ)むとともに、「『武野(ぶや)八景(はっけい)』という(ほん)に、小金井桜(こがねいざくら)素晴(すば)らしさを()いたので、江戸(えど)からの見物(けんぶつ)(きゃく)()えた。文章(ぶんしょう)()(ひと)(なか)に、いい加減(かげん)なものもでてきた。
そこでまちがいを(ふせ)ぐため、(いし)(きざ)んだ。」とこの()()てた理由(りゆう)がのべられている。

B.桜樹接種碑(おうじゅせっしゅひ) 小金井市(こがねいし)関野(せきの)(まち)1丁目(ちょうめ)
桜樹接種碑  街道(かいどう)(めん)した(がわ)には「さくら()るべからず」とあり、(うら)には、田無(たなし)(おお)名主(なぬし)下田(しもだ)半兵衛(はんべえ)()て、無量(むりょう)老人(ろうじん)という(ひと)(しょ)だと(きざ)まれている。嘉永(かえい)2(ねん)(さくら)手入(てい)れの模様(もよう)記録(きろく)して、嘉永(かえい)4(ねん)()てられたもの。
 ()内容(ないよう)は、「小金井(こがねい)(さくら)も100(ねん)たって、()れるものも(おお)いので、嘉永(かえい)2(ねん)(はる)代官(だいかん)大熊(おおくま)善太郎(ぜんたろう))が田無(たなし)名主(なぬし)半兵衛(はんべえ)に、まわりの村々(むらむら)(ちから)()わせ、老木(ろうぼく)には肥料(ひりょう)をやり、()れたものは()えかえるように、と()い、みな(よろこ)んで数百本(すうひゃっぽん)(さくら)()()した。」というもの。

行幸松碑 C.行幸(ぎょうこう)松碑(まつひ) 御幸町(みゆきちょう)
 明治(めいじ)16(ねん)4(がつ)23(にち)明治(めいじ)天皇(てんのう)花見(はなみ)記念(きねん)して、鈴木(すずき)新田(しんでん)(まつ)()えた。
 明治(めいじ)35(1902)(ねん)、さらに海岸寺(かいがんじ)住職(じゅうしょく)玄恪(げんかく)が、地元(じもと)人々(ひとびと)相談(そうだん)し、(まつ)()えた由来(ゆらい)(しる)した()()てた。
 ()裏面(うらめん)には、これに(かか)わった鈴木(すずき)新田(しんでん)人々(ひとびと)()(きざ)まれている。

名勝小金井桜碑 D.名勝(めいしょう)小金井桜(こがねいざくら)() 御幸町(みゆきちょう)
 大正(たいしょう)14(1925)(ねん)東京市(とうきょうし)小金井橋(こがねいばし)のたもとに()てた。ここが、日本(にっぽん)でも指折(ゆびお)りの(さくら)名所(めいしょ)であること、大正(たいしょう)13(ねん)(くに)名勝(めいしょう)指定(してい)されたこと、小金井桜(こがねいざくら)由来(ゆらい)などが(しる)される。
 ちなみに、小金井桜(こがねいざくら)最盛期(さいせいき)には数千本(すうせんぼん)といわれているが、大正(たいしょう)14(ねん)東京市(とうきょうし)調査(ちょうさ)では1168(ぽん)昭和(しょうわ)58(ねん)調査(ちょうさ)では700(ぽん)となっている。

ダイジェスト「小金井(こがねい)(さくら)

小金井(こがねい)(さくら)』。この(ほん)小金井桜(こがねいざくら)案内(あんない)のため、大正(たいしょう)15(ねん)4(がつ)発行(はっこう)された。
“サクラ博士(はかせ)三好学(みよしまなぶ)指導(しどう)東京市(とうきょうし)公園(こうえん)()編集(へんしゅう)した。

小金井桜(こがねいざくら)位置(いち)
小金井(こがねい)(さくら)は、東京府(とうきょうふ)北多摩郡(きたたまぐん)小平(こだいら)小金井(こがねい)武蔵野(むさしの)の3か(そん)(なが)れる、東京市(とうきょうし)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)()沿()いの(きし)、1()(やく)3.9キロメートル)あまりに()えられたもの。
(くに)名勝(めいしょう)指定(してい)されているのは、
南側(みなみがわ)(きし)は、小平(こだいら)(むら)鈴木(すずき)新田(しんでん)(あざ)(かみ)580番地(ばんち)から、武蔵野(むさしの)(むら)大字境(おおあざさかい)(あざ)上水(じょうすい)(みなみ)1107番地(ばんち)まで
北側(きたがわ)(きし)は、小平(こだいら)(むら)小川(おがわ)新田(しんでん)(あざ)上水(じょうすい)(うち)1175番地(ばんち)から武蔵野(むさしの)(むら)関前(せきまえ)(あざ)樋1280番地(ばんち)まで
つまり、上流(じょうりゅう)は、東京市(とうきょうし)水道局(すいどうきょく)小川(おがわ)水衛所(すいえいじょ)から
下流(かりゅう)は、(おな)じく水道局(すいどうきょく)(さかい)水衛所(すいえいじょ)までの(さくら)並木(なみき)だ。

花見(はなみ)道順(みちじゅん)
昭和の初めはキャラメル1箱が5銭だった 中央線(ちゅうおうせん)なら東京(とうきょう)(えき)から24(ふん)ごとに発車(はっしゃ)して、
武蔵境(むさしさかい)(えき)まで(やく)1時間(じかん)
武蔵(むさし)小金井(こがねい)(えき)国分寺(こくぶんじ)(えき)までだって1時間(じかん)20(ぷん)以内(いない)だ。
花見(はなみ)時期(じき)臨時(りんじ)電車(でんしゃ)()る。
乗車賃(じょうしゃちん)は…
東京(とうきょう)(えき)から武蔵境(むさしさかい)(えき)まで 片道(かたみち)35(せん)
     武蔵(むさし)小金井(こがねい)(えき)まで 40(せん)
     国分寺(こくぶんじ)(えき)まで   44(せん)
(ばん)ながめが()いのは、小金井桜(こがねいざくら)のどまん(なか)小金井橋(こがねいばし)上流(じょうりゅう)()ても、下流(かりゅう)()ても最高!

(さかい)水衛所(すいえいじょ)~((やく)25(ちょう)・2700メートル)~小金井橋(こがねいばし)~((やく)30(ちょう)・3300メートル)~小川(おがわ)水衛所(すいえいじょ)

しらなかった、正しい花の見方… これが“(さくら)見方(みかた)”だ!
(さくら)()るなら、(あさ)がいい。
それも太陽(たいよう)()にして()よう。
(はな)(あか)るく、あざやかに()える。
()れた青空(あおぞら)()らして()るとほんとに(うつく)しい。
小金井桜(こがねいざくら)()るには、(あさ)(さかい)(えき)()りて、(さかい)水衛所(すいえいじょ)から、(さくら)並木(なみき)上流(じょうりゅう)(すす)んで()こう。太陽(たいよう)()に、小川(おがわ)水衛所(すいえいじょ)まで(さくら)(たの)しめる。

(はな)時期(じき)
(とし)にもよるが、だいたい、4(がつ)中旬(ちゅうじゅん)(さか)り。((いま)なら上旬(じょうじゅん)だよねえ。)
早咲(はやざ)きは4(がつ)10日(とおか)ごろから、
遅咲(おそざ)きは4(がつ)20日(はつか)ごろ()く。
全体(ぜんたい)としては2週間(しゅうかん)くらい()きつづけるけど、()(さか)りは、わずか3~4()(あいだ)だ。

(さくら)種類(しゅるい)
日本(にっぽん)山桜(やまざくら)(しろ)山桜(やまざくら)(べに)山桜(やまざくら)(おお)きく()けられる。小金井桜(こがねいざくら)全部(ぜんぶ)(しろ)山桜(やまざくら)だ。
おもに、吉野(よしの)桜川(さくらがわ)からとりよせた。吉野(よしの)(しゅ)(はな)(しろ)く、桜川(さくらがわ)(しゅ)(あか)い。
(しろ)山桜(やまざくら)特徴(とくちょう)は、若葉(わかば)(いろ)がさまざまで、(うつく)しいこと。(べに)(いろ)のもの、()(いろ)()びたもの、(みどり)のもの…といろいろの(いろ)だ。
それに、(はな)(かたち)(えだ)様子(ようす)(にお)いの(つよ)さもいろいろ。小金井(こがねい)(さくら)は1(ぽん)1(ぽん)(ちが)って(うつく)しい。また武蔵野(むさしの)(つち)性質(せいしつ)にもよく()っている。
山桜(やまざくら)は、染井(そめい)吉野(よしの)(さと)(ざくら)にくらべると寿命(じゅみょう)(なが)い。ただ、都会(とかい)では環境(かんきょう)のせいで、寿命(じゅみょう)(みじか)いようだ。

(さくら)のなまえ
すてきよねえ 小金井桜(こがねいざくら)(なか)でも、(はな)見事(みごと)だったり、()(おお)きくて立派(りっぱ)なものには、ちゃんと名前(なまえ)がついている。

()()(さくら) 関野(せきの)(ばし)(ちか)く。上水(じょうすい)北側(きたがわ)にある大木(たいぼく)(うつく)しい(あか)()
(いり)()(さくら) ()()(さくら)(さき)にある大木(たいぼく)()()
六弁桜(ろくべんざくら) (ちゃ)()(あわ)(べに)(いろ)(はな)(はな)びらが6まいになっているものがある。
口紅桜(くちべにざくら) (あか)()(しろ)(はな)のまん(なか)(べに)(いろ)のたて(すじ)(とお)り、(はな)びらの(さき)がうす(べに)(いろ)
高嶺桜(たかみねざくら) ()()(さくら)()ている。(はな)はうす(べに)(いろ)
曙桜(あけぼのざくら) 小金井(こがねい)の匂(さくら)のひとつ。(ちゃ)()で、(はな)(しろ)(かお)りが(つよ)い。
三吉野桜(みよしのざくら) ()()(さくら)(ちか)くで上水(じょうすい)南側(みなみがわ)(かば)()(えだ)(よこ)(ひろ)がり、(かさ)(かたち)をしている。
富士見(ふじみ)(ざくら) かつては、小金井(こがねい)(さくら)並木(なみき)で一(ばん)大木(たいぼく)だった。(あか)()(はな)(かず)(すく)ないが、大輪(だいりん)(あわ)(べに)(いろ)(うつく)しい。
東天(とうてん)(におい?) (あか)()で、(はな)(しろ)大輪(だいりん)匂桜(においざくら)(はな)直径(ちょっけい)が一(すん)()(3.6センチぐらい)もある。
小金井(こがねい)(におい) (あか)()(はな)(しろ)。これも匂桜(においざくら)(はな)は東天匂のよりも(ちい)さい。
色々な桜

参考(さんこう)にした(ほん)

小金井(こがねい)()() (だい)2、(だい)3」
市報(しほう)こだいら縮刷版(しゅくさつばん)
小金井(こがねい)今昔(こんじゃく)ばなし」
西武(せいぶ)新宿線(しんじゅくせん)歴史(れきし)散歩(さんぽ)
アサヒタウンズ(へん)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)
小金井(こがねい)(さくら)
比留間(ひるま)博著(ひろしちょ)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)
明治(めいじ)東京(とうきょう)名所(めいしょ)図会(ずえ)
江戸(えど)名所(めいしょ)図会(ずえ) 下」
小平(こだいら)郷土(きょうど)研究会(けんきゅうかい) 会報(かいほう)(だい)2(ごう)
郷土(きょうど)夜話(やわ) その1」
武蔵(むさし)名勝(めいしょう)図会(ずえ)
東京(とうきょう)名所(めいしょ)旧跡(きゅうせき)
武蔵野(むさしの)(だい)66(ごう)ほか
多摩(たま)のあゆみ」(だい)4(ごう)
などなど…

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