
病名票
明治10年8月27日に公布された「コレラ病予防法心得」。その中に病名票のとりきめがある。まわりへの伝染を防ぐために、患者が出た家は入り口に「コレラ伝染病あり」と病名票をはりなさい、というもの。
しかし、明治15年の流行の時、人々はこれをはるのをいやがり、患者が出たことをかくしたりして、その害の方が問題になった。
そこで、この年の8月26日には、人情を考えて病名票をはるのは見あわせよう、という結論になった。
避病院
これは伝染病が広がるのを防ぐため、患者をみんなから離しておくための病院。安政5年の流行の時、長崎で作られたのがそのはじまり。
明治10年の流行には、東京府でも北品川洲崎、市ヶ谷富久町、本郷向ケ岡、本所緑町などに避病院ができた。
明治14年に作られた「コレラ予防法協議手控」に避病院は、こうとり決められている。
・避病院を作る場所は人家に近くなく、井戸や川、泉のそば、交通の多いところはさける。
・重症・軽症・回復にむかっている者にわけて、4帖に1人。せまくても1帖に1人までの面積にする。
・看護人は患者2人に対して1人。昼夜交代させる。
・見舞客が病院を出る時は、行水でからだをきれいにさせ、服はかんたんな燻蒸(いぶして、むして、虫・バイキンを殺す)を行う。
しかし、病院とはいってもバラックの板囲い。医師も看護婦も不足で、患者はろくな手当てもうけず、10人中8、9人が死んでいった。避病院は役目をおえると焼きすてられた。
「避病院にはいると生きて帰れない」とか、「入院すると生き血をぬきとられる」「きもを奪われる」などといううわさが流れ、入院をいやがったり、入院しても逃げ出す人もいたり。
「虎列刺豫防諭解」
内務省社寺局、衛生局が編集して、明治13年4月11日に出版したコレラ予防の本。
この時代、伝染病のためのいろいろなきまりやお知らせがでるがそうした政府の衛生キャンペーンのひとつ。
「伝染病の原因は空気・のみ水・食べもの・人とのまじわりの4つ。また避病院はひどい扱いをするところではないからすぐに病院をいれなさい。」などと注意をあたえている。
コレラ・その他の伝染病
明治のころの予防法あれこれ

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コレラの流行以来、さまざまな予防法が出されたけれど、そのほとんどの基本は飲み水や環境を清潔に保つ、ということだった。
けれど明治のころの日本は「富国強兵策」のまっただ中。国を強くすることにたくさんのお金がかかって、一般の人たちの生活環境を整える方にはなかなか手がまわらない。いちばんかんじんの環境が衛生的ではなかったのだから、伝染病の流行はおさまらなかった。
きまり、ご注意いろいろでた!
安政5年8月
コレラの応急手当について御触書がでる。
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明治10年8月24日
「コレラ流行の節各自注意すべき養生法」公布。
→このときすでに「のみ水はわかしたほうがいい」と書かれている。
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明治10年8月27日
「コレラ予防心得」公布。
検疫(伝染病の検査)からコレラが発生したときの届出、埋葬のしかたまでとりきめられている。
これ以降の伝染病についての規則のお手本となる。
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明治11年3月14日
「一般予防法」でる。
内務省が東京府に実行するよう出したもの。
井戸・便所・ミゾ・ドブ・ゴミの掃除から患者の取り扱いまで決められている。
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明治11年5月9日
「飲水法」公布。
井戸を修理、補修して、汚れた水がはいらないようにしなさい、と言っている。
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明治12年6月27日
「コレラ病予防仮規則」公布
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明治13年7月9日
「伝染病予防規則」公布。
清潔法・摂生法・隔離法・消毒法などが定められている。
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明治15年
「伝染病予防心得書」
清潔法・摂生法などが定められている。
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明治21年3月1日
「伝染病予防消毒取締規則」公布。
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明治23年10月11日
「伝染病予防心得書」公布。
患者を出した家やその近くの家の予防・消毒のしかたから流行までの予防法まで。
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明治29年4月22日
東京府と警視庁。たべもの・井戸・下水の修理、便所掃除などの注意を出す。
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明治30年4月1日
「伝染病予防法」公布
このほかにも、コレラ患者が出るたび、警視庁、東京府などいろいろな注意を出している。