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11. 武蔵(むさし)武士(ぶし)

武蔵(むさし)武士(ぶし)のたんじょう!

武蔵武士のたんじょう!
 むかし、むかし、そのむかし、平安(へいあん)時代(じだい)とよばれた(ころ)武蔵国(むさしのくに)(きょう)(みやこ)から()れば、(とお)(とお)東国(とうごく)のさいはての()だった。ここには、(みやこ)貴族(きぞく)寺社(じしゃ)荘園(しょうえん)朝廷(ちょうてい)牧場(まきば)などが()かれていた。そして朝廷(ちょうてい)からは国司(こくし)地方(ちほう)長官(ちょうかん))という役人(やくにん)()けんされていた。
 (いま)府中(ふちゅう)は、武蔵国府(むさしこくふ)といって、当時(とうじ)役所(やくしょ)があったところだ。
 国司(こくし)任期(にんき)は、もとは4(ねん)または6(ねん)(かぎ)られていたが年数(ねんすう)がきても(みやこ)(かえ)らずいついてしまう(もの)(おお)かった。国司(こくし)でいた(あいだ)(かい)こんした土地(とち)()ばなしていくのは()しかったし、第一(だいいち)地方(ちほう)では(みやこ)からの貴人(きじん)役人(やくにん)としてあがめられる国司(こくし)たちも、(みやこ)(かえ)れば下級(かきゅう)貴族(きぞく)にすぎなかった。
 ところで当時(とうじ)東国(とうごく)はそうとう治安(ちあん)(わる)かった。
 盗賊(とうぞく)たちが(ある)きまわるは、東北(とうほく)地方(ちほう)には朝廷(ちょうてい)(したが)わない蝦夷(えぞ)とよばれる豪族(ごうぞく)たちはいるは……。
 延喜(えんぎ)9(919)(ねん)には、(まえ)国府(こくふ)役人(やくにん)源任(みなもとのまこと)武蔵国府(むさしこくふ)(おそ)うし、承平(じょうへい)5(935)(ねん)には平将門(たいらのまさかど)(らん)もおきている。
 やむをえず、朝廷(ちょうてい)では、地方(ちほう)()ついた国司(こくし)郡司(ぐんし)らに警察力(けいさつりょく)(あた)えることになった。
 こうして、土地(とち)()ち、(たたか)(ちから)(つよ)めていった(もの)が、武士(ぶし)とよばれるようになり、武蔵国(むさしのくに)のあちこちをねじろにした武蔵(むさし)武士(ぶし)があらわれる。
 この武士(ぶし)たちが鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)をつくりあげ、武士(ぶし)中心(ちゅうしん)時代(じだい)がやって()る。
 天正(てんしょう)18(1590)(ねん)豊臣秀吉(とよとみひでよし)に、小田原(おだわら)北条(ほうじょう)とともに(ほろ)ぼされるまで、関東平野(かんとうへいや)戦乱(せんらん)()()れ、武蔵(むさし)武士(ぶし)たちがかけめぐっていたのだ!

武蔵国の郡
武蔵国(むさしのくに)は、いまの東京都(とうきょうと)埼玉県(さいたまけん)のほとんどと神奈川県(かながわけん)川崎市(かわさきし)横浜市(よこはまし)のほとんどをふくむ地域(ちいき)でその(なか)は21の(ぐん)にわかれていた。(いま)多摩(たま)地区(ちく)はもちろん多摩(たま)(ぐん)にふくまれている。

年表(ねんぴょう)

年表
世紀 時代 ことがら
7世紀(せいき) 飛鳥(あすか) 大化(たいか)(がん)(ねん)(645)ごろ
  • 武蔵国(むさしのくに)成立(せいりつ)国府(こくふ)多摩(たま)(ぐん)()かれる。
奈良
9世紀(せいき) 平安(へいあん) 貞観(じょうかん)3(861)年
  • 11月 群盗(ぐんとう)(つまり、ぬすっとの()れ)のため、武蔵国(むさしのくに)(ぐん)ごとに検非違使(けびいし)()く。
10世紀(せいき) 延喜(えんぎ)9(919)年
  • 武蔵国(むさしのくに)の前権介源任が盗賊(とうぞく)(かしら)となって、武蔵国府(むさしこくふ)をおそう。
承平(じょうへい)5(935)年
  • 2月 平将門(たいらのまさかど)(らん) おこる。
     武蔵(むさし)一時(いちじ)将門(まさかど)支配下(しはいか)にはいった。
天慶(てんぎょう)3(940)年
  • 2月 平将門(たいらのまさかど)藤原秀郷(ふじわらのひでさと)平貞盛(たいらのさだもり)らに(やぶ)れる。
  • このころより勅旨田(ちょくしでん)勅旨(ちょくし)(まき)天皇(てんのう)命令(めいれい)(かい)こんされた私有地(しゆうち)牧場(まきば))が武蔵国(むさしのくに)各地(かくち)()かれはじめる。
11世紀(せいき) 長元(ちょうげん)元年(1028)年
  • 6月 平忠常(たいらのただつね)(らん) おこる。
     (らん)は3年間(ねんかん)におよび関東(かんとう)諸国(しょこく)はあれはてる。
永承(えいしょう)6(1051)年
  • この(とし)前九年(ぜんくねん)(えき) おこる。
永保(えいほ)3(1083)年
  • この(とし)後三年(ごさんねん)(えき) おこる。
  • この世紀(せいき)(ちゅう)、さかんな土地(とち)開発(かいはつ)から、秩父氏(ちちぶし)江戸氏(えどし)などの平家(へいけ)諸流(しょりゅう)武蔵(むさし)七党(しちとう)など(おお)くの武士団(ぶしだん)がたん(じょう)する。
12世紀(せいき) 保元(ほうげん)元年(1156)年
  • 7月 保元(ほうげん)(らん) おこる。
平治(へいじ)元年(1159)年
  • 12月 平治(へいじ)(らん) おこる。
永暦(えいりゃく)元年(1160)年
  • 1月 源義朝(みなもとのよしとも) (ころ)され、
  • 3月 源頼朝(みなもとのよりとも) 伊豆(いず)(なが)される。
治承(じしょう)4(1180)年
  • 8月 源頼朝(みなもとのよりとも) 伊豆(いず)挙兵(きょへい)
    源平(げんぺい)合戦(がっせん)では武蔵(むさし)武士(ぶし)(かつ)やくする。
文治(ぶんじ)元年(1185)年
  • 3月 平氏(へいし)滅亡(めつぼう)
鎌倉(かまくら) 建久(けんきゅう)3(1192)年
  • 7月 源頼朝(みなもとのよりとも) 征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となる。
鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ) 成立(せいりつ)
14世紀(せいき) 元弘(げんこう)元年(1331)年
  • 9月 楠正成(くすのきまさしげ)挙兵(きょへい)
元弘2
正慶元年(1332)年
  • 3月 幕府(ばくふ)後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)隠岐(おき)(なが)す。
元弘3
正慶2(1333)年
  • 5月 新田義貞(にったよしさだ)鎌倉(かまくら)()め。
鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ) 滅亡(めつぼう)
ここでも武蔵(むさし)武士(ぶし)(かつ)やくする。
南北朝(なんぼくちょう) 建武(けんむ)2(1335)年
  • 7月 中先代(なかせんだい)(らん)
    • 8月 足利尊氏(あしかがたかうじ)征東将軍(せいとうしょうぐん)となる。
延元(えんげん)元年(1336)年
  • 11月 室町(むろまち)幕府(ばくふ) 成立(せいりつ)
延元(えんげん)3(1338)年
  • 8月 足利尊氏(あしかがたかうじ)征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となる。
足利尊氏

武蔵(むさし)七党(しちとう)

武蔵国(むさしのくに)武士団(ぶしだん)血縁(けつえん)()のつながり)で(むす)ばれた(あつ)まりだ。
(なか)でも武蔵(むさし)七党(しちとう)というのが有名(ゆうめい)だ。7つの(とう)(かぞ)(かた)はきちんと(きま)っていないけれど、(おも)なものはつぎのとおりだ。

野与党(のいよとう) 平忠常(たいらのただつね)次男(じなん)胤宗(たねむね)()基宗(もとむね)がおこす。
基宗(もとむね)野与(のいよ)荘官(しょうかん)だった。
南北(なんぼく)埼玉(さいたま)(ぐん)勢力(せいりょく)をもつ。

西党(にしとう) 日奉連(ひまつりのむらじ)宗頼(むねより)武蔵守(むさしのかみ)となって、その一族(いちぞく)武蔵国府(むさしこくふ)から西(にし)中心(ちゅうしん)発展(はってん)。そのため西党(にしとう)とよばれるようになる。
小川(おがわ)由比(ゆい)(まき)支配(しはい)していたともいわれ、一族(いちぞく)には平山(ひらやま)()小川(おがわ)()立川(たちかわ)()由井(ゆい)()二宮(にのみや)()川口(かわぐち)()などがある。

私市党(きさいとう) 私市(きさい)家盛が武蔵守(むさしのかみ)になってやって()てはじまったといわれる。
私市(きさい)」は皇后(きさいのみや)領地(りょうち)天皇(てんのう)のおきさきの領地(りょうち))を(おさ)める仕事(しごと)をする(ひと)で、皇后の(まき)管理(かんり)もしていた。北埼玉(きたさいたま)(ぐん)から大里(おおさと)(ぐん)中心(ちゅうしん)
一族(いちぞく)には久下(くげ)()成木(なりき)()などがある。

児玉党(こだまとう) 藤原(ふじわら)()一門(いちもん)藤原道隆(ふじわらのみちたか)(まご)()維能(これよし)武蔵介(むさしのすけ)となって児玉(こだま)(ぐん)(かい)たくしたのがはじまり。
一族(いちぞく)には児玉(こだま)()越生(おごせ)()など。

横山党(よこやまとう) 小野篁(おののたかむら)の7代目(だいめ)子孫(しそん)といわれる小野(おのの)孝泰(たかやす)武蔵守(むさしのかみ)となってやって()て、多摩(たま)横山(よこやま)(いま)八王子(はちおうじ))を中心(ちゅうしん)(かい)たく。
武蔵(むさし)七党(しちとう)(ちゅう)最大(さいだい)規模(きぼ)(ほこ)る。一族(いちぞく)横山氏(よこやまし)椚田(くぬぎだ)()由木(ゆぎ)氏、藍原(あいはら)()などがある。ちなみに、小野篁(おののたかむら)平安(へいあん)初期(しょき)有名(ゆうめい)学者(がくしゃ)で、参議(さんぎ)だ。
【参議とは】奈良時代にできた役職。朝廷での会議に参加できる人だ。

丹党(たんとう) 宣化(せんか)天皇(てんのう)より()多治比古(たじひこ)(おう)()広足(ひろたり)丹治(たんじ)(せい)をもらい、武蔵守(むさしのかみ)となってやって()たのがはじまり。秩父(ちちぶ)児玉(こだま)(りょう)(ぐん)中心(ちゅうしん)秩父(ちちぶ)(ぐん)石田(いしだ)(まき)管理(かんり)していたらしい。

村山党(むらやまとう) 平忠常(たいらのただつね)子孫(しそん)で、野与(のいよ)基永(もとなが)(おとうと)村山貫主(むらやまかんじゅ)頼任(よりとう)がそのはじまり。
狭山(さやま)丘陵(きゅうりょう)中心(ちゅうしん)(かつ)やく。一族(いちぞく)には、金子(かねこ)()狭山(さやま)()山口(やまぐち)()久米(くめ)()難波田(なにわだ)()などがある。

猪俣党(いのまたとう) 横山党(よこやまとう)一族(いちぞく)小野(おのの)孝泰(たかやす)子孫(しそん)時範(ときのり)児玉(こだま)(ぐん)猪俣(いのまた)(やかた)をつくり、猪俣(いのまた)()となった。那珂(なか)(ぐん)中心(ちゅうしん)一族(いちぞく)には、猪俣(いのまた)()荏原(えばら)()人見(ひとみ)()男衾(おぶすま)()甘糟(あまかす)()岡部(おかべ)()など。
平家(へいけ)物語(ものがたり)』の(なか)薩摩守(さつまのかみ)平忠度(たいらのただのり)()ちとったといわれる岡部(おかべ)六弥太(ろくやた)忠澄(ただすみ)もこの一族(いちぞく)だ。


(まき)武士(ぶし)

(まき)」とはつまり、牧場(まきば)だよ。武蔵国(むさしのくに)には石川(いしかわ)(まき)横浜市(よこはまし))、小川(おがわ)(まき)秋川市(あきかわし))、由比(ゆい)(まき)八王子市(はちおうじし))、立野(たちの)(まき)横浜市(よこはまし))、秩父(ちちぶ)(まき)秩父(ちちぶ)())、小野(おの)(まき)秩父(ちちぶ)(ぐん))などがあった。
(牧の位置は『荘園分布図』竹内理三編をもとにしました。)
(まき)では(うま)(そだ)てていたんだ。(まき)土台(どだい)発展(はってん)した武士団(ぶしだん)(おお)い。(なに)しろこのころの(たたか)いは騎馬戦(きばせん)中心(ちゅうしん)だから。(うま)(そだ)てる(まき)武士団(ぶしだん)(かか)わりは(ふか)いんだよ。


平氏(へいし)源氏(げんじ)

桓武(かんむ)平氏(へいし)
桓武(かんむ)天皇(てんのう)(784(ねん)即位(そくい))のひまご((まご)())の()にあたる高望王(たかもちおう)(たいら)(せい)をもらって上総介(かずさのすけ)となって東国(とうごく)()た。
その子孫(しそん)はそれぞれ関東(かんとう)国々(くにぐに)上級(じょうきゅう)役人(やくにん)となり、土着(どちゃく)し、(ちから)をたくわえていった。伊豆(いず)北条(ほうじょう)相模(さがみ)土肥(どい)三浦(みうら)上総(かずさ)上総(かずさ)(しも)総の千葉(ちば)武蔵(むさし)秩父氏(ちちぶし)らは「坂東(ばんどう)平氏(へいし)」といわれ、保元(ほうげん)平治(へいじ)(らん)から鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)ができるころにかけて(おお)いに(かつ)やくした。

秩父氏(ちちぶし)一族(いちぞく)
秩父氏(ちちぶし)平良文(たいらのよしふみ)高望王(たかもちおう)五男(ごなん))の(まご)将常(まさつね)からはじまる名門(めいもん)だ。一族(いちぞく)には畠山(はたけやま)()河越(かわごえ)()江戸氏(えどし)などがある。
(みなみ)多摩(たま)(ぐん)本拠(ほんきょ)にしていた小山田(おやまだ)()も、そのはじまりは畠山(はたけやま)重能(しげよし)鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)(はじ)めごろの重臣(じゅうしん)畠山(はたけやま)重忠(しげただ)(ちち))の(おとうと)有重(ありしげ)だ。
また、有重(ありしげ)()稲毛(いなげ)三郎(さぶろう)重成(しげなり)橘樹(たちばな)(ぐん)勢力(せいりょく)をもった。

清和(せいわ)源氏(げんじ)
清和(せいわ)天皇(てんのう)(858(ねん)即位(そくい))の(まご)(みなもと)(せい)をもらい、天慶(てんぎょう)年間(ねんかん)(938~941?年)武蔵介(むさしのすけ)となって武蔵国(むさしのくに)()た。
源氏(げんじ)()をあげたのは源頼信(みなもとのよりのぶ)(この(ひと)平忠常(たいらのただつね)(らん)をしずめている)の()頼義(よりよし)とその()義家(よしいえ)だ。
2人(ふたり)奥州(おうしゅう)安倍頼時(あべのよりとき)父子(ふし)(らん)をおさめ、また、義家(よしいえ)後三年(ごさんねん)(えき)でも(かつ)やく。
関東(かんとう)武士(ぶし)たちは、義家(よしいえ)をうやまい、(した)った。
鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)をひらいた源頼朝(みなもとのよりとも)はこの義家(よしいえ)のひまごだ。


鎌倉(かまくら)街道(かいどう)

幕府(ばくふ)のある鎌倉(かまくら)へむかういく(すじ)かの(みち)鎌倉(かまくら)街道(かいどう)とか、鎌倉(かまくら)往還(おうかん)とよぶ。関東(かんとう)武士(ぶし)たちと幕府(ばくふ)(むす)びつける(みち)であったし、(いく)さがおこって「いざ鎌倉(かまくら)!」という(とき)は、軍事用(ぐんじよう)路線(ろせん)にもなった。そのうち、(おも)(みち)

分倍河原駅南口には新田義貞の像がある (かみ)(みち)
鎌倉(かまくら)小山田(おやまだ)町田市(まちだし)関戸(せきど)多摩(たま)()分倍河原(ぶばいがわら)府中市(ふちゅうし)恋ヶ窪(こいがくぼ)国分寺市(こくぶんじし)久米川(くめがわ)東村山市(ひがしむらやまし))をとおる。
小平(こだいら)(とお)っているのは、このルートなのだ!
(しも)(みち)
鎌倉(かまくら)鶴見(つるみ)横浜市(よこはまし)下総(しもうさ)上総(かずさ)千葉県(ちばけん))へむかう。
(なか)(みち)
(かみ)(みち)(しも)(みち)のまん(なか)あたりを(とお)り、府中(ふちゅう)(かみ)(みち)合流(ごうりゅう)する。

おもな武士団のねじろ

中世(ちゅうせい)のこんな出来事(できごと)、あんな(ひと)

にあうー?

武蔵国府(むさしこくふ)国司(こくし)郡司(ぐんし)
 9世紀(せいき)以降(いこう)朝廷(ちょうてい)全国(ぜんこく)を66の(くに)と2つの(しま)にわけた。そして、そのそれぞれに(かみ)(すけ)(じょう)(さかん)階級(かいきゅう)役人(やくにん)らを中央(ちゅうおう)から()けんして政治(せいじ)(おこな)わせたり、警察(けいさつ)裁判所(さいばんしょ)役目(やくめ)させたりした。これを国司(こくし)という。
 国司(こくし)仕事(しごと)する役所(やくしょ)国衙(こくが)といい、その所在地(しょざいち)国府(こくふ)といった。武蔵(むさし)国府(こくふ)(いま)府中(ふちゅう)だ。
 国司(こくし)(した)には(ぐん)(ない)政務(せいむ)(おこな)役人(やくにん)郡司(ぐんし)がいた。国司(こくし)が4(ねん)または6(ねん)任期(にんき)があるのに(たい)し、郡司(ぐんし)任期(にんき)なし。しかも代々(だいだい)子孫(しそん)(つた)えられるかたちで地方(ちほう)豪族(ごうぞく)任命(にんめい)されることが(おお)かった。

検非違使(けびいし)
 もともとは京都(きょうと)安全(あんぜん)(まも)仕事(しごと)をする役人(やくにん)だった。のちに地方(ちほう)国々(くにぐに)にも()かれるようになる。
 野盗(やとう)(あつ)まって乱暴(らんぼう)(はたら)くので、武蔵国(むさしのくに)(ぐん)ごとに検非違使(けびいし)()かれた。
 が、武士(ぶし)成長(せいちょう)してくると、(かたち)だけのものになってしまう。

平将門(たいらのまさかど)(らん)(935年)
 将門(まさかど)桓武(かんむ)平氏(へいし)()相続(そうぞく)問題(もんだい)一族(いちぞく)(あらそ)うなか、叔父(おじ)国香(くにか)()ち、さらに関東(かんとう)8か(こく)支配(しはい)して、自分(じぶん)を「新皇(しんのう)」((あたら)しい天皇(てんのう))と(しょう)した。
 940(ねん)将門(まさかど)藤原秀郷(ふじわらのひでさと)平貞盛(たいらのさだもり)らに()ちとられた。

平忠常(たいらのただつね)(らん)(1028年)
 平将門(たいらのまさかど)(らん)(のち)東国(とうごく)では桓武(かんむ)平氏(へいし)勢力(せいりょく)()ばした。(なか)でも平忠常(たいらのただつね)は、上総(かずさ)下総(しもうさ)(いま)千葉県(ちばけん))あたりを(あし)がかりにして(ちから)をつけ、朝廷(ちょうてい)(おさ)める(もの)(おさ)えてしまった。
 朝廷(ちょうてい)はなかなかこの反乱(はんらん)をしずめることができなかった。(らん)より3年後(ねんご)甲斐守(かいのかみ)源頼信(みなもとのよりのぶ)討手(うって)(めい)じられると忠常(ただつね)降伏(こうふく)
 この(らん)(のち)東国(とうごく)では清和(せいわ)源氏(げんじ)勢力(せいりょく)()つようになる。

武蔵(むさし)(いく)上手(じょうず)
 まず将門(まさかど)()った藤原秀郷(ふじわらのひでさと)鎌倉(かまくら)時代(じだい)には熊谷(くまがい)次郎(じろう)直実(なおざね)斎藤(さいとう)別当(べっとう)実盛(さねもり)畠山(はたけやま)重忠(しげただ)金子(かねこ)十郎(じゅうろう)平山(ひらやま)武者所(むしゃどころ)季重(すえしげ)ら『平家(へいけ)物語(ものがたり)』などに登場(とうじょう)する有名人(ゆうめいじん)がいる。室町(むろまち)時代(じだい)には新田義貞(にったよしさだ)足利尊氏(あしかがたかうじ)長尾(ながお)景春(かげはる)太田道真(おおたみちざね)とその()道灌(どうかん)(かつ)やくした。

前九年(ぜんくねん)(えき)(1051年)・後三年(ごさんねん)(えき)(1083年)
 陸奥(むつ)(いま)東北(とうほく)東部(とうぶ)のちいき)の安倍(あべ)()朝廷(ちょうてい)にそむいて(なか)独立(どくりつ)した国家(こっか)をその()(きず)いてしまった。
 これが前九年(ぜんくねん)(えき)のはじまりで、源頼義(みなもとのよりよし)平忠常(たいらのただつね)(らん)(おさ)めた源頼信(みなもとのよりのぶ)())が陸奥守(むつのかみ)となり、これを平定(へいてい)(たたか)いは12年間(ねんかん)にもおよんだ。
 一方(いっぽう)後三年(ごさんねん)(えき)は、奥羽(おうう)東北(とうほく)地方(ちほう))の豪族(ごうぞく)清原(きよはら)()のおこした一族(いちぞく)(あいだ)紛争(ふんそう)。こちらは源頼義(みなもとのよりよし)長男(ちょうなん)八幡(はちまん)太郎(たろう)といわれた源義家(みなもとのよしいえ)平定(へいてい)した。

保元(ほうげん)(らん)(1156年)
 皇室(こうしつ)皇位(こうい)継承(けいしょう)問題(もんだい)(だれ)天皇(てんのう)になるか)と藤原(ふじわら)()一族(いちぞく)(あいだ)権力(けんりょく)(あらそ)いが(むす)びついておきた(らん)
 崇徳上皇(すとくじょうこう)藤原頼長(ふじわらのよりみち)挙兵(きょへい)したのに(たい)し、後白河(ごしらかわ)天皇(てんのう)崇徳上皇(すとくじょうこう)(おとうと))と関白(かんぱく)藤原忠通(ふじわらのただみち)源義朝(みなもとのよしとも)平清盛(たいらのきよもり)らを味方(みかた)にむかえ()った。
 (たたか)いは一日(いちにち)でおわり、(やぶ)れた崇徳上皇(すとくじょうこう)隠岐(おき)(今の島根県隠岐島)へ(なが)されてしまった。

平治(へいじ)(らん)(1159年)
 保元(ほうげん)(らん)(かつ)やくした平清盛(たいらのきよもり)源義朝(みなもとのよしとも)(たい)する朝廷(ちょうてい)(あつか)いやほうびにはかなり()があった。清盛(きよもり)(ほう)がまさって、義朝(よしとも)圧倒(あっとう)するようになった。
 義朝(よしとも)清盛(きよもり)留守(るす)をねらって挙兵(きょへい)したが、(いそ)(かえ)った清盛(きよもり)(ぐん)(やぶ)れ、(ころ)されてしまう。
 義朝(よしとも)()、13(さい)頼朝(よりとも)伊豆(いず)(なが)された。
 成人(せいじん)した頼朝(よりとも)は1180(ねん)伊豆(いず)挙兵(きょへい)平氏(へいし)(ほろ)ぼし、1192(ねん)征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となって、鎌倉(かまくら)日本初(にっぽんはつ)武家(ぶけ)政権(せいけん)をつくりあげた。

御家人(ごけにん)とは…
 家人(けにん)というのはもともとは貴族(きぞく)武士(ぶし)家来(けらい)のことだ。
 鎌倉(かまくら)時代(じだい)には源頼朝(みなもとのよりとも)見参(けんざん)(れい)をした(直接(ちょくせつ)()にかかって、その家来(けらい)となった)武士(ぶし)のことを、頼朝(よりとも)敬意(けいい)をあらわして御家人(ごけにん)とよんだ。「御」というのは(うやま)()()ちをあらわす言葉(ことば)だからね。

鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)滅亡(めつぼう)まで
 源頼朝(みなもとのよりとも)のひらいた鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)も、源氏(げんじ)()三代(さんだい)将軍実朝(しょうぐんさねとも)()えた。それより(あと)は、頼朝(よりとも)(つま)政子(まさこ)一族(いちぞく)である北条氏(ほうじょうし)執権(しっけん)として政治(せいじ)(おこな)うようになった。
 しかし、鎌倉(かまくら)時代(じだい)(すえ)になると貴族(きぞく)武士(ぶし)(あいだ)から、幕府(ばくふ)(たい)する不満(ふまん)(たか)まってきた。

新田義貞(にったよしさだ)鎌倉(かまくら)()め(1333年)
 新田義貞(にったよしさだ)上野国(こうずけのくに)()まれ。源氏(げんじ)名門(めいもん)だったが北条氏(ほうじょうし)から(なが)(あいだ)(つめ)たい(あつか)いをうけてきた。
 はじめは幕府(ばくふ)命令(めいれい)で、楠正成(くすのきまさしげ)のこもる千早城(ちはやじょう)攻撃(こうげき)(くわ)わっていたが、のち、後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)味方(みかた)して挙兵(きょへい)した。1333(ねん)5(がつ)8日(ようか)のことだ。
5月11日には 小手指原(こてさしがはら)(いま)所沢(ところざわ))で
5月12日には 久米川(くめがわ)東村山市(ひがしむらやまし)埼玉県(さいたまけん)(さかい))で幕府(ばくふ)(ぐん)(たたか)い、連勝(れんしょう)
5月15日には 分倍河原(ぶばいがわら)(いま)府中(ふちゅう))で執権(しっけん)北条(ほうじょう)高時(たかとき)(おとうと)泰家(やすいえ)(ぐん)(たたか)い、
よく5月16日の決戦(けっせん)義貞(よしさだ)(ぐん)()ち、幕府(ばくふ)(ぐん)鎌倉(かまくら)退(しりぞ)いた。
5月18日からは鎌倉(かまくら)(そう)攻撃(こうげき)にはいり
5月22日 北条(ほうじょう)高時(たかとき)自殺(じさつ)鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)滅亡(めつぼう)した。

中先代(なかせんだい)(らん)(1335年)
 北条(ほうじょう)高時(たかとき)()時行(ときゆき)鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)復活(ふっかつ)をはかっておこした反乱(はんらん)
 1335(ねん)7(がつ)武蔵(むさし)足利(あしかが)直義(ただよし)尊氏(たかうじ)(おとうと))らを(やぶ)り、鎌倉(かまくら)をおとした。が、8(がつ)には(ひがし)(くだ)ってきた尊氏(たかうじ)(やぶ)れ、時行(ときゆき)()げた。
 この(らん)()尊氏(たかうじ)関東(かんとう)にとどまり、後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)建武(けんむ)政権(せいけん)対抗(たいこう)するようになった。
 時行(ときゆき)はその()南朝(なんちょう)(ぐん)に加わり、1352(ねん)には鎌倉(かまくら)()()ったが、(とら)えられ、(ころ)された。

後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)楠正成(くすのきまさしげ)
 後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)は1321(ねん)即位(そくい)幕府(ばくふ)(たお)計画(けいかく)をしたが、失敗(しっぱい)して、1332(ねん)隠岐(おき)(なが)された。それにもめげず、1333(ねん)隠岐(おき)脱出(だっしゅつ)諸国(しょこく)幕府(ばくふ)(たお)すための挙兵(きょへい)()びかけた。
 楠正成(くすのきまさしげ)河内国(かわちのくに)(いま)大阪(おおさか))の豪族(ごうぞく)だが、出身(しゅっしん)(あき)らかではない。後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)計画(けいかく)(くわ)わり、1331(ねん)河内赤坂城(かわちあかさかじょう)挙兵(きょへい)。よく(とし)には千早城(ちはやじょう)(うつ)り、幕府(ばくふ)(ぐん)(たたか)い、諸国(しょこく)幕府(ばくふ)(たお)(ぐん)をおこすよううながした。

足利尊氏(あしかがたかうじ)
 新田氏(にったし)とならぶ源氏(げんじ)名門(めいもん)。はじめは「高氏(たかうじ)」だったが、幕府(ばくふ)(たお)した(とき)のほうびに、後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)()尊治(たかはる)一字(いちじ)(たま)わり、「尊氏(たかうじ)」となる。
 1335(ねん)北条(ほうじょう)時行(ときゆき)(らん)をしずめるため鎌倉(かまくら)(くだ)り、()いで建武(けんむ)政権(せいけん)にそむき、(きょう)(みやこ)()めのぼった。
 よく(とし)(たたか)いに(やぶ)れ、九州(きゅうしゅう)におちのびたが、(ふたた)挙兵(きょへい)楠正成(くすのきまさしげ)らを(やぶ)り、(きょう)(みやこ)にはいって、1336(ねん)光明(こうみょう)天皇(てんのう)をたて、室町(むろまち)幕府(ばくふ)をひらいた。1338(ねん)には征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となり、ここに(ふたた)源氏(げんじ)血統(けっとう)による武家(ぶけ)政権(せいけん)ができあがった。
 後醍醐(ごだいご)天皇(てんのう)吉野(よしの)にのがれて南朝(なんちょう)をひらき、北朝(ほくちょう)をたてた足利(あしかが)()幕府(ばくふ)対抗(たいこう)した。
 朝廷(ちょうてい)(ふたた)統一(とういつ)されたのは1392(ねん)のことだ。

武蔵野(むさしの)合戦(がっせん)
 足利尊氏(あしかがたかうじ)新田義貞(にったよしさだ)対立(たいりつ)は、1335(ねん)中先代(なかせんだい)(らん)がおさまった(あと)(はや)くも表面化(ひょうめんか)関東(かんとう)武士(ぶし)たちもふた()()かれた。この新田(にった)足利(あしかが)(あらそ)いは、南北朝(なんぼくちょう)対立(たいりつ)するきっかけの(ひと)つともなった。
 新田義貞(にったよしさだ)は1338(ねん)藤島(ふじしま)(いま)福井県(ふくいけん))で戦死(せんし)。その()足利尊氏(あしかがたかうじ)(がた)新田(にった)義興(よしおき)義貞(よしさだ)())・義宗(よしむね)義興(よしおき)(おとうと))の(あらそ)いとなり、1352(ねん)うるう2(がつ)決戦(けっせん)をむかえた。
 小手指原(こてさしがはら)埼玉県(さいたまけん))・人見原(ひとみはら)府中市(ふちゅうし))・金井原(かないばら)小金井市(こがねいし))などを舞台(ぶたい)合戦(かっせん)をくりひろげ、この時期(じき)(さかい)新田(にった)(ぐん)(いきお)いがおとろえていく。義興(よしおき)足利(あしかが)基氏(もとうじ)(尊氏の四男坊だ)・畠山(はたけやま)国清(くにきよ)にはかられ、武蔵(むさし)矢野口(やのくち)(わたし)稲城市(いなぎし))で(ころ)された。

挂甲・大鎧姿5世紀(せいき)ごろ、朝鮮(ちょうせん)()日本(にっぽん)(つた)わった中国(ちゅうごく)挂甲(けいこう)(「かけよろい」といわれる古代(こだい)のよろい)が(よろい)起源(きげん)だ。
平安(へいあん)時代(じだい)になると、武士(ぶし)騎馬(きば)射戦(しゃせん)(うま)にのって弓矢(ゆみや)(たたか)うこと)にむくスタイルにかわっていった。

こんなにあるぞ!多摩(たま)のお(しろ)古戦場(こせんじょう)マップ

分布図は「多摩の古城址」参照
多摩のお城と古戦場マップ

1.川口(かわぐち)兵庫介(ひょうごのすけ)(やかた)(あと)八王子市(はちおうじし)川口(かわぐち)
 川口(かわぐち)()武蔵(むさし)七党(しちとう)西党(にしとう)一族(いちぞく)鎌倉(かまくら)時代(じだい)から室町(むろまち)時代(じだい)まで、この(やかた)をねじろに川口(かわぐち)(ごう)支配(しはい)した。応永年間(ねんかん)(1394~1428年)の兵庫介(ひょうごのすけ)幸季(ゆきすえ)のころに(もっと)繁栄(はんえい)したといわれる。

2.初沢(はつざわ)城跡(じょうあと)八王子市(はちおうじし)初沢(はつざわ)(まち)
 またの()椚田(くぬぎだ)(じょう)高乗寺城(こうじょうじじょう)武蔵(むさし)七党(しちとう)横山党(よこやまとう)(ぞく)椚田(くぬぎだ)(じょう)住居(じゅうきょ)だともいうし、鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)重臣(じゅうしん)大江広元(おおえのひろもと)子孫(しそん)長井氏(ながいし)(しろ)だったともいう。

3.浄泉寺(じょうせんじ)城跡(じょうあと)八王子市(はちおうじし)館町(たてまち)
 平安(へいあん)時代(じだい)武将(ぶしょう)で、源頼義(みなもとのよりよし)家臣(かしん)であった鎌倉(かまくら)権五郎(ごんごろう)景政(かげまさ)(やかた)のあとといわれる。が、北条(ほうじょう)氏照(うじてる)重臣(じゅうしん)近藤(こんどう)出羽守(でわのかみ)(やかた)だったという(せつ)もある。権五郎(ごんごろう)景政(かげまさ)義家(よしいえ)(したが)って出陣(しゅつじん)した後三年(ごさんねん)(えき)右目(みぎめ)()ぬかれたという。その姿(すがた)のまま(てき)()ち、陣地(じんち)(かえ)ると、味方(みかた)(もの)景政(かげまさ)(かお)(あし)をかけ、()をひきぬこうとした。景政(かげまさ)は、「武士(ぶし)弓矢(ゆみや)にあたって()ぬのは()(つね)だ。が、()きているうちに(かお)(あし)でふみつけられるのはかんべんならん!」と(おこ)ったとか。

4.片倉(かたくら)城跡(じょうあと)八王子市(はちおうじし)片倉町(かたくらまち)
 室町(むろまち)時代(じだい)前期(ぜんき)鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)重臣(じゅうしん)だった大江広元(おおえひろもと)子孫(しそん)長井(ながい)道広(みちひろ)(きず)いたともいうし、その(ちち)大江(おおえ)備中守(びっちゅうのかみ)師親(もろちか)がつくったという(せつ)も。
 このあたり、もともとは横山氏(よこやまし)土地(とち)だったが、鎌倉(かまくら)時代(じだい)大江(おおえ)()(あた)えられた。その()100(ねん)ほどこの()大江(おおえ)()支配(しはい)応永(おうえい)9(1402)(ねん)長井(ながい)道広(みちひろ)奥州(おうしゅう)伊達(だて)()との(たたか)いに(やぶ)れ、()ぬとこの(しろ)使(つか)われなくなった。
 戦国(せんごく)時代(じだい)には、小田原(おだわら)北条氏(ほうじょうし)支城(しじょう)(ひと)つだったが、天正(てんしょう)18(1590)(ねん)豊臣(とよとみ)(ぐん)小田原(おだわら)()めとともに(ほろ)んだ。

5.古手(こて)指ヶ原(さしがはら)古戦場(こせんじょう)狭山(さやま)丘陵(きゅうりょう)(きた)所沢(ところざわ)()西部(せいぶ)

  • 元弘(げんこう)3(1333)(ねん)鎌倉(かまくら)()めの新田義貞(にったよしさだ)(ぐん)幕府(ばくふ)北条(ほうじょう)(ぐん)がはじめてここで出会(であ)い、(たたか)う。
  • 建武(けんむ)2(1335)(ねん)中先代(なかせんだい)(らん)(とき)もここで合戦(かっせん)があった。
  • 正平7(1352)(ねん)武蔵野(むさしの)合戦(がっせん)足利尊氏(あしかがたかうじ)(たい)新田(にった)義興(よしおき)義宗(よしむね)(ぐん)がここで(たたか)う。

6.山口(やまぐち)城跡(じょうあと)(所沢市山口)
 村山(むらやま)(かん)頼任(よりとう)(まご)小七郎(こしちろう)家継(いえつぐ)山口(やまぐち)()()のり、この()(やかた)をかまえたのがはじまり。山口(やまぐち)()鎌倉(かまくら)時代(じだい)(まえ)からこのあたり一帯(いったい)勢力(せいりょく)()っていた。
 南北朝(なんぼくちょう)時代(じだい)には新田義貞(にったよしさだ)味方(みかた)して(たたか)ったが足利(あしかが)に攻められて(しろ)(ほろ)んでしまった。

7.久米川(くめがわ)古戦場(こせんじょう)
ここは鎌倉(かまくら)街道(かいどう)宿(しゅく)として(さか)えた()交通(こうつう)(うえ)重要(じゅうよう)場所(ばしょ)合戦(かっせん)()ともなった。

  • 元弘(げんこう)3(1333)(ねん)新田義貞(にったよしさだ)(ぐん)(たい)幕府(ばくふ)北条(ほうじょう)(ぐん)ここで(たたか)う。
  • 建武(けんむ)2(1335)(ねん)中先代(なかせんだい)(らん)(とき)もここで合戦(かっせん)

8.立川(たちかわ)城跡(じょうあと)立川(たちかわ)()柴崎(しばさき)
 立川(たちかわ)()武蔵(むさし)七党(しちとう)西党(にしとう)日奉(ひまつり)()一族(いちぞく)源頼朝(みなもとのよりとも)挙兵(きょへい)にはせさんじ、平家(へいけ)(とう)ばつに(かつ)やくした。
 鎌倉(かまくら)時代(じだい)から戦国(せんごく)時代(じだい)にかけ、このあたりを支配(しはい)した。(しろ)があったのは普済寺(ふさいじ)のあたり。天正(てんしょう)18(1590)(ねん)豊臣(とよとみ)(ぐん)小田原(おだわら)()めとともに(ほろ)んだ。

9.三田(みた)()(やかた)(あと)国立(くにたち)()谷保(やほ)
 津戸(つのと)三郎(さぶろう)為守(ためもり)城主(じょうしゅ)だったといわれる。一方(いっぽう)現在(げんざい)もこの()()んでいる三田(みた)()先祖(せんぞ)代々(だいだい)城主(じょうしゅ)だったという(せつ)もあってこうよばれる。為守(ためもり)鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)御家人(ごけにん)熊谷(くまがい)直実(なおざね)(おな)じころの(ひと)らしい。

10.平山(ひらやま)城跡(じょうあと)日野(ひの)()平山(ひらやま)
 武蔵(むさし)七党(しちとう)西党(にしとう)日奉(ひまつり)()一族(いちぞく)平山(ひらやま)武者所(むしゃどころ)季重(すえしげ)(やかた)平山(ひらやま)季重(すえしげ)は『平家(へいけ)物語(ものがたり)』『源平(げんぺい)盛衰記(せいすいき)』に登場(とうじょう)する武蔵(むさし)武士団(ぶしだん)実力者(じつりょくしゃ)(いち)(たに)(たたか)いで熊谷(くまがい)次郎(じろう)直実(なおざね)先陣(せんじん)あらそいをした。

11.金井原(かないばら)古戦場(こせんじょう)

  • 正平(しょうへい)7(1352)(ねん)武蔵野(むさしの)合戦(がっせん)足利尊氏(あしかがたかうじ)(たい)新田(にった)義興(よしおき)義宗(よしむね)合戦(かっせん)(じょう)
     この(たたか)いでは秋川(あきかわ)すじの南一揆(みなみいっき)とよばれる武士団(ぶしだん)が、足利(あしかが)(ぐん)先陣(せんじん)となって(かつ)やくした。
     金井原(かないばら)(いま)小金井市(こがねいし))とそれにつづく人見原(ひとみはら)(いま)府中市(ふちゅうし))を舞台(ぶたい)(たたか)いがくりひろげられた。

12.足利(あしかが)陣屋(じんや)府中市(ふちゅうし)片町(かたまち)
 平安(へいあん)時代(じだい)(なか)ごろ、平将門(たいらのまさかど)()った藤原秀郷(ふじわらのひでさと)(やかた)をたてていたところで、そのあと「市川山(いちかわざん)見性寺(けんしょうじ)」という(てら)になったといわれる。
 南北朝(なんぼくちょう)時代(じだい)の14世紀(せいき)(なか)ごろ、足利尊氏(あしかがたかうじ)がこの(てら)再興(さいこう)自分(じぶん)のもとの()の「高氏(たかうじ)」から一()とって「高安寺(こうあんじ)」と()()けたとか。
 ちょうど分倍河原(ぶばいがわら)をみおろす絶好(ぜっこう)場所(ばしょ)で、南北朝(なんぼくちょう)時代(じだい)から室町(むろまち)時代(じだい)、しばしば足利(あしかが)()陣屋(じんや)兵士(へいし)のとどまるところ)となった。ここは足利(あしかが)()府中(ふちゅう)防衛(ぼうえい)基地(きち)だったのだ。

13.分倍河原(ぶばいがわら)古戦場(こせんじょう)京王線(けいおうせん)府中(ふちゅう)(えき)(みなみ)
 ここは鎌倉(かまくら)府中(ふちゅう)をむすび、川越(かわごえ)にぬける鎌倉(かまくら)街道(かいどう)重要(じゅうよう)地点(ちてん)幕府(ばくふ)にとって、ここで(やぶ)れることは鎌倉(かまくら)がおちることにつながった。
そういう場所(ばしょ)だから、必死(ひっし)激戦(げきせん)がくりひろげられた。

  • 元弘(げんこう)3(1333)(ねん)鎌倉(かまくら)()めの新田義貞(にったよしさだ)(ぐん)(たい)北条(ほうじょう)(ぐん)決戦(けっせん)(じょう)
  • 建武(けんむ)2(1335)(ねん)中先代(なかせんだい)(らん)
  • 正平(しょうへい)7(1352)(ねん)武蔵野(むさしの)合戦(かっせん)

14.小沢(おざわ)城跡(じょうあと)稲城市(いなぎし)矢野口(やのくち)
 はじめはこの地方(ちほう)豪族(ごうぞく)のすまいだったが、のち、稲毛(いなげ)三郎(さぶろう)重成(しげなり)(しろ)となった。(みなみ)武蔵(むさし)重要(じゅうよう)地点(ちてん)鎌倉(かまくら)時代(じだい)より(かぞ)えきれぬほどの(たたか)いの(まと)となる。関東(かんとう)地方(ちほう)代表(だいひょう)する山城(やまじろ)で、八王子(はちおうじ)滝山城(たきやまじょう)(かた)をならべる。

15.矢野口(やのくち)稲城市(いなぎし)矢野口(やのくち)
 延文(えんぶん)3(1358)(ねん)鎌倉(かまくら)()出陣(しゅつじん)した新田(にった)義興(よしおき)はここの(わたし)(はか)られ、()んだ。

16.桝形山(ますがたやま)城跡(じょうあと)川崎市(かわさきし)
 小沢(おざわ)城主(じょうしゅ)稲毛(いなげ)三郎(さぶろう)重成(しげなり)出城(でじろ)
 重成(しげなり)小山田(おやまだ)有重(ありしげ)()(つま)北条(ほうじょう)政子(まさこ)源頼朝(みなもとのよりとも)(つま))の(いもうと)だ。とても勢力(せいりょく)があったのだけれど、元久(げんきゅう)2(1205)(ねん)北条氏(ほうじょうし)陰謀(いんぼう)のため、鎌倉(かまくら)(ころ)された。

17.小野路(おのじ)城跡(じょうあと)町田市(まちだし)小野路(おのじ)町台(まちだい)
 小山田(おやまだ)有重(ありしげ)二男(じなん)二郎(じろう)重義(しげよし)()んだ(しろ)といわれる。

18.井出(いで)(さわ)古戦場(こせんじょう)町田市(まちだし)本町田(ほんまちだ)
 ここも鎌倉(かまくら)街道(かいどう)要地(ようち)中先代(なかせんだい)(らん)合戦(かっせん)(じょう)

19.関戸原(せきどはら)古戦場(こせんじょう)
 新田義貞(にったよしさだ)鎌倉(かまくら)()めで分倍河原(ぶばいがわら)(たたか)いのあと、幕府(ばくふ)(ぐん)北条(ほうじょう)泰家(やすいえ)は、あやうくここで()()にするところ、(たん)党の武士(ぶし)らにたすけられ鎌倉(かまくら)(もど)った。

参考(さんこう)にした(ほん)

郷土資料室から
「東京都の歴史散歩・下」
「角川地名大辞典」
「多摩の古城址」
「多摩の歴史散歩」
「多摩丘陵の古城址」
「武蔵武士」
「多摩のあゆみ」第17号
「多摩歴史散歩1~3」
「史跡をたずねて 各駅停車シリーズ」
…その他いろいろ

児童コーナーから
「ほるぷ 日本の歴史2」
「鎌倉と南北朝」

その他
「戦国史事典」
「年表 日本の歴史1~4」
「戦国武家事典」
「平凡社大百科事典」

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